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続々・桜庭一樹 読書日記
【第5回】(1/2)
2008年8月
桜庭一樹

変なカルテットの夜
【桜庭一樹写真日記◎変なカルテットの夜】 飯田橋「鳥どり」にて。長期の緊張が緩和され、へんな飲み物「生カルテットサワー」を頼む。向かい側のK島氏は南国の花が突き刺さったもっとへんなものを飲みながら焼き鳥を頬張っていた。ようやくの脱稿直後。すべてがやわらかくなっていく夜……。(桜庭撮影)

 レイモンド・チャンドラー

 「汗をかきたかった」というセリフを、白いノートの見開きページに行間をあけて三度書きつけてみる。次に、このセリフを発する男の人物描写と、この男の居る場所を応酬で表現する。そして最後に「なぜ?」や「どうして?」の疑問符の付いたセリフをとびきり美しい女性に言わせる。あとは大事にこの男の癖を書きこんで、「汗をかきたかったんだ」という言葉でしめくくる。何も起らないのに、たいへんなドラマがこの場所以外で起こっていることを感じて、読み手は手に汗を握る。

――『本の話 絵の話』

 8月某日

 相変わらず、書き下ろし長編のために缶詰になっている。
 けど、一日だけ、人に会う予定を入れることにした。
 夕方、今日の分の原稿を終えて出かけようとしたら、先日インタビューを受けた雑誌〈一個人〉のゲラとデータが届いた。なにげなく自分の写真を見て、ギョッとする。
 友人Aとそっくりに写ってる……?(なんでだ?)
 前から、自分が写真を撮られるたびにぜんぜんちがう顔で写っていて、あまりにも特徴がないのと骨格が不安定(?)なのが若干、気になっていた。先月末に出たムック『桜庭一樹〜物語る少女と野獣〜』でも、写真のたびに顔がちがって自分でも不思議になり、思わず鏡を覗いた(ら、いつもの“オデコの人”が写っていたのだった)。
 そういえば、このインタビュー前日、友人Aと飲んで、地獄のように煮詰まる恋バナを三時間ほど聞いていた。三時間は長い。後半、酔って相槌のタイミングも二、三秒ずつずれてた。でも聞いてるうちに感情移入する部分もあり、なるほどなー……恋愛やねー……と思いながら帰宅して、風呂入って寝たのだ。
 それで、似たのか? 顎の角度や、意味深(?)な含み笑い、伏し目がちな感じが、自分の写真では見たことないけど人の顔としてはそうとう見慣れた感じになってる……。えー……。
 それで思い出したけど、直木賞の授賞式のとき、編集さんや書店員さんに「おかあさんにそっくりー」と言われて、内心、そうだったっけ、あまり言われたことないけどな、と首をかしげた。
もしかしたら母とわたしが似てるんじゃなくて、“あの日のわたし”だけが、なぜか“母に似た”のではないか?
 ……。
 よくわかんないので考えるのをやめる。出かけなきゃ。
 近所の喫茶店でインタビュー(〈ダ・ヴィンチ〉の古典特集)を一本受けてから、待ち合わせの、新宿二丁目のイタリアンレストランに向かう。ブリーフ専門店の隣の、二階にある。ほどなく角川書店の単行本担当K子女史、単行本編集長H内氏、〈野性時代〉編集長K良氏、〈野性時代〉新担当M宅氏がやってくる。
 今日は、例のムックの打ち上げである。ワインを飲んで、前菜→パスタ→肉か魚、といった順番は無視して好き勝手頼んで、きたのから順番に争ってもりもり食べる。おいしいなー、ここ!(店員が全員、色白の美青年なのが気になるけど……)
 H内氏が「こないだ、デパート好きな女の人がいて、『わたしは生まれ変わったら伊勢丹になりたい!』って言っててびっくりした」と言うので、切ったフランスパンの上に、熱々にんにくオイルの海から救出したムール貝をのっけて、スプーンでほぐそうとしながら(ほぐさないと舌を大火傷するらしい)、

