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2008年8月

今、モーツァルトみたいな子がいたら、スピルバーグみたいなことをやっていると思う。ベートーベンもそうじゃない? ゴッホが生きていて映画をやっていたら、相当すごい映画をつくっていたと思うし。森村泰昌さんが同じように「もし今、フェルメールが生きていたら、優れた写真家になっていたに違いない」と言っているけれど、そのとおりだと思う。

 カメラは見ることの欲望から進化したと思う。

「アート」ってなんだと思う? わたしにとっての「アート」というものは、“生きていくうえで何かを失って、それを支えてくれるもの”だと思う。

「桜がきれいだと思ったら、ずっと見ていなさい」

――『北村道子 衣裳術』

 8月某日

 缶詰、終ーわーるー。
 850枚の長編が書きあがる! ばたーん! きゅー……。密造酒を造ってる穴倉のようなワンルームからふらふらと這い出し、バルト9で公開中の『デトロイト・メタル・シティ』を観ていたら、〈Number〉編集部のT田さん(春まで〈オール読物〉担当さんだった人)から携帯に電話があった。映画が終わってからかけなおすと「ラスベガスに行かない?」「行く!(なんだかわかんないけど、いま無性に遠くに行きた〜い〜)」
 というわけで、自分でもよくわからないうちに、仕事でラスベガスに行くことになった。
 鏡を見るとものすごい菩薩フェイス(目尻は下がり口角は上がり、なんだか似顔絵が書きやすそう……)になっていて、自分でもおどろく。去年のいまごろに『私の男』を入稿して以来、執筆以外のことで忙しくなってしまって、小説は短編しか書いていなかった。ようやく長い物語を書き終えた、と思うと顔もニコニコのマークみたいになろうというものだ。へら〜っとしながらあちこちに「終わった! 終わった! 俺はやった!」と連絡する。
 と、東京創元社のほうで、読書日記の二冊目の最終校了のカウントダウンが始まっていた。5、4、3、2……。おっと、宅急便で送ってもらうのもあれなので、じゃあ編集部でチェックしちゃいますよ、と気軽に地下鉄に揺られて飯田橋へ。
 東京創元社の一階に着き、無人電話で編集部にかける。「桜庭です」「ではエレベーターで四階へどうぞ〜」と言われて、エレベーターに乗りこむ。鏡に写ってる自分をチラッと見て、おやっ、と首をかしげたところで四階に着き、チーンとドアが開いた。

