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続々・桜庭一樹 読書日記
【第3回】(1/2)
2008年6月
桜庭一樹

ソープバトラーの夜
【桜庭一樹写真日記◎ソープバトラーの夜】 サイン会で東京、名古屋、大阪、横浜へ……。大阪で泊まったホテルには、ケーキならぬ石鹸のワゴンを押した「ソープバトラー」が部屋にやってきた!(たくさんありすぎて途中からよくわからなかった……)(桜庭撮影)

 最初、名のないものに名前がついたばかりのころは、みんな仕事の中身で呼ばれてたもんさ。どの町にも粉屋(ミラー)だの鍛冶屋(スミス)だの農夫(ファーマー)だの大工(カーペンター)だのがいて、みんな、その名前で呼ばれていた。ミスター・スミスに、ミスター・ミラーに、ミスター・ファーマー。ところが、もちろん時がたつにつれて、なんでもみんなそうだが、せっかくの伝統がごちゃまぜになって、いまじゃ、どの名前にも意味なんかありゃしない! ミスター・ニュービーだの、ミスター・エドマンズだの。まったく気に入らないね。

 昔はもっといろいろ死んでた気がしませんかね、ずっと昔は。
 いまじゃもなんでも長生きだ。
 おらだって、昔なら、もう死んでる。

「あたしはね、未亡人なの」種を明かすように、彼女は言った。「筋金入りよ。いまじゃ、それが職業みたいなものね。歳とった女にとって大事なのは、自分が誰かじゃなくて、それまでになにを失ったかということ。よくわかったわ」

――『西瓜王』

 4、5、7、8月を長編の執筆に当てるために、6月一ヶ月に目一杯予定を詰めこんでしまった。そしたらすごい強行軍になり、忙しすぎて朦朧とし始めた。
 でも、ばたばたしてるとはいえ、人に会って話すのは、アウトプットの作業だけじゃなくてインプットで、急に元気になることもある。ぐったりするインタビューと、刺激的なんで目がキラキラするインタビューの繰り返しで、ぐったり、キラキラ、ぐったり、キラキラ、とめまぐるしく顔も心も変わる……。
 この日、夜十時にすごい場所に行った。新宿、花園神社の裏辺りにある廃校になった小学校の校舎。確か吉本興業が買い取って自社ビルとして使ってるとのことで、今日は所属のタレントさんと対談があるのでそこの会議室に(といってもどうも理科準備室に見えるけど……細長いし白いし……)行ったのだ。
 一歩入ると、まさしく「ザ・夜の校舎」で、でも照明が真っ白に校舎を、中庭の芝生を、渡り廊下を照らしているので、なにもかもが眩しく光っていてものすごく奇怪な祝祭空間になってる。まるで学園祭の夜みたい。これが毎日? すっげぇ興奮する。初対面のタレントさんに「ここで映画撮りたいですね!」とか「この中庭で夜中にライブやってほしいな……」とか話しかける。人見知りし忘れる(ふだんはひどい)。
 東京ってやっぱりおもしろいなぁ、ととつぜんまた思う。これ思うの何十回目だろう? わたしが好きだなぁここ、とチェックしてるのは、一つは飯田橋にある東京創元社の4、5階辺りで、ミステリーが樹液のようにしみこんだ古いビルの、廊下を、灰皿を持った社長が足早に歩いてる(社長室が禁煙だから?)。戸棚には一冊10円とかの古い本が積まれ、ジーヴズ執事そっくりの担当K島氏がふらっと現れるかと思うと、森茉莉に会ったときの話をしながら、漣のようにI垣女史が通りすぎる。
 二つ目は、今年の初めに遭遇した神保町の青土社のビル屋上。夜の校舎を思わせる、真っ暗なコンクリの階段。ユリイカ編集長(同い年)をして「あんまり近づくと死にたくなりますよー」という、屋上の低すぎる手すり。そこにのっそりと建つプレハブ製の会議室は極寒で、70年代、80年代のカルチャーが詰まっている。
 文化はいつもこういう場所で生まれる。ちいさくて複雑な場所で。それを忘れたらいけない。偉く(くだらなく)なるなよ(わたしも、いまこれ読んでる人も。読者だって、油断してたら、読みながら偉くなっちゃうんだから)。
 ……で、これに匹敵するぐらいこの小学校舎、気に入った。
 上のほうの教室が一つ二つ余ってないかなー、ここで缶詰になったらいったいどんな原稿が書けるだろう、と思うものの、青土社の屋上とちがって警備がえらく厳重そうだ。入れないな……と、あきらめる。
 この日は帰宅して、なんで買ったんだろう、と数日前から自分を不思議に思っていた「西瓜王」(ダニエル・ウェレス/河出書房新社)をてろてろと読んだ。
 著者はティム・バートンが映画化した『ビッグ・フィッシュ』の原作者でもある。アメリカ南部で生まれたぼくは、母をなくし、父を知らない孤児だ。自分のルーツを探して生まれた町を訪れ、出生の秘密を探る。西瓜が名産のその町には、ぼくが生まれた18年前まで、西瓜王と呼ばれるイベントがあった。町でいちばんの童貞を、西瓜王に選んで祭りの日にパレードをさせ、豊かな実りを祈るのだ。なぜなら「成人してもまだ女を知らない男は、町の繁栄を損ないかねない」(な、なんで?)から。西瓜王をみつけるのは、沼地に住む「沼女」の役目。彼女によると、女を知らない男はまだ「一人前ではないから、じっと見つめるとガラス板のように向こうが透けて見える」のだ……(ひどい言われよう……)。そしてどうやらぼくの出生と母の死は、18年前の「最後の西瓜王」と密接なかかわりがあったらしいのだが。
 アラバマの架空の町アシュランドを舞台に、土地、血の呪い、男と女、子どもの涙、人びとのほら話が入り混じった南部ゴシックで、でも、なんていうか……こう、「フォークナーに3の数字がついてアホになった」みたいな、うーむ、なんとも言えない読後感。
 主人公が話を聞く相手によって、亡き母も、町のしきたりも、否定されたり肯定されたりでなかなか真相にたどり着けず、そうやってついにみつけた父は、主人公にとってこれ以上はない「最低で最高の」人だった。ここまでやわらかく噛み砕かれると、かえって、南部ゴシックってどういうものかよくわかる気がするなぁ……。
 へんなのっ、へんな話っ、と思いながら、朝になってようやく寝た。



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