驍将が遺した「新本格」ミステリ
鮎川哲也『りら荘事件』
解説[部分]佳多山大地

鮎川哲也『りら荘事件』
創元推理文庫

 小説の中で女を綺麗に書くのは容易ですよ。しかしそれは、女を軽蔑しているか、動物視している作家が書くことです。本当のフェミニストは、女性を汚く書いてしまうものなんです。え? 詭弁だろうって? 弱ったな。(鮎川哲也談)

「新本格」という呼称は、ニコラス・ブレイクやマイクル・イネスといった、探偵小説の黄金時代以降に登場したイギリス人作家を総称するのに江戸川乱歩が便宜的に用い、その後も、若い世代の風俗を積極的にストーリーに取り入れ「本格とロマンの融合」を宣言した笹沢左保や、宝石社主催の宝石賞(宝石短編賞)デビュー組で、サスペンス味に謎解きの趣向を掛け合わせた草野唯雄、天藤真らの作風をこう呼んだときがあった。しかし今現在では、綾辻行人の『十角館の殺人』(一九八七年)を嚆矢とする現代本格ルネッサンスを象徴的に指す通称として、すっかり定着した感がある。
 謎とその解明を骨子とする「本格」ジャンル復興【リバイバル】に際し、ではいったい、いわゆる「綾辻以後」の新本格とはどういった傾向を示したのか? その特徴を、やや乱暴ながらも三つ挙げるとすれば、ひとつには、新本格とは〈青春ミステリ〉であったこと。またひとつには、〈探偵小説「形式」の前衛化〉が顕著であったこと。さらにひとつには、〈古典的な天才型探偵の復権〉が図られたということだ。
 現代本格のムーヴメントに、その多くが二十代で参入した新本格派新人の特に初期作は、稚気を忘れた「社会派」推理小説の世界観を抑圧の象徴と見なすレジスタンスでもあった。主要な登場人物を自身にとって遠くない過去である等身大の若者に設定し、閉鎖状況のなかで連続殺人を発生させたり、例えば〈密室殺人〉に代表されるような不可能犯罪が追求されたりした。刑事が聞き込みに靴を磨り減らす人海戦術では追い詰めえない名犯人と対決するため、両雄並び立つライバル役者として天才型探偵が続々現れ出ることとなったのだ。
 以上三つの特徴をすべて備えていた点で、本格派の驍将・鮎川哲也の、長編作品としては『黒いトランク』に次いで上梓された『りら荘事件』(光風社、一九五八年)は、現代の新本格派に確実にその遺伝子を伝えた先駆的達成であるとも評されよう。音楽や絵で身を立てようとする七人の芸大生男女は、自らの芸術センスを疑わぬがゆえに周囲を見下し、訪れた「りら荘」でも事あるごとに衝突を繰り返す。しかしその一方で、青春の時を過ごす彼らにとって最大の関心のひとつは恋愛であって、恋のさや当てやパートナーへの不信が彼らの頭上に暗雲を招き寄せる。死体の傍らにトランプのスペードの札をAから順に落としていく殺人鬼は、警察による地道なアリバイ捜査ではついに炙り出せない。事件の真相は、素人名探偵役の思わぬリレー劇というギミックにも心くすぐられてのち、ついに白日の下にさらされることになる。
 年来の鮎川ファンには周知の案内であるが、本書『りら荘事件』の原型は、今も存続するミステリ同好会《SRの会》の機関誌「密室」に掲載された中編「呪縛再現」であり、現在は『赤い密室 名探偵星影龍三全集T』(出版芸術社、一九九六年)で容易に読むことができる。同人誌上に発表された「呪縛再現」から、雑誌「探偵実話」(世文社)での初出連載を経て成立した長編『りら荘事件』は、ついにこの創元推理文庫版が十二種類目の刊本となる。つまりそれだけ、時代を超えて本格ミステリファンに愛され続けてきた作品なのだ。驍将鮎川の物した「新本格」の魁は、鮎川ミステリ入門の書として最上の長編作品であると信じる。
 なお、一九六八年の秋田書店版で大幅改稿がされたのちも、新旧二種類のバージョンが出回った本書の複雑な来歴については、当文庫版のひとつ前、講談社文庫版(一九九二年)における新保博久の解説が懇切を極めており、あらためてそれを書き記すことは原稿料泥棒のようで気がひける。新しい鮎川ファンは、名探偵・星影龍三の下の名が、著者自身の意向とは違い「竜三」で統一された講談社文庫版のほうも、古書店を回って入手してみてはいかがだろう。

 ――さて。ここから先は、『りら荘事件』を再読三読してきた古株の読者に向けた内容となる。もし本文より先にこの解説に目を通している未読の方は、以下、ストーリーの結末にふれて分析を加えるので、決して読み進まれないよう警告!しておく。(以下略)

(2006年6月6日)