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2008年10月

透明人間ナンバー3
【桜庭一樹写真日記◎透明人間ナンバー3】 六本木スタジオにて。この日、何枚も写真撮ったのに彼はどれにも写っていなかった。って怪談みたい……。(桜庭撮影)

「肌の温かさが心に触れたのです」

――『すべては「裸になる」から始まって』

 10月某日

 起きた。
 ぼんやり。
 お昼に、マンションの前で講談社の担当I本女史(酔っぱらってグランドピアノによじ登って歌って、壊した……)にピックアップしてもらい、六本木スタジオに向かう。
 先日、〈CREA〉で女優の桃井かおりさんと対談したとき、桃井さんがSK-IIのパックを一箱どーんとくれて、「女はパックよ。PACK YOU!」と言い残して颯爽と去っていった(翌日、ロシアの映画祭で審査員をやるんでもう成田に行かないといけなかった。なるほど、文化の人だ)。今日は、そのときもらったパックをしてから家を出たので、顔面がやけにツルツルしている。
 I本女史とパックの話をしてるうちにすぐ目的地に着いた。ここはもう六本木(正直怖い)。
 今日は、新刊『ファミリーポートレイト』の著者ポートレイトを撮るのである。
 もともとはハードボイルドが書きたい、というのが最初の一歩だった(その後、だいぶ変わったけど)。時代、時代に、その空気を体現するような主人公がいるものだ、と、書く前の打ち合わせで熱く語った記憶がある。たとえば、自信に満ちてナルシスティックな人間を、いまの若い人たちは受け入れ辛いだろうし、その主人公が大上段に時代を語れば、曖昧な笑顔のまま、右から左にそうっと流してしまうだろう。新しい女ハードボイルドを、というところから、“自分に確信がなくて、自己犠牲的で、ペシミスティックで、しかし強靭な美学だけを持っている、裸の人間”という主人公像が浮かんだ。そういう若い人間にしか語ることのできない、わたしたちの未来があるはず。それはもしかしたらモノクロームでざらりとした感触の、きれいな廃墟のような世界かもしれない(マーティン・ドレスラーのグランド・コズモみたいに)。
 その世界を、4月からずっと彷徨っていた。
 今日は、著者ポートレイトの撮影なのにヘアメイクとスタイリストもついて、スタッフもたくさんいてちょっと大げさだ……。でも、そういうものを書いた本人の顔を、渦中にいるあいだに撮っておこう、ということなので、がんばってきれいに写らなくてもよくて、そのまま立ってればいいので、楽だ。
 メイクの合間にI本女史とあれこれしゃべる。テレビとか見てても、企画として仕掛けて盛り上げる、みたいなのだと、なんとなくわかっちゃうから乗りづらいけれど、

