この上なく楽しい傑作ミステリ……なのか?

ジャック・ルーボー『麗しのオルタンス』

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  私ことアレクサンドル・ウラディミロヴィッチは、狂おしくも高貴な不倫の恋の落とし子である。……私の食生活は次のとおり。朝には牛乳、ただし、清潔なコーヒーの受け皿に注いだグロリア牛乳に限る。肉はヒレ、ミンチにした生肉に限る。週に一度はバルト海でとれた鰊のクリーム煮を出すこと。その他はその日の私の気分次第。私の世話を託されたベルトランドよ、この名誉をありがたく受け止め、いかなる場合にも私の出自と私の将来の身分に鑑み、それにふさわしく私を待遇しなければならない。とりわけ私に声をかけるときには、敬意を持ってあなたと呼びかけ、フルネームを使用しなければならない。アレックス、ウラディ、猫ちゃん等の省略やあだ名はかたく禁ずる。
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  これは、猫のアレクサンドル・ウラディミロヴィッチが子猫時代、かごに入れられてエウセビオス夫人に届けられた折に添えられていた書状です。
『麗しのオルタンス』のオルタンスとは、哲学を専攻する美しい女子大生、そしてアレクサンドル・ウラディミロヴィッチは、さる高貴な血を引く猫です。彼は雌猫チューチャに思いを寄せるのですが、チューチャとは、大哲学者オルセルにゴロ鳴きを聞かせるために雇われている猫なのでした。
 そんな彼らが生活する平和な街に起きる連続〈金物屋の恐怖〉事件! 深夜0時直前、金物屋で大音響とともに鍋が散乱するという奇天烈な事件。犯人は誰? 動機は何か? オルタンスの恋の行方は? アレクサンドル・ウラディミロヴィッチの恋は? 何がどうなる? 文学実験集団ウリポの一員である詩人で数学者の著者が贈る珍妙でミステリアスな物語。

 とにかく傑作です。文学の実験、などと書くと七面倒くさい作品だろうと横目でスルーという方々も多いかと思いますが、いえいえ、そんなものではありません。
 ご用とお急ぎでない方、いえ、ご用があろうとお急ぎであろうと、これはやはり読まずにすませるわけにはいきません! と私(って誰?)は机を叩いて主張するのであります。

 まるで毛糸玉をもてあそぶ猫のように、ジャック・ルーボーは小説のあらゆる定石と戯れてみせる。その珍重すべき軽やかさが、この上なく楽しい。
――若島正


(2009年1月6日)