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2008年10月

それぞれの愛の終わり
【桜庭一樹写真日記◎それぞれの愛の終わり】 お世話になってる書店員さんから頂いたボルタ君(ボルトでできた人形)の「ラブ・イズ・オーバー編」。って、ボルタ君、このポーズはまだ余裕あるのではー? わたしだったら胎児のように丸まるなぁ。まぁ、自由にそれぞれ悲しもう。(桜庭撮影)

 彼女は自分の恋愛を否定する。肯定することの悲劇に耐えきれないのだ。もしも自分の感情が恋愛であるならば、心の痛みに耐えるだけの力を彼女はまだ持ってはいない。ひよわな骨格はその苦痛のためにばらばらに崩れてしまうだろう。(略)正確に自分の姿を見たくはない。見ることの苦痛に耐え得ないのだ。本当の自分の姿は、残忍、酷薄、卑屈、狡猾、貪慾、あるゆる悪徳を、美しいたおやかな肉体の中に一杯詰めこんである、悪徳の玉手函だった。

――『薔薇と荊の細道』

 10月某日

 本日はちょっと忙しい。
 起きて、コーヒー飲んで、ご飯食べて、〈本の旅人〉1月号のエッセイ「道尾秀介観察日記」を書く。……ふと気になって、本人に連絡して「好きだって言ってたの、玄月さんだよね?」と確認すると「さ、桜庭さんって、もしかして頭の中に手書きでメモってるの? ぼくが話してたのは玄侑さんだろ、玄侑宗久」と言われて自分でびっくりする。へんな間違え方だな……。
 原稿を直して、パソコンを切る。ぱっぱと着替えて、こころなし丁寧めに化粧して、出かける。
 午後一時半。新宿東口の面影屋珈琲店にて講談社のI本女史と待ち合わせ。『ファミリーポートレイト』の初校ゲラを受け取って、先日撮った著者ポートレイトの確認をする。
 きれいに撮れてるのはこれとこれなんだけど、作品の内容とあってるのは、首がガクンとかたむいてて表情も不安定なこっちだと思う、と言われて、よく見比べる。た、確かに……。自分は作家なので、きれいに映る必要はない(人間なので気にはなるけど)。かたむいてるほうにする。
 時間が余ったので、カレーをもりもり食べる。リア・ディゾンの話をする。あと、撮影のときにスタイリストさんが用意してくれたシャツがグッチで、なんといってもグッチと言えば吉井和哉(彼の人はグッチの服しか着ないという都市伝説を聞いたことがあるけどほんとかどうかは知らない)なので、

