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二〇〇六年二月。
読書にまつわるすごいこと(たぶん)を発見する。

二月某日

「わたしはゆめをみました。
せかいのはじまりみたいなゆめでした。
おとうさん、サヨウナラ」

 ――男ばかりの映画館で「三年身籠る」を観る。

 ふぅー。ここまで試行錯誤してこの読書日記を書いてきたけど、なんとなく、この書き方がやりやすいような気がしてきたので、しばらくこれでいってみようと思う……。ふぅー。
 それはともかく、夕方、仕事が片付いたのでフラリと出かけて、三越地下のドーナツプラントでジェリードーナツ(中にゼリーが入っている四角いドーナツ)とオーガニックコーヒーを買って、それから新宿武蔵野館でひとりで映画を見た。オセロの黒いほう主演の「三年身籠る」。家族の問題や自立、成熟とはなにか、みたいな悩みが漠然とあって、そのせいで人妻である主人公(オセロ黒)のお腹から赤子がぜんぜん出てこないまま三年経って、ラスト、ものすごいでっかいのがなんとか出てきて、無事に終わった。監督、脚本、原作ぜんぶおなじ女の人だったので、すごいなぁと感心する。
 しかし、女性の生き方探しっぽいストーリーなのに、周りが男の客ばかりなのが非常に気になる。すごく混んでたんだけど、わたしの座った列全員、ずらっと男の一人客だった。なんで俺、紅一点なの……? そういえば、今週見たべつの映画「プライドと偏見」も、ハーレクイン的なストーリーなのにやけに若い男の客が多かったことを思い出す。もしかしてこれが“青年”の登場なのか。二〇〇六年、新宿武蔵野館にて。どうしてだろう、と映画館を出てぶらぶら歩きながら、いつまでも、なやむ。いろいろ気になるので、とりあえず、本屋さんで原作本を買ってみる。

 しばらくぶらついてから帰宅すると、部屋で本が雪崩を起こしていて、けつまずいて転んだ。おどろくほど遠くの床まで、まるで血しぶきのように『不可能犯罪捜査課』(ジョン・ディクスン・カー/創元推理文庫)がふっとんでいるのであわてる。生誕百年なのに! ジョンしっかり、と駆け寄ってみる。ちゃんと本棚のいいところに移動させてみる。ここにいてください。はぁぁ。

二月某日

「いっしょに、“死んじゃえ”と唱えながら読んでいました」

 ――友よ、よき他者であれ、などと思ってみる。

 友達と三人で、なぜかホストクラブのような軽薄なノリの渋谷の焼きトン屋で飲んで、深夜帰宅。あの店には二度と近づかんぞ、とプリプリしていた荒ぶる心をなだめるように、マンションのポストを開けると、東京創元社よりファンレターが転送されてきていた。
 わたしの読者は出版社によってはとてもとても若い。小中学生の女の子からなにやらかわいらしいものがよく届く。しかし、創元の本はやはり大人の方だろう、と思ってたのだけれど、手に取るとピカチュウ柄の封筒であった。
 開けてみると、二通きたのが二通とも、小学六年の女子だったのでひっくり返る。どうも、わたしにずっとついてくれている読者で、学校の図書室に『少女には向かない職業』をリクエストして、予約を入れた順に読む、という形でここまで追いかけてくれたらしい。あーりーがーたーやー……。
 この二人はどうも同じクラスの友達どうしらしく、感想は両方とも、主人公の義父に怒っていた。しかし一人は「わたしも同じことをしたと思う。殺意よりも恐怖が大きいのがよくわかりました」、もう一人は「わたしなら静香からすーっと離れました。なんだかこわいもの」と、かなり対照的だった。
 そんな二人の少女が友達であることに、なんとなく、元少女のわたしは納得する。今夜、件の焼きトン屋でやたらぐにゃぐにゃした店員たちにやたらプリプリしてたのも、わたし一人だったしなぁ。

