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続々・桜庭一樹 読書日記
【第7回】(1/4)
2008年10月
桜庭一樹

本、図書カード、ケーキ、カッパドキア。
【桜庭一樹写真日記◎本、図書カード、ケーキ、カッパドキア。】 K島氏から岸田今日子の絶版本を、K浜氏から特製図書カードを、I嬢から新作ケーキを渡され、F嬢が選んだ打ち上げのお店はトルコ料理「カッパドキア」(←そこはかとなく面白い店名)。各作家の趣味嗜好を完全に把握したプロ編集者軍団、なのかも…? (桜庭撮影)

 娘と老婆を同時に見てるようだった。花とピストル。そして血と華やかなドレス。

「そんなことはどうでもいい。ただ僕の心の中は彼女のことでいつもいっぱいなんだ。天井から漏れる水をバケツで受けているのと同じさ。バケツがいっぱいになったら、空にしなきゃならんだろう? 彼女を抱いたりいたぶったりするのは、そのバケツを空にするという行為と同じ。セックスの妄想にどっぷりつかっている自分を救い出すには、そうするしかないんだ。それが終わると、またバケツがいっぱいになるまで二、三日待つ」

馬に穴を掘らせて、ちょうどいい大きさの穴ができたところで農夫はその馬を撃つ。すると馬は自分の掘った墓穴に落ちていくのだ。

――『奇妙な人生』

 10月某日

 懸案の〈オール読物〉短編を書いている。
 もうちょっとで書き終わる……。
 先月、川上弘美さんが語った(でも脳内で何度もリフレインさせたのでちょっとニュアンスが代わってるかも)「恋が怖くなって、恋したくなくなるのがほんとの恋愛小説」というのを、あぁ、ほんとうだなぁ、とあれこれ考えていた。あと先月、地下鉄の中でばったり会ったY安編集長のお勧め、安岡章太郎の「ガラスの靴」(翌々日、ポストに文庫のコピーが入ってた)を読んで、あっ、これこそそういう小説かもしれない、と思った。自分の小説『推定少女』の新装版(角川文庫)のゲラを読んでた。……といった出来事の相乗効果で、「解剖台の上のミシンと蝙蝠傘の話」という短編のプロットができた。ミシンと蝙蝠傘云々、というのは、同じく先月に読んでた中島らもの『何がおかしい』(白夜書房)に出てきたシュールレアリスムの概念のことだ。
 こう考えてみると、小説ってすごくナマモノなんだなぁ。摂取したものによって形が変わるし、自分の状態によって、軸を変えないまま揺らぎだけが生じる。
 で……、昼から書き始めて二時間ほどで今日の分の執筆を終えた。もうちょっとだ。
 本日は、『書店はタイムマシーン 桜庭一樹読書日記』刊行記念トークショーの日である。池袋のジュンク堂で行われるのだけど、その前に東京創元社にてネット販売用のサイン本作りもすることになっていた。夕方、会場で配る粗品(お菓子と紅茶を自分で梱包し、シールを貼る)40人分を抱えていそいそと地下鉄に乗り、飯田橋へ。
 会議室に通される。どうも今日は人の気配がないと思ったら、シール要員のトランポリンI嬢が、

