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続々・桜庭一樹 読書日記
【第4回】(1/2)
2008年7月
桜庭一樹

特装本&文豪Tシャツ
【桜庭一樹写真日記◎特装本&文豪Tシャツ】 7月刊のムック『桜庭一樹 〜物語る少女と野獣〜』の作業が佳境になり、切羽詰ったわたしと担当K子女史はなぜかペアルックで気合を入れるのだった。「文豪Tシャツ第3弾!永井荷風」は新宿ジュンク堂7階のレジ右横にてこっそり(?)販売中。右は革張りの『私の男』特装本。これが最後にならないように……がんばろう……。(桜庭撮影)

 ――ぼくはね、自分は楽しみのために旅をしているわけではない、と思ったことがあるんだ。飢えているもの、満たされないものがあるからだ、と思ったことがある、と私は言った。
 ――きみは旅に賭けてるからね、と速見は言った。
 ――しかし、それは違う。ぼくが旅するのは自分を忘れるためだった。逃避だったんだ。
 ――逃避ね。……だがどこまでも逃避し続ければ、それが君の生きた証明になるんじゃないのか。
 ――そんな日が来るかしら。気が遠くなるような話だね、と私は笑ってしまった。
 ――まじめに言ってるんだぜ、ぼくは、と速見は口をとがらせた。
 ――ぼくは芯から充実感を味わうことができない。自分にとって自分が宙ぶらりんなんだよ。
 ――誰だってそうだよ。頭がおかしいんでなきゃあ、確信なんか持てやしない。

 ――もっと飲んだほうがいい、星が今以上にきれいに見えるだろうから。

――「サント・マリー・ド・ラ・メール」

 長編執筆の缶詰を、一時中断。
 本日はインタビューデー。
 文藝春秋へ。
 新館の座談会室で半日、過ごす。夕方、隣の大会議室に東野(圭吾)先生がいると聞いて、トイレに行ったついでに、廊下から大会議室の擦りガラスにくっついて自己主張(?)しようとしたら、思いっ切り鼻をぶつけ(こんなに低いのに。シンジラレナイ)、鼻を押さえながら黙ってすごすごと部屋にもどった。どうも『容疑者Xの献身』が文庫化されるのでその打ち合わせ中らしい。
 超、気に入っている『むかし僕が死んだ家』(講談社文庫)の一節、「お世話になりました。私はやはり、私以外の誰でもないのだと信じて、これからも生きていこうと思います。」を心の中で唱えながら、座談会室でインタビューの続きを受ける。それにしても、もしもあの一節に出会わなかったらわたしは『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』を書かなかっただろうなー……(しかし鼻イタイ)。
 お仕事が終わって、担当S藤女史、〈オール読物〉のY安編集長(直木賞選考会の司会者)、〈Number〉編集部のT田氏と三人で薬膳中華を食べに行く。
 T田氏はもともと〈オール読物〉の担当さんで、直木賞受賞の特集をやってくれたのだけれど、四月に移動があったのだ。移動の連絡を頂いたときに、山際淳司の『逃げろ、ボクサー』『スローカーブを、もう一球』(角川文庫)の話題になって、テレビ番組でアスリートを見ても表面的なおもしろさしかわからないし、すぐれたスポーツノンフィクションは読物として素敵だ、みたいな話をした。
 で、先週ちょうど、北京五輪の事前特集が載ってる〈Number〉7/18号を読んだところで、谷亮子のインタビューがそれこそテレビでのコピー「妻でも金、母でも金」とかではぜんぜんわからない、禅問答の如き素晴らしさだったので、その話題になった。
 アトランタでは「勝つか負けるかは生きるか死ぬかに等しかった」という谷。しかし現在は、過酷なトレーニングについて「“受け入れる”よりも“吸収する”」「吸収して自分の力に変えていく」「この技には強いけれどこの技を仕掛けられると苦手というような条件を自分の中に作ってしまうと、それだけで勝ち残っていけなくなってしまいますから、相手のすべてを吸収して対応していくような感覚です。同時に自分が得意な技も不得意な技もありません。(略)ひとつひとつを完成させてきたので、これという技がない」と語る。異常なほどの期待を背負いながら、いまや、うつくしい廃墟のように静謐。「命がけになってしまうと、これ以上できないというゴールを自分で決めてしまうことになる」「一回は勝てるかもしれませんが、勝ち続けることはむずかしい」「命がけになって取り組んで、もうやれないと言えたらどんなに楽か」と言いつつ、どの写真も穏やかな笑顔で、もはや闘う仏像。「目の前のことにからだが反応していくだけ」「いつも気持ちの平穏が保たれています」この境地こそが“武道”なのだろうと思いつつ、この若さでそこまで到達する、凄まじいスピード(上昇志向で上を上を目指してるわけではない、自分の道を進むあまり、わたしたち常人の生活から遠ざかっていく……まるでミルハウザーの小説みたいに!)を思う。
 すごすぎてわからない、わかるって軽々しく言っちゃいけない気がするこのインタビューに、T田氏は同行してたらしい。すげー。
 そこからほかのアスリートの話にもなって、家族を背負う選手たちの強さ、が話題に上がった。離散する家族を繋ぎとめる、選手の活躍。コーチと選手の不安定な擬似家族関係。昔、貧しさに苦しむボクサーほど強かったものだ、という説を読んだことがあるけれど、現代においては、家族がそれに匹敵するんじゃないか、とまじめに語り合う。著名なアスリートたちは実は、テレビ越しに感じるほど、上昇志向の強い個人主義の人間ではないのではないか。人が、自分個人のためにがんばれる力には限りがある。でも、崩壊する家族、つまり“世界の滅亡”を背負う若者は、無限の力を出して戦うだろう。テレビを見てると「日本を代表して!」とか「国民の皆さんに感動を与えるために!」とか、テレビ用の短いキャッチコピーをみんな語るけれど、ほんとうは国のためでもテレビの前にいる知らん人たちのためでもなくて、家族のために戦う、おおきな子どもたち、という面もあるかもしれない。
 ただエゴイズムのために人はあんなに高く飛べない。あんなに早くは走れない。いつだって、わたしたちは、誰かのために。
 しんみり……。
 食後、S藤女史が厳かに『私の男』の特装本(革張りで金箔がついてる)を出してくれる。20万部を越えたら作ってもらえるらしい。おぉ、と思いつつ、でもつぎもがんばらなくては、と思う。
 わたしも……。
 いつか書く仏像になれるだろうか?
 いまの顔はもちろんそれにはほど遠い。若い餓鬼の横顔だ。
 精進しようぜ。



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