桜庭「吉井和哉……」
I本「わはははは!」
桜庭「?」
 理由はわからないけど、わたしが吉井和哉と言うたびになぜだかI本女史が大爆笑する。人の笑いのツボは千差万別、だからこそ人間はおもしろい、んだ、けど……と不思議に思いながら、ばたばたとつぎの仕事場所へ。
 三時過ぎ。半蔵門の甘味屋「おかめ」に無事に着くと、いちばん奥の席にて創元のSF班K浜氏がゲラを読んでいた。今日は『読書日記』関係のインタビューを一日にまとめて入れてもらっているのだ。ちなみにオツボメンは風邪でダウン。
「おかめ」のおはぎ(すっごく美味い。田舎にいたころ、農家の友達んちでお母さんがチャカッとつくってくれたのと同じ味!)をもりもり頬張りながら、面白かった本の話をする。しかし、最近、周りで本を読む人たちが、どうも小説よりもノンフィクションを読んでる気がする、という話になる。自分もけっこうそうなのだ……。ドラマも人間の業もなにもかも濃厚だし、ノンフィクションの中に生まれる“物語”は確かにすごく面白い。でも、わたしたちは小説の現場の人間なので、
桜庭「今年、小説は、ノンフィクションにどうしても勝たないといけません。わたしたちはもっとすごいものを書いて。すごい本をつくって。もっともっと遠くに読者を連れてくんだ。談春が書く談志よりも面白い人間を、作家は書かなくてはならない! しかしそれがどれだけ困難か……。でも、書くんだ!」
K浜「わはははは!」
桜庭「?」
 K浜氏、大爆笑(なぜだ)。それも、上から水がかかったらフラッシュダンスというぐらいのけぞっての満点大笑いである。がびーん……と、落ちこむ。一世一代のアジテーションだったのに……。なすすべもなく、とりあえずおはぎの残りを食う。
 と、インタビュー1組目(日経NET)がきた。4,50代の男性向けお勧め本の話をする。これは面白い、こっちも面白い、といろいろ話していて、「小説は堅苦しいものだ、教養だ、と構えずに、面白い娯楽なんだと思って気軽に読んでほしい」と言う。するとK浜氏が隣で、「海外の小説はユーモアがあって読者を笑わせるんだけど、翻訳されるときにそこが抜け落ちる場合もあるねぇ」と言う。
 そういえば『赤朽葉家の伝説』を書いたときも、読者の人に「ところどころ面白いんだけど、笑ってもいいでしょうか」と聞かれたことがあるなぁ、とふいに思いだす。
K浜「そうだよ。ぼくも『赤朽葉』を読んだときは2ページに一回は大笑いしたんだけど、そう言ったら、君、『エー?』ってむくれてなかった? ぼくは褒めたのにさぁー」
桜庭「あれっ、そうでしたっけ」
 忘れてた!
 そうか、K浜氏の爆笑は肯定の意なのかも……。
 その後、読書の必要性について聞かれて、いさんでマドンナとショーン・ペンの話をする。
 さて、4時半。2件目のインタビュー(天然資源の広報誌)がくる。また読書の必要性について聞かれたので、マドンナとショーン・ペンの話をする。
 そして5時50分。「おかめ」の隣のビル「TOKYO FM」に移動する。夕方のラジオ番組で『読書日記』について話すのだ。ばたばたとスタジオへ。女性のアナウンサーさんに読書について聞かれて、またもやマドンナとショーン・ペンの話をする。
アナウンサー「毎日、一冊読むってたいへんじゃないですか」
桜庭「むー。でも読まないと減っていくので、最近は自覚的にもなってます。たとえば来月に出る『ファミリーポートレイト』という書き下ろし小説は、1000枚あるんですけど、最初の500枚ぐらいまでは、これまで摂取した本や映画や自分の経験や考えたことの蓄積で書けるんだけど、長丁場になるとどんどん体内の情報量が減ってきます。そうすると、たとえばね、昨日、知人から聞いた話で、『マドンナがドキュメンタリー映画の中で、スタッフ達と“本当のことしか答えちゃいけない遊び”をやってたんだ。それで“あんたがいちばん愛した男は誰だい?”と聞かれたマドンナが、長いあいだ考えて、ゆっくりと顔を上げ、一言“ショーーーーン”と……』」
アナウンサー「わはははは!」
桜庭「?」
 いやいや、笑うところじゃないっ、と言ってみるも、
アナウンサー「だって、だって、桜庭さんの言い方が、いや、続けて、気にせず続けて……ふはははは!」
桜庭「(がびーん)いや、ええと、それでですね、昨日その話を聞いて、今日書く原稿に、いきなりそれが出てくるわけですよ。大人になった主人公が文壇バーでアルバイトしてて、客たちと“嘘しか答えちゃいけない遊び”をすると。みんなで争うように面白い作り話をしあう、というシーンがあって、それはそのマドンナとショーンの話が元になってるんですけど。そんなふうにして、足りなくなってくると昨日、今日見たり聞いたりしたなにもかもが流れこんでいく。いまは長編が上がってのんびりしてるけど、そうだ、今のうちにまた情報量を、と思って、読んでるのもあるんです。(って、まだ笑ってる……)」
 うーむ。
 今日は3回ものけぞって笑う人を見た。でも、肯定の意の笑いだったような気がするので、ヨシ……。
 7時ちょっと前に終了。K浜氏が「すごいね〜、今日の3本のインタビュー、全部同じ話で通した。マドンナの話、3回も聞いちゃったよ」「うーむ。でも確かに、最近、同じ質問をされるのに慣れてきたのかも……」と言いながら、麹町の駅まで歩いて、帰る。
 しかし、さすがに、半日で一週間分ぐらい喋った気がする。家に帰ってご飯食べて、ひっくりかえり、黙りこくって本を読む。石川達三『薔薇と荊の細道』(新潮文庫)。
 タイプのちがう三人の女性の恋愛を、モームみたいに意地悪で、でも日本の風土っぽくウェットな筆致で書いた観察日記っぽい小説。なんというか、恋愛とか女性の心理を書かれた普遍的な部分と、書かれた当時とてもセンセーショナルだったのかも、と思わせる部分が混在していて、読みながら何度も顔を上げて、時間の経過について考えた。まぎれもなく今の問題として読まれることと、普遍的であることを同時に成し遂げたいな……。しかしそれがどれだけ困難か……。
 かなりの紆余曲折の末に結婚した女性が得た安定感を“地獄まで落ちてしまった者の安心”と、出産を“(性の)羞恥からついに卒業すること”と論じるおっきくて残酷な筆は、確かに薔薇と荊でできてる気がする。
 それにしてもー、もう一言もしゃべれないー……と、ばったり。風呂はいって寝た。



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