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2009年1月

 戦争のおにぎりは、新聞紙のおにぎりだ。木の葉ならばいさぎよいものを、新聞でじかに包んだおにぎりには、紙のゲバがくっついて活字のあとがしみていた。印刷のおにぎり、文字のめしである。それをたべてしまうのだった。印刷おにぎりを超満員の列車の便所の扉に押しつけられながらしみじみ眺めていて、同行のある出版社の青年は「無条件か、――」と、わんぐり食いついた。複雑な味の、戦争のむすびであった。

幸田文 

 作家には、ツブシのきかない人間が多い。つまり、小説を書く以外には、能のないのが。
 太平洋戦争の初期、ぼくは徴用されて、報道班員となり、マレーにおくられたが、その感を深くした。なかまとして、井伏鱒二、里村欣三、小栗虫太郎、寺崎浩、中村地平、北町一郎の諸君がいたが、ぼく自身はいうまでもなく、大抵の人が、持荷物のこしらえさえ出来かねて、七転八倒した。小栗虫太郎、中村地平の両君の不器用さにいたっては、もう人間業ではなかった。

海音寺潮五郎 

《好きなもの 苺 珈琲 花 美人 ふところ手して宇宙見物》

寺田寅彦 

――『バナナは皮を食う』

1月某日

 月半ば。
 年末は新刊が出たのでずっと忙しかったけれど、年が明けたらそんなに外出する用がなくて、マイペースに戻りつつある。つぎのお話を書くための心の準備をゆるゆると始めている。
 でもプライベートのほうはばたばただ。
 女友達二人に急に頼みごとができたので、連絡すると、一人は「でも明日からラオスに行くよー。しばらく日本には帰らない!」と言うのであわてて前夜遅くに明治記念館のラウンジにて捕獲。そしてもう一人はというと、調布に二世帯住宅を建てて、自分が生んだちいさい人間の世話中なので、この日の夕方、再び京王線に揺られて会いに行くことにする。
 昔、似たような娘たちだった(みんな、物書きとか映画製作とか写真とか、とにかくなにかを創る人目指して、都会の隅で苦しくてじたばたしていた)仲間は、気づけば爆発したようにばらばらになって、いまや、行方がわからなかったり、メールや年賀状のやりとりだけでかろうじて繋がってる子もいる。生活は変わる。信じるもの(神)も知らないうちに変わってしまうことがある。すごくいいときも、信じられないぐらい悪いときもある。でもずっと、変わらず同じ距離感で繋がってられる人たちのことを、あっこの人は友達なんだなぁと思う。
 夕方の京王線は混んでいる。タカノフルーツパーラーでおみや(とよのか苺のタワー)を買い、新宿駅から乗ると、わたしの前の座席に、人のお尻半分ぐらいの空間があった。無理だな、とつり革に掴まって本を取りだすと、後から乗ってきた同い年ぐらいのおとなしそうな女の人が「失礼っ!」とその空間に勢いよく尻をねじこんだ。おぉっ、とのけぞって感心して見ると、女の人はこっちを見上げ、こうするんだぜっ、と不敵にニヤリとした。それから、鞄から文庫本を取りだした。おっ、東野圭吾先生の本だ。
 電車がごとごとと走りだす。
 通勤通学のお供は文庫本なのだろうけど、わたしは、重いなぁと思いつつでっかい単行本を手にしている。『バナナは皮を食う』(檀ふみ選/暮しの手帖社)。〈暮しの手帖〉という、ほら、おばあちゃんがよく読んでたかわいいレトロな雑誌、あれの、創刊60周年記念の本で、昭和23年から十年間に掲載されたベストエッセイ集。その昔の、高名な作家たちの食べ物に関するさすがなエッセイを、壇ふみさんが選んだもの。
 出だしの「奥様にヒゲのないわけ」(扇谷正造)が、すごくって、電車の中でのけぞる。おじさんがのんきに茶の間でヒゲの話をしていたかと思うと、ザッザッザッ……と行軍の足音とともに、とつぜん回想シーンへ。戦時中、異国で、潰した牛の肉を食べてしまって、つぎは胃を食べようと洗いながら、生きて家に帰れないだろうと思い、「(牛の胃を食べるときは)シャボンをつけて洗うといい。(略)イカみたいな味がするよ」と心の中で妻に話しかけたときの、恐怖の記憶をフラッシュバックさせる。回想への入り方が映像的で、なにかすごく、「蠅」(横光利一)を読んだときと似たインパクトがある。この本いいな!
 と思うと、井伏鱒二が、新宿発の列車にいまのわたしみたいに乗って、甲信越の田舎に行き、ホップの畑が雌花ばかりなのに気づいて畑の娘さんに「みんな花簪のような格好ですね。見渡すかぎりみんな同じ花ですね」と話しかけるエッセイは、ちょっこと微エッチ! 一輪でも雄花が咲くと、雌花たちの処女性が失われ(花粉で受精しちゃう)ビールの香も味も光沢も悪くなるので、ビール会社が買い取ってくれない。だから簪みたいな処女花ばかりのホップ畑には、野生のホップは近づけられない、わたしは今、雄花を除草してるところだと言って、娘さんは“腰に結びつけてる籠から、ぐったりした草を取出して見せた。私もたびたび見たことのある草であった。名前は知らなかった”。
 井伏鱒二が幾つのときの文章かはわからないけど、最低でも、少なくとも、たっぷり60は過ぎててくれなくてはと思って、年配の男性と娘っ子の、陽光の只中での会話だ、と脳内で再現してみる。エロいじゃないか。あぁ。エロいじゃないか……。あぁ……。
 調布に着いた。ぷらぷら歩いて、友達の二世帯住宅(クリーム色のタワーだ。ちょっとした要塞にも見える)に着く。すると、友達が生んだちいさい人間、二歳男児が手の甲で目をこすりこすり、