桜庭「わたしちょっと太ったかなーっ!」
F嬢「ワッ! びっくりした……」
桜庭「ん? どうしました?」
 久々に実体をともなって(電話とメールだけでしばらく誰もわたしの姿を見てなかった)現れた作家が、エレベーターから、でっかい声で独り言を言いながら降りてきたので、F嬢(薙刀二段)、両手で心臓を押さえて廊下に崩れ落ちる。
桜庭「あっ、驚かせてごめん……。缶詰が2ヵ月続いて、人に会ってなかったもんだから。独り言のボリュームをおおきく設定しちゃってたみたい」
F嬢「そ、そうとうのボリュームでしたよ、いまの。あわわ……!」
 会議室に通される。K浜氏がゲラの山を抱えてやってくる。おっ? 鼻歌交じりでご機嫌だ。
K浜氏「これ、6時までに片付けようね〜。ぼく、6時半からシルク・ド・ソレイユ観にいくから〜」
 壁時計を見上げると、エッ、もう午後5時。こりゃいかん、と、続いてやってきたK島氏とともにマッハで赤ペンを走らせる。するとほんとに6時ぴったりに終わる。すげー。みんなすげー。
 それから、いろんなことの打ち上げも兼ねて、いつもの飯田橋駅前「鳥どり」で飲むことにする。読書日記二冊目と、わたしの長編脱稿、K島氏も今月はどえらい忙しかったらしく、諸々片付いためでたさで乾杯。
 多忙中、情報交換は主に真夜中のメールだったので、そこで話題に出た内田けんじ監督の映画『アフタースクール』の話になる。あれは海外サスペンス好きにはたまらない二転三転四転五転の活劇じゃった、きっといまごろ、杉江(松恋)さんや川出(正樹)さんもキャッキャと喜んでおられることじゃろう……。
 それと、興奮のあまり劇場で買ったパンフレットに監督のインタビューが載っていて、
「いつもいい人が主人公ですが、実は悪い人になった方が生きやすい世の中かもしれないのに「良心」というカルマを抱えてしまった人間の葛藤ですね。悪意だったり、人を憎む気持ちと同じように、望む望まないにかかわらずほとんどの人が持ってるもんだと思うんです」
 とあったので、それを読んで伊坂(幸太郎)さんの小説を思いだした、という話もする。いまは、人情の噺が成立し辛く、いい人でいることがなぜか十字架になってしまう時代かもしれない。にもかかわらずいい人はいまだたくさん存在し、彼らは社会に居場所を見つけ辛くなっている。だからこそ、伊坂さんの作品はいまを生きるたくさんの若い人たちに必要とされてるのではないか?
 K島氏から、最近面白かった本は、と聞かれて、いさんで、佐藤雅彦編纂の『教科書に載った小説』(ポプラ社)の話をする。佐藤氏は著名な広告クリエイターで、都会のお洒落な文系メガネ君というイメージが勝手にあり、敬遠してきたが(ほんとにすみません……)、この本の解説によると、伊豆半島の人口五千人の孤島出身で、本屋もなく、小学校教員だった父親の書斎で国語の教科書に出会って小説の魅力に気づいたと言う。その頃むさぼるように読んだ“誰かが通過させたかった小説”群から、お勧めを12本選んだアンソロジー集。これが、もー、すごい面白い!
 水上勉ばりの(?)少年僧と彼を支える母の物語、三浦哲郎「とんかつ」で始まり、永井龍男のへんな「出口入口」、夜中におっさんが障子を這うげじげじを眺めてるだけなのに超面白い、広津和郎の「ある夜」と続き、でもいちばんひっくり返ったのが、横光利一「蠅」だ。
 真夏。宿場。蜘蛛の巣に引っかかる一匹の蠅。車に繋がれた馬の尻からぼたりと落ちる、馬糞。なにかが始まる、直前の、静かなフレーム。なんというか……? 黒澤映画みたいな……? かっこよくて……不穏すぎる始まり。やがて客が集まり、馬車が山道を走りだす。ものすごい短編映画みたいな、奇跡の一篇。乾いた筆致。映像的だけど小説でしかない。すげぇ。
桜庭「読んでて、なぜか、モーパッサンの『脂肪のかたまり』(岩波文庫)とか佐藤(亜紀)さんの『ミノタウロス』(講談社)を読み返したくなりました。とにかく、すごくて、震えた。小説にこんなことができるんですね。小説ってすごくないすか。どうなんすか、これ」
K島氏「おぉ。最近、いい短編を追いかけてますねぇ。それなら……」
 永井龍男の「胡桃割り」と、松浦寿輝の短編集『幽』(講談社)を薦めてもらう。あと、昔、文春文庫で出ていたアンソロジー集《シリーズ 人間の情景》がとにかくすごかった、もう絶版だけど、という話題になる。
 そこに、遅れてF嬢も到着。「生ビールー!」と声を限りに叫んだ後、薄い座布団に体育座りし、両膝を抱えながら、
F嬢「フフ、《シリーズ 人間の情景》ですか。これでしか読めない作品もあるから、巻によっては古本でもまったく出回らなくてどうしても探しきれません。あぁ、ほしい。全巻ほしい。ほしいよぅ……」
 と、ぐるぐる頭を回しだした。そ、そんなにすごいのか……。
 あとミステリーの話になり、大坪砂男の短編集『天狗』(国書刊行会)の表題作は超いいよね、叙情溢れる雰囲気と、あまりにも素っ頓狂な物理トリックのアンバランスさに頭が痺れた〜、とか、中井英夫の短編集『幻戯』(出版芸術社)の表題作が超よかった、とか、いやいやそれはうちで出してる『とらんぷ譚』(創元ライブラリ)にも入ってるっつーの、とか、しゃべってるうちに閉店時間がきた。あれ。もうこんな時間かー。
