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続々・桜庭一樹 読書日記
【第9回】(1/3)
2008年12月
桜庭一樹

オスカー……なにしてるの……?
【桜庭一樹写真日記◎オスカー……なにしてるの……?】 ダブリンの公園にあった謎のオスカー・ワイルド像。なぜかカラーで、キメキメのポーズで薔薇をくわえてる。恐ろしい……。(桜庭撮影)

 男の子はステッキが腿に当たると、苦痛のうめき声を上げた。両手を上に向けて握りしめ、声は恐怖で震えていた。
 ――やだ、パパ! 彼は叫んだ。ぶたないで、パパ! そうすればぼくが……ぼくがパパのために《アヴェマリア》のお祈りをしてあげる……。ぶたなければ、パパのために《アヴェマリア》のお祈りをするから……。《アヴェマリア》のお祈りをしてあげるから……。

――「対応」

12月某日

 ダブリンにいる。
 夜。
 パブにいる。
 衝撃を受けてる……。
 TBS BS-iの「作家と巡る名作の風景」という番組のロケで海を渡ってきた、一日目。わたしはジョイスの『ダブリンの市民』(岩波文庫)を選んだのでこの町にいるわけだけど……。
 ちなみに今、パブにいるのは、自分でリクエストした「文学パブツアー」に参加してるせいだ。いろんな小説の舞台になったダブリン中のパブを回ってギネスを飲みながら、プロの俳優さん二人による寸劇やダブリン案内を聞く、という謎のツアー。の、まだ一軒目。
 演目は「ゴドーを待ちながら」(サミュエル・ベケット)だ。俳優さんが舞台よろしく二人で十分ほどすげぇ本格的に演じてくれている。
 おもしろい。
 衝撃……。
 「ゴドー」は、昔、一回読んだときに、難解で重苦しくて真面目な不条理劇だと思いこんで、よくわかんない、と首をかしげながら閉じてしまってそれきりだった。でも、いま目の前で演じられてるのはどう考えても二人のシニカルなやりとりが爆笑の(英語ぜんぜんわかんないけど……)、なんというか、コントだ。
 そういえば先々月ぐらいに創元のSF班K浜氏が、東京FMの隣の甘味処で、「海外文学はおもしろいけど、翻訳するときにユーモアの部分が抜け落ちちゃうことがあるねー」と言ってたのを思いだす。
 こ、こういうことだろうか……。
「海を渡ってロンドンに行くともう味が落ちてしまう」という本場のギネスがものすごくおいしいのだが、味覚より小説が(いや、戯曲だけど……)大事だ。呆然として、見る。聞く。
 K浜氏の話を聞いたとき、自分はわかってるつもりでウンウンそうですねぇとうなずいていたけれど、じつはわかってなかった……。
 小説の神様が半目で不真面目に鼻をほじりながらこっちを眺めてる気がする。だって、英語、わかんないんだもん、と落ちこみながらツアーを終え(その後、夜中のトリニティカレッジでオスカー・ワイルドが放校になった話を下ネタ交じりでしてくれたり、役者さんの一人が自分の本をくれたりして楽しかった)ホテルにもどる。
 とりあえず帰国したら詳しい人(最近回りにたくさんいてくれる)に、「ゴドー」の翻訳のお勧めがあるか聞いてみよう、と思う。
 ホテルのでっかい風呂にて、『ダブリンの市民』をぱらぱらしながらあったまる。
 ダブリンという“ちいさな、まるで地方都市みたいな首都”を舞台にした短編集。子供の話から、すこしずつ若者の、大人たちの話に移っていって、一冊読むと、自分のとても個人的な歴史も振り返りながら進んでいくのでとても疲れる。そこが好き。すごく上手で、なのに心を疲れさせる小説。
 とくに好きなのが、少年がテリトリーの外に冒険に出て、変態のおじさんに出会う「出逢い」。なんだかおじさんが少年の未来のようで暗い気持ちになる。それと、しがらみの犠牲になって狂って死んだ母のようになりたくないと、町を出ようとするのに、結界があってどうしても出られない少女を描く「イーヴリン」。いちばん好きな「対応」は、職場でいやなことがあった父親が、パブで飲み歩き(このパブもツアーに出てきた!)、さらにいやなことがあって、帰宅して幼い息子に暴力をふるう話。でも、泣き叫びながら《アヴェマリア》を連呼したこの男の子も、きっと、大人になったら父親そっくりになってしまうんだ。負の連鎖。地方都市。ジョイスがこだわり続けた、ダブリナーズの“麻痺”のスピリッツ。
 そういえば、昔、舞城王太郎の「バット男」『熊の場所』講談社文庫収録)の、

 弱いほうへ弱いほうへ、ストレスの捌け口は見出されていくんだ。弱いほうへ弱いほうへ、不幸は流れ込んでいくんだ。博美ちゃんがこの世から消えたバット男の代わりになっていることに僕は気づいて焦った。誰かが博美ちゃんを助けなくてはならない。何故なら博美ちゃんはやり返すためのバットを持ち合わせていないからだ。

「どうか僕をバット男にしないで下さい」「皆に殴られて泣かされて遊ばれるような奴にしないで下さい」「どこかの暗い公園で一人ぼっちで泣いてるんだか笑ってるんだか判らない変な声をあげさせないで下さい」「どうか」「どうか」

 を読んだとき、「対応」の男の子の祈り声を思いだした。
 出発前に読み漁った関連本によると、ジョイスはこの本をすごくリアリスティックで普通の(たしか)やり方で書いて、後の『ユリシーズ』のほうが手法が凄いらしいけど(説明は割愛)、わたしはこっちのほうが好きだな……。でもそれは、きっとすごく個人的な理由なんだろうな……。
 ジョイスは22歳のときに、いっちゃってる友達が朝ぶっぱなした銃声で目が覚め、びびってダブリンを離れて、それきり一生、故郷に帰ってこなかった。ヨーロッパ中を旅して、作品が発禁だとか裁判だとかの騒ぎとともに生きて、でもずっとこの町を舞台に書いて「ダブリンがなくなってもジョイスの作品があれば完璧に復刻できる」と言われるまで執拗に故郷と、そこに住む人間にこだわった。
 なんでかな?
 おかしなことだな?
 と思いながら、電池切れ。ぷしゅー、と、バスローブのままでかいベッドでバタンキュー。かろうじて布団にもぐって、寝た。



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