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続々・桜庭一樹 読書日記
【第10回】(1/3)
2009年1月
桜庭一樹

お洒落したアルパカ
【桜庭一樹写真日記◎お洒落したアルパカ】 友人がペルーの山奥で激写した、「あなたにそっくりな動物」。そうだろうか……。(桜庭撮影)

 どうにも辛抱しきれなくなつたある日、年とつた鰐は、自分の家族の一匹を食はうと決心した。
 彼の曾孫の一匹、つまり一番若い娘の孫が、つい手のとどく所で眠つていた。彼は大きな口をあいて、曾孫が目をさまさないうちに頬張つた。

「人でなし!」と彼女は叫んだ。「あんたはあたしの子を食べたんだね。」

――『年を歴た鰐の話』

1月某日

 年が明けた。
 年末は、『吸血鬼ドラキュラ』をフンフン読みながら帰省して(さすがに面白かった、びっくりした)、実家にこもった途端に顔がなぜかダイフクのようにまん丸になってしまってどうしようかと思った。気が抜けたのかな……。
 去年『私の男』の特装本を2冊、文春の担当S藤女史につくってもらったので、それを実家と、祖母の家に一冊ずつ納めることにする。「桜庭一樹君」と裏に書かれた銀の懐中時計も実家においていく(夢枕獏先生の『陰陽師』的に言うと、自分の代わりに式神をおいていく感じ?)。
 母が時計を箱ごと抱きしめてへらへらしていて、若干かわいい……かもしれない。
 それにしても、心の底からほっとしてる。
 へんな感覚だけど……モニュメントを実家に奉納して、ようやく長い旅が終わった、という気持ちになる。
 祖母は戦争で家も財産もなにもかもなくして、島根の山奥に流れ着いた。母が生まれ、育って、やがて不肖のわたしがやってきた。女三代続いた流離譚のオチがどこかでつかないと、物語として地面に落ちていけない気がしていた。
 奇怪な銀の時計は、遠い昔、わたしが生まれるずぅっと前に祖母がなくしたいろいろなものの代わりになってくれるのかもしれない。もしかしたら、傷をすこしは癒すかもしれない。去年、祖母から「2月22日はわたしの生涯でいちばんの晴れの日でした」と手紙をもらったとき、床に膝をついてオイオイ泣いたのを思いだす。
 祖母。母。わたし。の、あまりにも個人的な、血と文芸をめぐる地下冒険譚の、たぶんハッピーエンドの幕がゆっくりと下りてきて、気づけば、生まれる前から始まっていたごちゃごちゃした大衆演劇が終わり、何時間も座って舞台を見上げていた観客(でも全員きっとわたしと同じ顔をしてる)も、いつも通りの気難しげな横顔を見せて立ちあがろうとしている。という気がしてくる。
 あー、終わった。
 今度こそ終わった。
 もう“母の息子”じゃないし、“俺”じゃないし、気づけばこの一年で髪も伸びていつのまにかロングヘアで、見た目もまるで女みたいだ。
 そう思うと、気が抜けてきて、顔もまん丸になって、それで、このまま顔も名前も変えて誰でもない若くない女になってどこかに消えてしまいたいな……と夢想する。失踪する中高年男性の気持ちが、今、ちょこっとだけわかった気がするけど、どうなんだろ……。
 夜。部屋で1人になって、去年、女友達が旅行先で撮ってきた“お洒落したアルパカ”の写真をじっと見る。「ペルーにあなたそっくりの動物がいたの。それは正面から見たアルパカです」とアイスワインをかたむけながらアンニュイ〜に言われて、微妙な顔になった。に、似てないと思うけどなぁ……。まぁ、でもなんとなく和む。あと、男友達が昔に書いたという空手の詩を読んで、さらに激しく和む。

 僕一人のとき
 空手のマンガを読んでいます
 えびせんも板チョコも
 バニラウエハースも握り拳で砕いて
 空手といっしょに口へ運びます
 でも半分は君にと思うのです
 ほんとうですよ ほんとです
 じゃ この拳についたチョコをどう説明できますか
 おれそうでもおれたりしない僕の力は
 君と正義のために

 和むので、二人の創作物を融合させて、ペルーの山奥で、お洒落したアルパカがこの詩をモニョモニョ読んでるところを想像してみる。あぁ、和むなぁ……。
 と、せっかく和んだのに、超ブラックな大人の絵本『年を歴た鰐の話』(レオポール・ショヴォ/文藝春秋)を読んだ。
 昭和16年に桜井書店というところから出た、山本夏彦訳の小説。古参の文学者や編集者が“まるで秘密の宝物の話をするように”内緒声でよく話題にするので、若き日の久世光彦氏が悔しがって一生懸命さがした、という本を平成15年に文藝春秋が復刻させたもの。大人のための童話風なのだけど、そのつもりで読んでいると、びっくりするぐらいブラックな展開の連続で、えぇ〜、と脳髄を割られる思いになる。
 山本夏彦氏は大正4年生まれで、16歳でパリに渡って、帰国後さまざまな執筆活動をした翁、らしい。著者紹介にある主な著作が『茶の間の正義』『死ぬの大好き』『百年分を一時間で』『一寸さきはヤミがいい』……って、なんだこりゃ。絶対おもしろい人だったんだろうなぁ! 気になってきた。
 久世さんの解説によると、この本を巡って、若き日の彼は日本中の古本屋を探し回ったり、文壇で翁たちの楽しそうな話題にぜんぜん入れず臍を噛んだり、やっとみつけて読んだら今度は「レオポール・ショヴォなんていなくて、すべては山本翁の創作なんじゃないか!?」と悩んだりしたらしい……。と、本を巡る人々の狂想曲もまたおかしい。なんだか、恩田陸さんの『三月は深き紅の淵を』(大好き)に出てくる幻の本と、それを巡るドラマを思いだすなぁ。
 最終的になんとなく癒されつつ、眠いのでもう正月からあれこれ小難しくて重苦しいことを考えるのは止めて、寝るぞと思って、ほんとうにすぐ寝た。



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