もとより、謎ときの過程そのものよりも、描かれる人間たちのドラマのほうにより多く興味を抱きつつ、ミステリーを読み続けてきた人間である。そこには常に、人間の心の不思議さ、歪み、切なさ、いとおしさが読み取れた。面白いミステリー、長く印象に残るミステリーの傑作というのは、つまるところ、人間の面白さがどう描かれているか、ということに尽きるような気がする。
食わず嫌いでほとんど読んだことがなかったミステリーに開眼したのが、二十代の後半になってから。夢中になって読みあさり始めたのが、フランス産のサスペンスだった。
ジャプリゾとアルレーにまず惹かれ、読めるものはほとんど読み尽くした。中でも『シンデレラの罠』と『二千万ドルと鰯一匹』は出色で、ベスト5に入れるにふさわしい。とりわけ、前者の文庫に記された紹介文は、ミステリー史に残る名文である。その知的遊戯性において、いかにもフランス的な硬質なリリシズムにおいて、文句なく古典的名作の一つに挙げることができるだろう。
また、私にとっての創元推理文庫と言えば、アイリッシュの一連の作品群を外すことはできない。長編はどれも甲乙つけがたく、とても一冊を選び出すことはできないが、忘れてはならないのが短編集。殊に四巻目『シルエット』には、いかにもアイリッシュらしい作品が詰まっていて、今も時折、読み返してみることがある。
ジャンヌ・モロー主演で映画化されたチェイスの『悪女イブ』とクェンティンの『二人の妻をもつ男』の二作品は、両方とも夢中になり、夜を徹して読んだ記憶がある。この二人の作家が描く悪女像はきわめて現代的、且つ、示唆に富んでいる。
サスペンスを存分に楽しみつつ、登場する人物たちの緻密な描写に唸り、本を閉じることができなくなって白々と夜が明けるまで起きている……それはまさに至福のひとときである。
(1999/4/1)
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