I本「熱気は、伝わる」
 と言う。本をつくる現場の、本気の熱気は、売る現場にも、読まれる空間にも伝わる、だから著者ポートレイトだってここまでやるぜ、というような話になる。
 わたしたち作り手の“情熱”は、売る現場を通して、読者の手に渡って、“娯楽”としてきっちり消費されなくてはならない。今年はこの本のために骨までがんばろう、と思う。
 撮影が無事に終わって、スタッフと打ち上げ。ジョン・ウーの撮影隊に銃撃されそうなでっかい中華料理屋でテーブルをぐるぐる回しながら話す。カメラマン氏はビートルズが好きで、わたしはアイルランドの小説が好きなので、噛み合ってるのかどうかよくわからないけどとにかく海の向こうの文化の話をする。カメラマン氏によると、アイルランドでは街中いたるところに十字架がかかってる、らしい(紹興酒2本目の半分辺りなのであいまい)。それを聞いて、「懺悔しながら、悪いことしながら、みんな生きていけばいいんですよ……」とペシミスティックなことを自信なさげに言ってみる。
 撮影中、ずっとそばにいたカメラマン氏のアシスタントが、じつは歌舞伎町の「愛」でナンバー3だった元ホスト、と聞いて、わたしとI本女史は頭を抱えて悩む。「そんな人、いましたっけ……?」そんな面白い人、よーく見たかった、と残念がるも、どう考えても見た記憶がない。噂のナンバー3は透明人間のように、記憶の中の六本木スタジオに怪しい気配を漂わせるばかりだ。紹興酒はうまいなぁ……。ふと、この世は無数のパラレルワールドが重なりあってできていて、世界観のちがうどうしは、けっして出会うことがないのだ、と考える。ジャック・フィニイの『夢の10セント銀貨』(ハヤカワ文庫FT)みたいに。今この六本木でも、ジョン・ウーがどうとかいってる作家と、サッカーの試合見てるおじさんたちと、黒人男性と路上でいちゃつく青白い20歳の女の子と、鼠先輩と……。このカメラマン氏と幾度仕事をしても、わたしとナンバー3が互いを目撃することはないのだろう、とか、考えてみる。人間ってへん。
 店を変えてまた飲んで、夜中に帰宅。
 酔ってるので風呂は危険。醒めるのを待ちながら床に寝転がり、雑誌をぱらぱらする。「銀杏BOYZの峯田君が小説書いてたよ〜」と聞いて、買ってきた〈hon-nin〉最新号。あれ、なんだ、連載でもう五回目なのかぁ、ここから読んでもわかんないな、と閉じかけて、

 ぼくは嘘をつく。烏の王様になった気分。

 という一文に目が吸い寄せられる。いいなぁ、ここ。歌詞みたいだ。
 整理されてきちんと書かれたものって、いうなれば“しっかり歩く”ようなものだと思う。困難なプロットを成立させるのは障害物競走をクリアするようなミッションだ。でも、ときどきある、読者がぜったい予測できない飛躍、閃きの比喩は、いわば“空を飛ぶ”ような瞬間だ。そういう芸に触れると、あぁ、生きていける、と救ってもらった気持ちになる(だから海外文学や、ある種のお笑いが好きなのだ……)。
 ふと、これが学校の宿題の作文だったら、先生に「烏の世界に王様はいません」とか赤ペンで書かれて0点にされてしまうのでは、と心配になってくる。脳内で、その一行の上のほうに赤ペンで花丸をぐりぐり書いてみる。ついでに「日本中の学校で今、書かれている作文に、この花丸よ、届けッ!」と、クワッと目を見開いて老婆の形相で(さいきんできるようになった。人は成長する)恫喝する。
 なにしろ連載の途中からなので、ちらっ、ちらっ、と横目で読んだけど、頭の中に「ぶこうすき〜?」と、なぜかひらがなで浮かんだ。本になったら読も。
 それから、積み本の中から出した『すべては「裸になる」から始まって』(森下くるみ/講談社文庫)を読んでいたら、二つの相乗効果で久しぶりに菜摘ひかるさんを思いだして、猛烈に彼女の言葉を浴びたくなった。いちばん最初に出た『風俗嬢菜摘ひかるの性的冒険』(光文社知恵の森文庫)がいちばん好きだったな。過去を整理して、物語化してるだけじゃなくて、なぜだか(なぜってセンスだろう)ファンタジー化して濁流の如く語っていた。自分史にして、偽史にして、風俗文化史にして、無敵の地下世界ファンタジー。脳内でずっと、松浦(理英子)さんの『親指Pの修業時代』(河出文庫)や、ティム・バートンの『ビッグ・フィッシュ』と同じ引き出しに入れていた。著者が若くして亡くなったことも、いつのまにか最初の角川文庫で絶版になってたことも、身を切られるように悲しかった……。
 読み返したくて部屋中探すも、去年の『家畜人ヤプー』(沼正三/幻冬舎アウトロー文庫)と同様、ぜんぜんみつからない。わかってて隠れてるような、からかわれてるような気がしてきて、お酒が抜けてきてるのに風呂にも入らず、むきになっていつまでも探し続けた。



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