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二〇〇六年二月。
読書にまつわるすごいこと(たぶん)を発見する。

二月某日

 K島氏の後輩編集者であるF嬢(薙刀二段)が微笑みながら、『ほとんど記憶のない女』(リヴィア・デイヴィス/白水社)をくれる。

F嬢 「あげます。ふふふふ」
わたし「わー、ありがとう。おもしろいの?」
F嬢 「タイトルが気に入って。この“ほとんど”というところが。ふふふふ」
 『ひとりの男が飛行機から飛び降りる』(バリー・ユアグロー/新潮文庫)みたいなシュールなショートショートかな、と思いながら、読み始める。第一話、「十三人めの女」は八行のショートショートである。うわ、短っ! お風呂においておいて、ちょっとずつ読むことにする。お風呂用に、センテンスの短い本を常備するくせがあるのである。これの前においておいたのは山口雅也『ミステリー倶楽部へ行こう』(講談社文庫)だけど、ちょっとずつ進んで、もう読んじゃったのだ(ちなみのその前は『へんないきもの』(早川いくを/バジリコ)だった)。ちょうどよかった。

二月某日

 K島氏の後輩編集者であるI嬢(トランポリン指導員)が、お菓子をくれる。四角い形をしためずらしいマカロンである。喜んでもりもり食べていると、ふとトランポリンの話になる。
 彼女によると、とある大好きな国内作家のミステリにトランポリンが登場していたらしい。しかしわたしは、確かに読んだはずのその本に、そんなシーンがあったかどうかぜんぜん覚えていない。そうだっけー、と首をかしげていると、

I嬢 「出てましたよぅ。トランポリン、トランポリン。ふふふふ」
わたし「うぅ、思い出せない……」
 帰りに、新宿駅で降りて駅ビル、マイシティで洋服やかわいい日用雑貨などをひやかしてから、帰宅。自宅の本棚の奥底から、件の本を発掘し、読み返す。トランポリン、トランポリン……。あっ、ほんとだ。
 しかし、好きな作家の作品に好きなアイテムが出てくるとわけもなくうれしい、という気分はほのかにわかる気がする。トランポリン、トランポリン、とか。スフィンクス、スフィンクス、とか。ふふふふ。

二月某日

 通いなれた「サムの店」のチーズケーキまるごと二個。所員が木蓮の花でデコレート。(強盗殺人犯ハロルド・マックイーンの最後の晩餐。1997年夏。アメリカ・ケンタッキー州。電気椅子)
 大海老のバター炒め二キロ、チョコレートアイス、コーラ二リットル。(コンビニ店主など五人の多重殺人犯マイケル・デュローシャーの最後の晩餐。1993年夏。アメリカ・フロリダ州。電気椅子)
 所員が捕まえた野兎の肉のソテー、ビスケット、ブラックベリーパイ。(強盗殺人犯チャールズ・ウォーカー。1990年夏。アメリカ・イリノイ州。薬物注射)