I嬢「いま、ちょうど会議中なんですよ」
桜庭「えーっ、会議!?」
 不審の念(?)が顔に出たらしく、I嬢が「さ、桜庭さん! うちは出版社ですよ!」と念を押す。そうだった……。
 I嬢はミステリー評論の本を平行して何冊か製作中で、注釈が大変らしい。続いてシール要員その2としてやってきた海外ミステリ班M澤君は、エドワード・D・ホックの本をつくっているとのこと。相変わらず、ミステリーのお花畑みたいな会社である。あっ、サインする本の向こうに、また、ケーキが! 本が片付くほどにケーキに近づいていくという馬に人参状態で、ちゃっちゃか、ちゃっちゃか、サインを続ける。
 と、しばらくすると会議が終わったらしく、人間の気配が濃厚になってきて、一人また一人と顔を出し始める。SF班K浜氏が「浜松町の駅構内の本屋さん「談」から桜庭さん宛てにコメント依頼がきてるよ」というので「いまやっちゃう」と紙に書いて渡したら、〈ミステリーズ!〉の特製図書カードをくれた。物々交換である……。サインが終わったのでケーキを食らっていると、K島氏がやってきて目の前に本を2冊置く。おぉっ、岸田今日子さんの絶版本『ラストシーン』『一人乗り紙ひこうき』(ともに角川文庫)! ありがたく借りる。
 そろそろ出かけたほうが、ということで、トイレにてお化粧(なるべくしたくないのだ……)。みんなで電車にがたごと揺られて池袋へ。40分ぐらい前に着く。あれっ、もう並んでる……。対談相手の三村美衣さんと、控え室で会う早々、なにかで(忘れちゃった……)大爆笑。
 トークショーはぎゅう詰めで、楽しそうに聞いてくれてたので、よかった。
 帰宅したら、ポストに評論家の川出正樹さんから荷物が届いていた。開けたら、おっ、『奇妙な人生』(スティーブン・ドビンズ/扶桑社文庫)! 確か今年の年賀状にお勧めの本として書いてくれてたやつだ。「古本屋でみつけたので送ります」とある。おぉー! 〈小説現代〉の担当K村女史からもお勧め本が一冊とどいている。『西洋中世奇譚集成 皇帝の閑暇』(ティルベリのゲルウァシウス/講談社学術文庫)。K村女史は、毎晩うちの近所(新宿三丁目)のバーで、葉巻をくわえて、アイリッシュウイスキーを舐めながら朝までミステリーを読んでる(飲みすぎて一度、目から血が出た)という無頼派のお嬢さんだ。そういえば今年の春、『ハマースミスのうじ虫』(ウィリアム・モール/創元推理文庫)の川出さんの解説に出てきた50年ぐらい前の本『第三の皮膚』(ジョン・ビンガム/創元推理文庫)を探してる、という話をしたら、葉巻を口から離して「それ、うちの本棚にありますよ。赤と黒の菱形模様の装丁のでしょう」と言って、また葉巻をくわえなおした。翌日の夜には、その本と、同じ著者のポケミス『ダブル・スパイ』の2冊がバイク便で届いた。この二人から(互いに面識はないのかも。あれ、ないのかな。もったいないな)同じ日に本が届くなんて、なんだかシンクロニシティ……。
 ともかく、今日は出かけて帰ってきてポストに手を入れただけなのに、合計4冊の“確実に当たりの本”を手にしていた。すげぇな。前世でなにかいいことしたのかな、今日。
 風呂をためてる間に『ラストシーン』を三分の一ぐらい読んだ。やっぱり面白い。「白の絹糸」ってのが超怖いのでK島氏にメールで訴える。風呂の中で、風呂用の本『おんな作家読本』(市川慎子/ポプラ社)をぱらぱらする。林芙美子と吉屋信子がいいこと言ってるのを発見。ふと友のように思う。
 林芙美子は、鳥取に帰った尾崎翠を偲んで、『第七官界彷徨』の感想として「いい作品と云うものは一度読めば恋よりも憶い出が苦しい」と書き残している。
 吉屋信子は、死の二ヵ月後に、読者に向けた遺言「読者の方たちへの御礼」が発見、公表された。
「私が作家としての生涯を送れたのは、これまったく読者の方たち(おもに女性)のおかげでございました。(略)読者の方たちのお仕合せを祈り心から感謝いたします」
 風呂の中で落雷のように涙する。
 いいこと言うなぁ……。
 正しい人だ。しかしこの当たり前の正しさを忘れないことが存外、困難だ……。それにしても昔の女流作家たちからは、文豪なのに“友の気配”がするのはなぜだろう。不思議な人たちだよなぁ、と、湯に浸かり、遠い過去を振り返りながら思う。
 風呂から出てきて、まず『奇妙な人生』から読もうと手に取る。うわ、これは……(好きだわ……)。夢中で読む。
 少年時代から僕たちのヒーローだったパチーコ。中年に差し掛かった今も僕たちはときどき集まっては近況を報告しあっている。ある夜、パチーコの家に集まった僕たちは、壁に飾られたうつくしい若い女のポートレイトにみとれて目が離せなくなる。パチーコは「……彼女だよ」と、今では中年になった地味なメイド、セニョーラ・プッチーニを指差して笑った。別人のように、うつくしさも人間らしさも破壊されてしまった彼女の顔。おどろく僕たちに向かって、パチーコは語りだした。彼らの間に起こった、長く怖ろしい“闘いという恋愛”事件について。僕たちはその物語を震えて聞いた……。
 あらすじの最後に“異様な迫力に満ちた異色心理劇”とあるけれど、まさに、異様な、静かだけどとんでもない心理劇。現象でなく、心理によって二転、三転、四転、五転……する悪夢のような万華鏡がすばらしい。これはすごい。
 それにしても……。
 赤い糸は、あたたかくて優しいものとは限らない。氷のようにつめたくて、そのくせ死の興奮に満ちた“運命の出会い”もある。
 トリュフォーの映画『隣の女』のあの名台詞、「あなたとともに生きられない。あなたなしでも生きられない」を思いだして、急にすっげぇ怖くなり、凍えて眠った。



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