桜庭「伊勢丹〜? 紀伊國屋書店になったほうが楽しいですよ」
H内「いや、そういう問題じゃなく、人間が建物に生まれ変わるってのは、あなた……」
桜庭「テアトル新宿もいいな。漢なら、バルト9(シネコン)よりこっちでしょう」
K子「それはわかる」
店長「火傷するわよ! ほぐしなさいっ!」
桜庭「きゃっ。危なかった」
店長「この店オープンしてから、三十人は舌の皮膚がべろっとむけてるのよ。ちゃんと注意してるのにっ」
 とかなんとか話しているうちに、遅れて文庫編集長G司氏が現れた。椅子に手をのばしながら早口で「桜庭さん、キム・ギドク監督好き?」と聞くので「好きです。『弓』がよかった!」「『悪い男』も見た? まだ? すごくいいよー。日本で言う北野武みたいに、韓国では興行的には厳しいらしいけど」「あ、そういやこないだインタビューにきた韓国の新聞記者さんも言ってました。その分、彼には世界中にディープなファンがいるんだ、わたしもだぜ、って暑苦しく主張しといた……」「へぇ。で、あらすじはねぇ……」
 お酒、進む。
 みんな一通り、ムール貝をほぐす件で店長に注意される。
 低予算で撮られて、当時は興行的にも失敗して、でも歴史に残った映画、の話になって、『未来世紀ブラジル』、つぎに『ブレードランナー』の話題になる。するとG司編集長、ルドガー・ハウアーの最後のセリフを英語で叫ぶ。

G司「I've seen things you people wouldn't believe...!(私は、君たち人間には想像もできないものを見てきた)」
桜庭「へぇ……(英語ワカラナイ)」
G司「Attack ships on fire off the shoulder of Orion! I watched C-beams glitter in the dark near the Tannhauser gate!(オリオン座のわきで炎に包まれる攻撃型宇宙船タンホイザーゲートの近くで、見た闇に輝くCビーム)」
桜庭「フム」
G司「All those moments will be lost in time, like tears in rain!(そんな瞬間も、時が来ればすべて失われる、雨の中をつたう涙のように。死ぬ時が来た)」
 そんなに好きなのか……(って、わたしもだけど……)。
 だいぶお酒が進む。G司編集長、マジック・リアリズムと言おうとして「ブラック・リアリズム」と言いまちがえ、なんとそれを訂正せずに、新しいジャンルとして成立させ始める。みんな、次第にそういう呼び方が昔からあったような気がし始める。ケッチャムとか。ブコウスキー? いや、ピンチョンの方角?
 ちょっと小休止。
 G司氏の隣にいてずっと静かだったM宅氏が、にこにこしながら話し始める。4月から新担当になった人なのだけれど、わたしはその4月から缶詰に入ったので、各社の新担当になんとまだぜんぜん会ってない(もう8月だ、まずいけど……)。M宅氏ともほとんど初対面だが、じつはわたしはさっきからずっと気になっていて、どうして誰も口にしないんだろうと疑念を感じていた。
 M宅氏は……イケメンなんじゃないのか?
 もちろん見分けがつかないので勘でしかないけれど、シュッとしていて、態度は控えめながら、スマートな自信を感じる。G司編集長の圧倒的狂気(これは作家も見習わんと……)の隣にちょこんと座る姿が、なんというか、お雛様のように、妙に可憐だ。
 ……イケメンなんじゃないのか?
 でも、これだけ騒いでる作家のところに、あえてイケの人が新担当として、やってくるかな? なにせつい先日〈an・an〉編集部から「イケメン嫌いとして業界に名を馳せる桜庭一樹さんにぜひインタビューを」というおそろしい依頼がきた(超ビビッて断った……)ぐらいなのだ。
 しかし……。
 確か「角川書店に、業界に名を馳せるイケメン編集者がいる。その名はM宅」とどこかで誰かに聞いたことがあるような、気がする(模造記憶か?)。
 いや、でも。
 イケなら、誰かが、イケと言うのでは?
 これだけ人数もいるのに。
 うーむ……。
 やっぱり、気のせいかしらん?
 M宅氏が控えめにしてスマートな物腰で話しだしたのは、日曜に漫画喫茶にこもって『ゴリラーマン』(ハロルド作石/講談社)全巻一気読みした、という話題だ。と、K子女史が急に身を乗りだし、

