本作『白い雌ライオン』は、スウェーデンの警察小説クルト・ヴァランダー・シリーズの第三弾である。すでに第一作『殺人者の顔』、続く『リガの犬たち』を読みおえ、シリーズの続編を待ち焦がれていた読者も少なくないだろう。
このシリーズは、スウェーデン本国で絶大な人気を得ているのに加え、世界各国に紹介され、年々ファンを増やしているようだ。ドイツをはじめイギリス、フランス、イタリア、スペインなどヨーロッパはもちろんのこと、隣の韓国でも出版されている。三十五もの言語に翻訳されており、すでに全世界で二千万部の売り上げをあげているという。また、世界的に有名なイギリス推理作家協会(CWA)ゴールド・ダガー賞のほか、スウェーデン推理小説アカデミー賞、スカンジナヴィア犯罪小説賞、ロサンゼルス・タイムズ・ブック賞など、ミステリー関連の文学賞を数多く受賞している。一級の作品として世界に認められているのだ。
英米以外の国の作家が、世界でこれほどまでに支持されているのは、きわめて異例のことである。その理由は、単に警察捜査小説としての面白さにとどまらず、人々の心をつかんで離さない魅力を備えているからではないだろうか。国を問わず、現代を生きる者ならば関心の強いテーマと共感せずにはおれない人間ドラマが描かれている。
これまでスウェーデンが生んだ警察小説といえば、なによりシューヴァル=ヴァールー夫妻による刑事マルティン・ベック・シリーズが知られていた。世界的なベストセラーとしていまだ各国で読み継がれている。一九六四年から十年にわたり年一作ずつ刊行されたこのシリーズは、首都ストックホルム警察の殺人課による事件捜査が丹念に物語られる一方で、スウェーデンの社会状況とその変遷をたどる大河小説でもあった。そもそも世界的に有名なベストセラー警察小説といえば、まず筆頭に挙がるのが巨匠エド・マクベインによる現実のニューヨークをモデルにした架空都市アイソラが舞台の〈八十七分署〉シリーズだ。じつは、この〈八十七分署〉シリーズを翻訳して、スウェーデンに紹介したのがシューヴァル=ヴァールー夫妻だったのだ。
ヘニング・マンケルによるクルト・ヴァランダー・シリーズもまた、この流れを受けて書かれた作品のようである。事件の真相解明や犯人の追求を展開の軸にしているのは当然として、現代社会における特異な犯罪と警察による組織的な捜査を現実味たっぷりに活写し、さらには警察署員や事件の被害者ばかりか家族を含め町に生きる人々の生身の姿を作品のなかへ鮮やかに映しだしている。
かつてはニューヨークなどの大都市でしか起こらなかったような事件がいまや世界中どこで発生してもおかしくない時代になってしまった。むしろ平凡な田舎町に凶悪な事件が起こることこそリアルな感じがするほどだ。世界中を震撼させた9・11の実行犯たちはそれまでドイツのハンブルグを拠点にしていたというが、それこそ潜伏先はスウェーデンでも日本でも不思議はないのだ。実際、国際テロ組織アルカイダの幹部が偽造旅券をつかって幾度も来日し、新潟にいたとの報道があった。本シリーズは、スウェーデン南部スコーネ地方の田舎町イースタがおもな舞台ながら、一九九〇年以降における世界の現実ともいえる犯罪がテーマになっている。事件、エピソード、話の展開、会話、思考などがヴァランダーの視点をとおして語られるものの、ひとりのスウェーデン中年警官の物語にとどまらず、いまや近代化をはたした世界中のあらゆる国の人々の問題につながっているのである。
たとえば、第一作『殺人者の顔』のなかで、ヴァランダーは次のような言葉をもらしていた。
「いま自分がいるのは新しい世界なのだ、そのことがいままではよくわからなかった。警官としての自分は、ほかの、もっと古い世界に生きている。どうしたらこの新しい時代についていけるのだろう。世の中の大きな変化、それもとんでもない速さで変わる世の中に、自分は不安を抱いている。その不安を、どうしたらいいのだ?」
同じような科白は、シリーズのなかで再三語られている。本作でもヴァランダーの同僚のマーティンソンが「ふつうの犯罪というのはどこに行ってしまったんだろう」ともらしていたり、警察署長のビュルクが「イースタは静かな町だったのだがなあ」とため息まじりにぼやき「人目を引くような事件はめったに起きなかったものだが。いまでは夢のような話だ」と語るのに対して、ヴァランダーは「それはこの町だけではないですよ。署長が話しているのは、昔のことです」と応えていたりする。
いまやEU(欧州連合)としてひとつになったヨーロッパは、二度にわたる世界大戦を経て、自由で豊かな社会になったかのように見えても、あらゆる問題が解決されたわけではない。東西冷戦の終結後に起きたユーゴ内戦をはじめとする民族紛争やアメリカを筆頭とする欧米諸国と中東イスラムとの対立など、二十世紀末に顕在化した世界的な規模での激しい混乱とその影響もさることながら、本シリーズで描かれているのは、理想的な福祉国家を実現したとして知られるスウェーデンにおいて、近代化こそが社会の悲劇や犯罪を生みだしている皮肉な現実である。
それはなにも寛容な社会へつけこむかのように発生する残虐な殺人事件や外国人による犯罪ばかりではない。家父長制による封建的な大家族主義の時代が終わり職業選択や結婚・離婚が自由にできるようになった反面、ばらばらになってしまった家族と個人の関係が現代人を苦しめているのだ。