男児「どうしたの?」
 と、出てくる。ちいさい人間にまだ慣れないので、うぉっ、と思う。
桜庭「いや、ちょっとママに頼みごとがね……。お邪魔しますー」
男児「うんこ!」
桜庭「えぇっ? えーと、えーと、そうだ……うんこ!!(バンザイのポーズで言ってみる)」
男児「きゃーっ(驚喜)、うんこ!! うんこうんこ!!」
桜庭「うんこー!!」
男児「うんこー!!」
友達「……なにしてんの? あ、これ、うちのだんなから。好きだってなにかで言ってたから、あげるって」
 友達が出てきて、バンザイのポーズをしているわたしに、倉橋由美子の本を渡してくれる。おぉ。礼を言いつつ上がらせてもらう。うんこ……。
 友達が皮から餃子をつくってくれるので、それを待つ間、倉橋由美子の本をめくったり、二歳男児をぼけーっと観察したりする。男児はナイアガラの滝のようにヨダレをたらしながら、リビングを「きゃーっ!」と、時計と反対回りに駆け回り続けている。こないだお邪魔したときは音楽がかかってたから、きゃあきゃあと踊ってたんだっけ……。手を引っぱられて誘われ、一緒に「きゃーっ!」と、人の二世帯住宅のリビングを走り回る。まさに、生きる喜びを表現せんと笑顔で走る男児を、呆然と追う。もしかして、生きるとは本来、こういうことだったのか!?(……正直忘れた)
 餃子が焼けて、ぽんと皿にひっくり返され、おぉー、と言っていると、一階(お姑さんがいる)からとつぜん、男児の絹を裂くような悲鳴。なんだよー、と思って階段を降りると、なぜか唇からだらだら流血したちいさい人間が、この世の終わりのように泣きながら(生きる怒りの表現なのか?)、凄まじい怒号を上げ続けている。
 流血!
 怒号!
 なんだかプロレスラーみたいだ……!
 めちゃめちゃ泣いてたのに、切り替えが早くて、もどってきたら「……餃子ー!」とかぶりつく。笑顔が肉汁(と、血)にまみれる。おみやの苺タワーももりもり食べる。と、また……「きゃーっ!」とリビングを走りだす。食べる、走る、謎の怪我する、うんこする(最終的にした)。まさに、生きる喜びと、怒りの、大炸裂。
 三時間ほどで「ちいさい人間による“人生劇場”」が幕を閉じたので(ガクッと寝ちゃった)、辞した。また京王線に揺られて新宿にもどる。
 夜の上り列車はがらがらだ。
 さっきの本をまた取りだして、広げる。こんどはゆったり座れたから、おおきな本でも重さを感じない。おや、いまおいしい餃子をたらふく(20個ぐらい?)食べたのに、たちまちお腹がすいてきた。美味しそうで不思議な、過去の食べ物が本の中からそよそよと風のように吹きつけてくるからだ。
 戦時中、軍国少年だった辰野隆は、皇居から正午を知らせる大砲の音が聞こえてくると、仲間とともに「弾丸」というおむすび(芯に大粒の梅干を包んで焼き海苔で巻いたでっかいの)にかぶりついたという。真ん中から出てくる梅干を楽しみにしながら。そして60年経った今では、たまに、ちいさな焼きむすびを“つけ焼にして、その上にバタを塗り、チーズ一片を載せたのを二つ三つ喰べて、カッフェーを一ぱい飲むと、それで僕のひるめしはすんでしまう。”やったことはないけど“焼むすびをハムで巻いて、その上に辛いホース・ラディッシュのきざみを二、三片乗せたら旨かろう、とも考えている。酒は菊正でも、司ぼたんでも、コニャックでもさしつかえない”。
 旨そうー……。
 石井桃子さんのお祖父ちゃんは「背中がかゆいからかいておくれー」と孫に言っておいて、じつはその脂っこい背中にゆで卵を隠してて、こっそりくれたりしたらしい。それはもう、孫の桃子ちゃんも「きゃーっ!」だったろうなぁ……。
 森田たまの語る、鈴木三重吉先生(って誰だろ……?)んちのお漬物、“あったかい御飯にビールをまぜて、その中へほそい胡瓜を一夜漬けにして、その胡瓜を冷蔵庫で冷やしてたべる”、夏日の清涼な食味、というのもなんだかわかんないけど、旨そうー……。
 あれ……。堀口大學だけ、衣食住テーマということで食べ物の話じゃないことを書いてる。ランボオの詩「わが放浪」の、堀口訳の書き出し二行、

