中世歴史本格ミステリの傑作
ポール・ドハティー
アセルスタン修道士シリーズ

 ポール・ドハティー。
 1985年のデビュー以来、いくつものペンネームを使い分け、精力的な執筆活動を続けているイギリスの歴史ミステリ作家です。

 ひとくちに歴史ミステリといっても、彼の場合は扱う時代も国もさまざまですが(16世紀のイギリスからアレクサンダー大王の時代、はては紀元前のエジプトまで!)、この『毒杯の囀り』に始まる〈アセルスタン修道士シリーズ〉は、14世紀後半のイギリスが舞台となります。それはチョーサーが『カンタベリー物語』で描いた時代であり、日本でいえば室町時代のはじめ頃、3代将軍足利義満の時代に当たります。

 1377年のイギリス、ロンドン。物語は、ひとりの男の死で幕を開けます。男の名は、エドワード3世。フランスとの間に百年戦争を始めた張本人であり、50年の長きにわたり玉座を守った英主のあとを継いだのは、孫であるわずか10歳のリチャード2世でした。
 当然、宮中では国事の実権を握らんとして、有力な王侯たちが策謀をめぐらせはじめるのですが、それに呼応するかのように、ロンドン市街でも血なまぐさく、かつ不可思議な事件が続発します。

 そうした事件の謎を解くことになるのが、本シリーズの主人公を務めるふたり、シティの検死官であるジョン・クランストン卿と、その書記であるアセルスタン修道士です。酒好きで陽気なクランストンと、きまじめな青年のアセルスタンは一見すると凸凹コンビですが、いざ難事件に直面すると、ぴったりと息をあわせ、お互いを補佐して活躍します。巻が進むにつれ、それぞれの持つ意外な一面も明らかになり、コンビとしてますます魅力を増していきますので、乞うご期待。

 本シリーズの、ミステリとして注目すべき点は、時代色豊かな物語の中に、無理なく謎解きの要素が溶けこんでいることでしょう。ドハティーの数ある著作の中でも、最も充実した謎解きが楽しめるという評判に、嘘いつわりはありません。手を替え品を替え、怪しくも心おどる謎とその解明で読者を楽しませてくれるのです。

1.『毒杯の囀り』The Nightingale Gallery(1991)
 貿易商を営むかたわら、王侯相手の金貸しもおこなっていたトーマス・スプリンガル卿が、屋敷の自室で毒殺されます。トーマス卿と仲たがいをしていた執事が疑われますが、その執事は屋根裏部屋で首をつって死んでいました。主人を殺したのちの自殺と思われる状況ですが、アセルスタン修道士は腑に落ちません。
 しかし、トーマス卿の部屋の外は通称〈小夜鳴鳥の廊下(ナイチンゲール・ギャラリー)〉と呼ばれる、歩くと必ず独特の音がする廊下。隣室で一晩じゅう起きていた家族の証言によれば、部屋に入ったのは執事ただひとりなのです。執事が下手人でなければ、事件は不可能犯罪になってしまうのですが……?
 この手ごわい謎を中心に、被害者の遺した奇妙な言葉、〈富者の息子たち〉という秘密結社、さらには謎の襲撃者などの存在が事件を彩ります。アセルスタン修道士は、真犯人の奸計を、白日のもとにさらすことができるのでしょうか?

2.『赤き死の訪れ』The House of the Red Slayer(1992)
 時は1377年12月。ロンドン塔の城守ジョン・クランストン卿が、塔内の居室で殺されます。数日前に謎めいた手紙を受け取って以来、ひどくおびえて対策を講じた卿ですが、自らの身に起きる悲劇を防ぐことはできませんでした。
 しかし、別名〈赤き死の館〉と呼ばれるロンドン塔での惨劇は、これで終わりではありませんでした。同じく謎めいた手紙を受け取った卿ゆかりの者たちが、その後も次々に死んでいったのです。ある者は鳴るはずのない警鐘が鳴ったあと、塔の城壁から墜落死し、またある者は深夜に誘い出されて……。
 奇怪な難事件に当たるクランストン検死官とアセルスタン修道士のふたりですが、今回はそれぞれが難題を抱えていて、思うように捜査が進みません。検死官は愛妻モードの豹変に心を痛めており、修道士はというと教会の墓地から死体が盗まれる事件に悩まされている最中。はたして、名コンビは姿なき殺人者の正体を、見事暴くことができるのでしょうか……?

(2006年9月5日/2007年9月5日)