 久々、酔っぱらって、ご機嫌で、飯田橋駅から地下鉄に乗る。あぁ、そうだ、つぎの小説の締め切りは〈オール読物〉で約束した短編だった。もうつぎの仕事のことを考えなきゃ。と、短編小説のうつくしさと書くことの困難さについて酔っぱらいなりに頭を抱えてぶつぶつと考えていると、ぷしゅー。駅に着いて、ドアが開き、どうも見覚えのある、四十半ばほどのスーツの男性が千鳥足にて乗ってきた。
 ……あれっ?
 Y安さんじゃないか?
どう見ても〈オール読物〉編集長のY安氏(直木賞選考会の司会進行役。家がすぐ近所)だったので、缶詰明けで人恋しいこともあり、叫んで突進する。
桜庭「Y安さん!」
Y安「きゃーっ。……なんだぁ、桜庭さんかぁ。びっくりした。ぼく、シェイクスピアの劇を見た帰りでねぇ。この翻訳家の人がですね……」
 ちょうどよかった。ここで会ったが百年目。と、幻のアンソロジー《シリーズ 人間の情景》の話をする(というか、ねだる)。
 どちらもけっこう酔ってるので、意思の疎通がところどころ難しいが、短編小説とはなにか、という話をしてるうちに、電車が新宿に着いた。話が途中なので、近所のフレッシュネスバーガー(24時間営業。店内はなぜかガンプラだらけで、よく肘に突きささる)に移動する。チャンスなので、個人的にお勧めの短編を教えてもらう。永井龍男の「青梅雨」。安岡章太郎「ガラスの靴」。藤枝静男の「なんとか頭」(うぅ、自分のメモがぐにゃぐにゃで読み取れない。何頭だろう……)。坂口安吾「紫大納言」などなど。フムフム、と、いつもの風来坊ルーズリーフにメモる。次世代に残っていく短編の、時代を超える叙情についてあれこれと話す。
 どれだけ書けるか心許無いけれど、よいものをたくさん読んで、先人からも、いまを生きる人たちやいま目の前で起こってることからも影響を受け更新し続けて、とにかく書いて、書いて、どこかに向かって進んでいかなくては。そして、いつかなるべき最終形態は、例の、書く仏像(よくわかんないけどなんかすごい感じの)だ。
Y安「まじめだねぇ〜」
桜庭「ん?」
 そう言われると、天邪鬼なので、いや、自分は真面目ではない、という主張をする(クレイジーな人と思われたい。世界を恐怖のどん底に陥れたい。あぁ、かなわぬ夢だ……)。
 帰宅して、酔いを醒ますために、風呂の前に床に寝っ転がって『北村道子 衣裳術』(リトルモア)を読んだ。わたしが愛してやまない三池(崇史)監督のB級映画『スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ』の衣装を担当したスタイリストで、独自の世界観を持ち、“アートとしての衣装”から物語の舞台を立ち上げていく仕事人だ。
 アプローチの仕方がどうも常人とはちがう。たとえば森田芳光監督、松田優作主演の映画『それから』をやったときは「実は原作の夏目漱石は苦手なの。そこで、わたしは『それから』を芥川龍之介の目線でやっている」。映画を思い出して、五秒ほどの間の抜けた沈黙の後、「……あぁぁぁ〜!」と、なんと、俺、納得。ほ、ほんとだ。
 『DEAD END RUN』では「浅野忠信君の服は、全部ブッダの絵なの。絵の上から全部コーティングしてもらった。あの衣装はアルチュール・ランボーのイメージも入っている」って、なんだかわかんないけどすごいな。観てないんだよな、これ。観てからこのくだりを読みたかったー……(くぅ、残念!)。
 わたしが三度の飯より大好きな『スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ』は「猛禽類をモチーフにやったわけ。(略)黒と白と赤の世界」くそー、そうか、そりゃ好きなはずだ。
 彼女がまた、役者について語る「わたしは普段気取ってる役者が嫌い。(略)役者はいかに自分の日常をゼロにしていられるが大切。ゼロにするってことは、どこだって寝られるってこと。普段ゼロにしているからこそ、演技のときに十までできる。(略)役者の日常は狂ってていい。それが役者だと思う」は、ほんとうは作家にもあてはまるなぁ、と思った。作家も、自分で舞台と美術(設定)を作って、脚本(プロット)を書いてから、さまざまな人物を演じわける仕事だから。
 この本、興奮するなー。
 と、いつまでも風呂に入らず、ラスベガスの件(ってなんだったっけ?)もすっかり忘れて、床をコロコロと転がりながら、猛禽類の男達が駆け抜ける、黒と白と赤の世界を夢見ていた……。

(2008年9月)

桜庭一樹(さくらば・かずき)
1999年「夜空に、満天の星」(『AD2015隔離都市 ロンリネス・ガーディアン』と改題して刊行)で第1回ファミ通えんため大賞に佳作入選。以降、ゲームなどのノベライズと並行してオリジナル小説を発表。2003年開始の〈GOSICK〉シリーズで多くの読者を獲得し、さらに04年に発表した『推定少女』『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』が高く評価される。05年に刊行した『少女には向かない職業』は、初の一般向け作品として注目を集めた。“初期の代表作”とされる『赤朽葉家の伝説』で、07年、第60回日本推理作家協会賞を受賞。08年、『私の男』で第138回直木賞を受賞。著作は他に『少女七竈(ななかまど)と七人の可愛そうな大人』『青年のための読書クラブ』『荒野』、エッセイ集『桜庭一樹読書日記』など多数。最新刊は今月末刊行のweb読書日記第2弾『書店はタイムマシーン 桜庭一樹読書日記』
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