 僕は出掛けた、底抜けポケットに両の拳を突っこんで。僕の外套も裾は煙のようだった。

 は、フランス語の原文では、じつは煙じゃなくて、イデアルという言葉だった。これはつまり、“ぼくの外套の裾まで、観念的になっちゃったよ。”みたいなニュアンスだったらしい。これを“ぼろぼろだった”なんて訳したら興ざめだし、堀口は最初“裾は若布のようだった”にしようかなと思った。でも、ちがうちがうぞ、ランボオは物質的な言葉を使ってないのだと思ってやっぱりやめて、でもいいのを思いつかないので、一度は翻訳をあきらめかけた。と、ある日、良寛和尚の遺墨(ってなに……?)「布衫破如煙」を見て、おぉ、これだ、煙と訳せばよいのだ、と閃いた。 かくして“イデアルは煙となった、在るようでないようで、二つながら、在るには在るが、さて一向につかみがたくて、まんざらゆかりがないでもない。(略)地下のランボオ詩人も良寛和尚も、よろこんで下さると思う。”
 ここを読んで、あっ、と急に、自分の好きな『シラノ・ド・ベルジュラック』(エドモン・ロスタン/岩波文庫)を思いだした。たぐいまれなる醜男、シラノは美しい従妹ロクサアヌへのかなわぬ恋の果てに、最後、堂々と死んでいくんだけど、この岩波文庫版の翻訳が素敵で、

 シラノ (略)貴様達は俺のものを皆奪る気だな、桂の冠も、薔薇の花も! さあ奪れ! だがな、お気の毒だが、貴様達にゃどうしたって奪りきれぬ佳いものを、俺ぁあの世に持って行くのだ。(略)
 ロクサアヌ それは?……
 シラノ 私の羽根飾(こころいき)だ。

 ここが妙に好きでなんども読み返していて、でもフランス語なんてわかんないから、翻訳者の人が考えに考えて、日本語なら、「羽根飾」と書いて「こころいき」と読む、これ以外にはないんだっ、と信じたらしい、元のフランス語はいったいどんなフレーズだったんだろう、とずっとどきどきしてた。
 このシラノの台詞もきっと、堀口大學の七転八倒みたいな過程があって、昔のフランスから、いまの読者の自分のところまで、日本語に転生して届いたのだなぁ。
 日本語しか読めない諸君(って自分のこと)、翻訳家のこころいきを信じて読もうではないか、とか思いながら、おっ、……いつのまにか新宿に着く。すごい人いきれ! 夜なのに! 大人(と、肌つやつやで髪ばさばさの、近未来の不良少女みたいなへんな生きもの)ばっかり! 都会だなぁ、と自分も住んでるのにあきれながら、駅構内をぐにゃぐにゃと歩きだす。
 しかし、食べ物エッセイをまとめた本なのに、堀口大學の、食べ物とほぼ関係ない(一瞬、若布が出てきたけど)エッセイもすごくいいからエイッと入れちゃった壇ふみさんのこころいきもわかる気がして、いい本だったなぁと思う。「きゃーっ!」と言いたいかも(生きる喜び?)。
 まだ読んでないページは、残念ながらあとちょっと。家に帰ってお風呂で読もう。駅を出て、喧騒の都会の夜を、駅に向かって流れこもうとする人の流れに逆らって歩いた。
 帰ろう。

 帰ろう。

 帰ろう……。



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