二月某日

「あんた、ブルーベリーのパイ、好き?」
「どうだか。うん。好きだろうな」
「あたし、こしらえてあげる」

 ――読書に関するありふれた失態をする。

 また反動で、古いサスペンスが読みたくなる。どうも月に三度ほど、こういう発作になるらしい、と気づく。この日記を書いているせいで気づいたのだなぁ。
 うわー! 人は、古い本がなくては生きられない。新しいものだけでは息ができない。古い本と古い映画、そして相変わらずの自分、がいなくては保てない、頑固で不安定なものが心のどこかにあるような気がする。
 部屋の積み本をあさって、古い本を探す。今回は夜中だったので、この時間にあいている本屋さんといえば、神楽坂の深夜プラス1ぐらいしか思いつかなかったのだ。自転車を飛ばして二十分ほどだが、うーん……。夜道だし、寒いので、あっさりあきらめてみる。と、積み本の中から、楽しみにしていた(のに地層の下に消えていた)『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(ジェイムズ・M・ケイン/ハヤカワ・ミステリ文庫)が出てくる。誰にともなく「あったぁ……!」と勝ち誇って、読み始める。
 出だしから男と女の会話がよすぎて、震える。ぐんぐん引き込まれて、今月いちばんの鼻息で読んでいたのだが、二十ページほど読んだところで母から電話があり、とうとつに、実家(鳥取である。ちょっと遠い)に数日、帰省することになる。にもつをまとめて、寝る。翌朝起きて、浜松町駅かららったったとモノレールに乗り、羽田空港へ。早めに空港に着いて、カフェでお茶を飲みながら読書するのが好きなので、アイスラテを買って、隅っこのちいさな席をみつけて座り、バッグを開ける。

 いそいそと読みかけの『郵便配達は〜』を取り出すと、なぜか『女王陛下のユリシーズ号』(アリステア・マクリーン/ハヤカワ文庫NV)をつかんでいた。なぜかはわからない。これも入れたんだっけ、と首をかしげながらバッグの中をいじり、次第に焦燥感に駆られて激しくバッグを揺さぶる。実家で読む予定の『複合汚染』(有吉佐和子/新潮文庫)と帰りに読むはずの『慟哭』(貫井徳郎/創元推理文庫)だけが出てくる。なぜかはわからないが、『郵便配達は〜』はない。
 読書に関するありふれた失態、つまり、読みかけの本を持たずに遠出をしてしまったことを、しぶしぶ、ようやく認める。買いなおすのも悔しいし、悶々としながら、そういうわけでいまこの読書日記の最後の辺りを鳥取で書いている。あぁ、悔しや。女が男の髪をいじりながらブルーベリーパイの話をした後、二人でユーカリの森に車を突っ込んで、女のギリシャ人の亭主の悪口を言っていたが、そのあとはなんの話になったんだ(事件の概要は映画で知ってるけど、原作の“情事な会話”がめっぽうおもしろいのだ)。口惜しや。口惜しや。しかしそろそろK島氏にこの日記の原稿を送らなくては。二月はやっぱり、月末がくるのがはやいなぁ。
 というわけで、読書日記の鳥取編はまた来月に書きます。ここまで長いのを読んでくださって、ありがとうございました。来月もよろしかったら、このページをお訪ねいただけたら光栄です。それでは……。

(2006年3月)

桜庭一樹(さくらば・かずき)
1999年「夜空に、満天の星」(『AD2015隔離都市 ロンリネス・ガーディアン』と改題して刊行)で第1回ファミ通えんため大賞に佳作入選。以降、ゲームなどのノベライズと並行してオリジナル小説を発表。2003年開始の〈GOSICK〉シリーズで多くの読者を獲得し、さらに04年に発表した『推定少女』『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』が高く評価される。作風は多彩で、とりわけ閉塞状況におかれた少女たちの衝動や友情を描いた作品に独自の境地を見せている。東京創元社から05年に刊行した『少女には向かない職業』は、著者が満を持して放つ初の一般向け作品として注目を集めた。著作は他に『君の歌は僕の歌』『赤×ピンク』『荒野の恋』など多数。
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