K子「あはは。日曜に漫画喫茶なんて、イケメンともあろうものがー」
桜庭「!」
K子「……んっ?」
桜庭「(立ち上がる)やっぱり! やっぱりイケメンじゃないですか。おかしいと思ってましたよ。なんだかシュッとしてるし、M宅って名前も聞いたことあるし。黙ってましたね? 黙ってたらこの人気づかないと思って、わざと黙ってましたね? くそー」
K子「た、確かに、確かにわざと黙ってました。悪気があって黙ってました。そして、言うならこのタイミング(本人がとつぜん非モテエピソードを披露)しかあるまいと思った。それは認める。でも、そんなこと(新担当が有名なイケメン)でいい大人がそこまで取り乱すことないじゃないかっ。大人げないぞっ、そんなことどうでもいいっ、M宅はいい編集者なんだからっ」
桜庭「とはいえイケメンだーっ」
 争う女二人を、男性陣は一顧だにすることなく、額をつきあわせてワインリストを眺めている。銘柄が決まったらしく、店長を呼んでうきうきと注文する。……それから一斉に「で、なにかあったの?」といった、とても澄んだ瞳(チワワぐらい)で女二人を見比べた。
 ……くー。
 完、敗。
(確かにわたしはエブリディ大人げないし……反省)
 ふらふらで帰宅し、お酒が醒めるのを待ってぬるーいお風呂につかった。美術家、山本容子のエッセイ『本の話 絵の話』(文藝春秋)を中でじっくり読んだ。
 かなり読書家で、読んだ本からのインスピレーションで作品をつくることも多いらしい山本さんの、絵画と読書の結びつき方がとてもおもしろい。わたしも、映画や音楽や漫画やお笑いや、いろんなものの影響で小説を書くけれど、向こうもきっとそうで、垣根はあるけどけっこう低くて、お互いに響きあってるのだな、と思う。
 山本さんが、大好きなカポーティと、自分の銅版画の話を同時にする章がとてもキュートだ。「カポーティを好きなのは、この無垢なるものを鮮やかに描き出してみせる点です。無垢は傷つきやすい。(略)人はふだんそのことを忘れたようにして生きているけれど、カポーティは、ひっかけば血が出るのだといつもいっているような気がします。それが人の心といってもいいかもしれない、と」と告白した後、とつぜん銅版画の話になる。銅版に松脂と蜜蝋を混ぜたのを塗って、上から引っかいて絵にするのだけれど、配分によって表面を硬くすると、上にものを落としても傷つかないぐらいになる。それを針で削って絵を描くのが一般的な方法。でも、山本さんは配分を変えてもっとやわらかな表面にして、自然な傷も残していく。手を置いた指紋とか傷を、偶然……に見せかけて、わざとつけるときもある。あえて壊れやすい表面に絵を描く、その行為には「細心の注意が必要で、要するに繊細な仕事なんですけれども、できあがってみるととても暴力的な絵になっているのです。これが好きなんです。細部は震えてるような繊細さがあるけれど、全体としては暴力的。しかし、じつはやっぱり繊細。ちょっとカポーティみたいでしょう」
 ほー。
 うーん、いいなぁ。
 この子(いや、年上だけど)、好きだな。
こんなふうにして、別ジャンルの人に影響を与えられたら、(思いもかけない角度や、誤読であってももちろんまったくかまわん!)作家のほうもうれしかろう。なんとなくうれしく、楽しくなって、風呂から出た後もこれを読み続けて、でも酔ってるので早めに、バタン&キュー! 寝ーたー……。



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