 ――スパゲティを待ちながら『死刑囚 最後の晩餐』(タイ・トレッドウェル、ミッシェル・バーノン/筑摩書房)を読む。

 一仕事終えてぷらぷらと外に出ると、新宿はものすごい人出だった。なんだろ、と思ったら今日は日曜日だった。Oh! こういう仕事をしていると曜日の感覚がなく、いつも同じようにパソコンに向かっているため、ときどきこういうことになる。
 買おうと思っていた本を探して、戦場のような紀伊國屋書店一階をさまよう。五千円以上買うと無料配送してくれるのだけれど、はやく読みたいので抱えて、歩き出す。
 で、帰宅する途中にある、三丁目の「のきした」という小さいスパゲティ屋さんに入る。夕方はすいているはずのここも、日曜だし、けっこう混み合っていた。カウンターの隅に滑り込んで、いつもの(たらことうにとシソ)と、時間がかかりそうだしで、先にコーヒーももらう。ここは注文してから麺をゆで始めるので、すいててもけっこう時間がかかる。それに今日は、わたしのあとからもつぎつぎ客が入ってきて、二十人ほどの客席が半分ほど埋まっており、それなのにカウンター内には角刈りにちょびヒゲの、猟師のような、いつものおじさん一人しかいない。
 というわけで、コーヒーを飲みながら気長に待とうと、買い物した本を漁った。『マダム毛沢東』(アンチー・ミン/集英社)、『これが密室だ!』(ロバート・エイディー+森英俊編/新樹社)、『八本脚の蝶』(二階堂奥歯/ポプラ社)なども買ったのだが、たまたま掴んだのがこの本だった。死刑囚たちがリクエストした、最期の食事メニューと、それぞれの罪状、死刑執行の様子などが淡々と記されている。エミネムみたいな食事(ファーストフード的)が多い。最期の言葉もまた、みんなエミネムみたいである。食事と言葉の関連性について、思わず考える。
 作家はそのとき書いている原稿によって、執筆中にかける音楽などを選ぶことが多いけれど、もしかしたら、食べるものもコントロールしてみてもよいかもしれない……。いや、しなくていいか……。
 それにしても、日本版が出たらだいぶ趣がちがう気がする。なんとなく、日本の罪びとはもっとじとじと湿っているような気が。……となりの椅子を指さして「あの、ここに座らせてください」と丁寧なイケメンが座った。牡蠣とホウレンソウのホワイトソースを注文して、携帯でメールし始める。茶色いボールに入ったうにのパスタがようやっときたので、食べる。しばらくして、イケメンのところに運ばれてきた白い皿から、わたしが食べれない(おととしあたった)牡蠣のおいしそうな匂いがしてくる。なんか腹が立つ。
 麻薬を買うために強盗し、十六歳の少女を殺し、死刑となったリッキー・リー・サンダーソンは記者会見の席上、「罪深き堕胎によって生まれてこなかった多くの命のために、俺は食事を口にしない」と、死にゆく自分の絶食を鎮魂の儀式とする旨を語った。自分の犯罪は二の次で熱く語った。ところが空腹にたえかねて、死刑の直前にやっぱり食べると言い出したが、通常用意されるメニュー(ハムとブロッコリー、ジャガイモのコロッケ、サラダ、パン、果物)は刑務所のキッチンになかった。かろうじてシナモン味の菓子パンがあったので、それを食べるはめになった。だから彼の最後の晩餐は菓子パンだった。
 うちに帰ってきて、寝転んで続きを読みながら、いろいろ考える。悪趣味なことに、この本を読んでいるとお腹が減ってくる。死刑囚たちの生への執着が本から飛び移ってくるような気がする。で、なんか首の後ろが重たくなってくる。なんか腹が立つ。

二月某日

「便座上げとけって言ってんだろがっ!」

「ぼくがどれだけもてないか、おまえもよく知ってるだろう!」

「豚みたいな食べっぷりね」

 ――読書にまつわるすごいこと(たぶん)を発見する。

 夕方、執筆を終えてから、打ち合わせのために新宿の椿屋珈琲店に出かける。ちょっと早めに出たらちょっと早めについたので(そりゃそうだ)、三越の七階にあるジュンク堂に寄って、とてもほうってはおけないオーラを出していた西村賢太氏の『どうで死ぬ身の一踊り』(講談社)を買う。
 打ち合わせのあと、初めて入るお店でへんなカクテル(まるごと苺とカシスと牛乳)を飲んで、ずーっと本の話をする。この人と会うとなぜだかずっとガルシア・マルケスの話と、それに魂が近いもの(のような気がする小説や映画やマンガ)の話になる。十二時頃にわかれて、ふらりとTSUTAYAによる。東京事変の新しいアルバム「アダルト」が出ていたので、ふらふらと買う。
 CDを買うたびに必ず思うのが、自分の音楽の趣味がふっつうだなぁ、ということで、べつに悪いことじゃないんだけど、中学生のころの全能感の滓がどこかに残ってるのか、なんとなく、毎回、ふっつうの自分にがっかりする。きっともっとずっとマニアックな人でいてほしいのだろう。大人になった、自分という女性に。そろそろ、いい加減、そういう自分を許していいころなのになぁ。
 それはともかく、帰宅して、お風呂に入って本のほうを途中まで読む。おもしろい。お風呂から出て、買ったCDのことを思い出して、かける。本をまた読み始めて……ギャッ! 驚く。これまで知らなかった感覚におそわれる。
 『どうで死ぬ身の一踊り』と「アダルト」がものすごく、あうのだ。さっきお風呂で無音で読んでたときとぜんぜんちがう。奇妙なドライブ感が全身を駆けめぐり、もっと踊れとせめたてる。ページをめくる。めくる。めくるったらめくる。ものすごーくあう。これからこの本を読むすべての人に教えたい、と思ったものの、余計なお世話だなぁと思ってやめてみる。
 こう、たとえるなら、このワインとこの料理はすごくあうとか、よくわかんないけどそういうのと同じなにかなのかも。本と音とのあいだにそれがあるとは、知らなんだ。
 たいへんな剣幕で読み終わる。あぁ、おどろいた。本を閉じ、CDを消し、時計を見上げると午前三時。布団をかぶって、夢も見ずにぐったりと寝る。



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