主人公のヴァランダーは、ストックホルムにいる娘リンダの成長や自立にとまどったり、老いた父親に振りまわされたりしながら、いわゆるバツイチの中年男として独り暮らしをしている。ここにも新しい時代が映しだされ、先進国といわれる国のどこの町のだれの身にふりかかってもおかしくない現実が見てとれる。急激に変わる社会へのとまどいとその流れに乗れず自分が見捨てられてしまったかのような不安。おそらく多くの人が、ヴァランダーと同じような気持ちを抱えているにちがいない。
もうひとつ、このシリーズを特徴づけている大きな要素は、どことなくあらわれているユーモアとペーソスではないか。思わず頬がゆるんでしまうような人間臭い一面があちこちに描かれている。オペラをこよなく愛する中年男のヴァランダーは、時代の変化にすんなり適応できないばかりか、捜査にせよ恋愛や家族の問題にせよ、なにごともうまくいかず悩みを抱える。そんな彼の人柄を忍ばせるエピソードが随所に織りこまれている。
とくに印象深かったのは『殺人者の顔』において、ヴァランダーが元妻のモナと逢い、もうふたりの関係が決定的に終ってしまったと感じて別れたあとのシーンである。飲んだワインがまだ体から抜けきっていないのに運転しているところを署の警官に見つかった。飲酒運転のかどで職務停止は避けられない。ところが同僚は、それを見逃してくれたばかりか、家まで送ってくれた。ヴァランダーは、そのことでますます自己嫌悪に陥り酒を飲む。やがて素面に戻ったとき「おれは最低の警官だ」とつぶやく。「どうしようもないやつだ」と。
ヴァランダー自身はあくまで真摯で精一杯に生きているつもりなのだが、どこかしら不器用な男の滑稽さがあらわれている。
本作でも、似たような状況があちこちに見られる。空き巣に入られたり、離れて暮している父親が結婚すると言いだしたりして困惑する。そして、『リガの犬たち』で知り合った女性バイバ・リエパへ酔って国際電話をかけたり幾度も手紙を書こうとする。迷惑かもしれないと分かっていながら未練を捨て切れない。
本シリーズは、近代社会ならではの異常な犯罪や国際的な事件をテーマにしている一方で、ごく普通の人がもつ感性を忘れていない。だれにも情けない面があり、それをどうにかしようと思えば思うほどよりみじめな結果に終ってしまう。まわりの人たちは、そんなダメ男のヴァランダーをいつもあたたかく見守っている。海外小説を読む大人の読者ならば、どの国の人であっても、こうした人情の機微に感じいるはずだ。どれほど時代が著しく変化しようとも、なお変わらない人間の自然な気持ちがそこにある。このシリーズが、世界中で愛される大きな要素のひとつだろう。
第三作となる『白い雌ライオン』は、よりスケールアップした長編作に仕上がっている。単に作品枚数がおよそ五割増しになったというだけではない。たとえば、プロローグは一九一八年における南アフリカの場面からはじまる。ここでは、前二作と異なりヴァランダー以外のさまざまな人物視点が導入され、過去と現在、スウェーデンと南アフリカなど時間と空間がときに交錯しながらダイナミックに物語られているのだ。作品のもっとも大きなテーマは、南アフリカの人種差別問題と政治的な陰謀である。
本作が発表されたのは一九九三年。当時、国家反逆罪で二十七年間服役していたネルソン・マンデラも釈放されておりアフリカ人のリーダーとして政治活動をおこなっていた。一九九四年になって、アパルトヘイト(人種隔離)政策が撤廃され、全人種が参加する初の自由選挙がおこなわれたのである。
冒頭こそ中年スウェーデン人女性の謎めいた失踪事件を捜査していく警察小説としての展開を中心にしながらも、ある現場に残された、黒人の指、南アフリカ製の銃、ロシア製の通信装置などの発見により、次第に国際的なスケールの謀略をめぐる冒険活劇へと趣を変えていく。すでに前作『リガの犬たち』では、バルト三国のひとつラトヴィアの独立運動に関係する事件が扱われており、後半はまるでスパイ小説のような展開だった。思えば刑事マルティン・ベック・シリーズの第二作『蒸発した男』は、東欧で失踪した男の行方をマルティン・ベックが追うという話。なによりヘニング・マンケルは、英国のミステリー・サイト(TANGLED WEB UK'S CRIMESCENE)のなかのインタビューで、影響を受けた作家として、シューヴァル=ヴァールー夫妻やエド・マクベインとともに英国スパイ小説の大家であるジョン・ル・カレの名を挙げていた。こうした警察ものと国際謀略ものの融合は、もともとの構想にあったのだろう。
作者は、長い期間アフリカに滞在していたが、帰国したときスウェーデンにおける人種差別が悪化していると感じたそうだ。それを犯罪小説のかたちで書こうとした、と述べている。これがクルト・ヴァランダー・シリーズを生みだすそもそものきっかけなのである。第一作『殺人者の顔』で外国人に対する偏見や移民排斥運動が事件に絡んでいたり、ヴァランダーの娘のリンダがアフリカ人とつきあっていたりするのも、みな作者自身の創作テーマにつながっていたのだ。
【骨太でスケールの大きな傑作 CWAゴールドダガー賞受賞シリーズ ヘニング・マンケル 『白い雌ライオン』を読む】
(2004年9月10日)
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