トーマス・オーウェン
『黒い玉 十四の不気味な物語』
傑作「黒い玉」を読まずして怖いというなかれ……
十四の怖い話、いやな話、不気味な話

 雨の中の散歩で出会った娘。両手を血で塗らした彼女に、男は、野原の真ん中に建つ赤煉瓦の別荘へと導かれる。辿りついたのは荒れ果てた邸内の一室。その部屋のベッドには、一人の若い女が横たわっていた。喉もとにはぞっとするような切り傷が開き、溢れ出た血は床にまで滴っていた。動揺のあまり吐きそうになる男に向けて、娘は、男にそっと頼みごとを……。(「雨の中の娘」)

 宿での夕暮れ、彼がつけた明かりに驚いたかのように、椅子の下へ飛び込んだ〈それ〉。何かと見間違えたんだろうか――椅子に座りながら彼は考え込んだ。しかし、かぼそい規則的な息づかいが、自分の下の方からから聞こえてくるような気がしていた。地中にもぐった用心深い動物の息づかいに似た気配が気にかかり、彼は椅子の下を覗き込む……。〈黒い玉〉としか言いようのない奇妙な物体の正体とは? 彼を待ち受けるおぞましい顛末。(「黒い玉」)


 ベルギーの幻想派作家、トーマス・オーウェン(1910〜2002)の短編集「黒い玉 十四の不気味な物語」をお届けします。

 本書の著者トーマス・オーウェンは、本国のベルギーをはじめ、ヨーロッパでは著名な作家ではありますが、日本ではあまりなじみのない名前かもしれません。

 簡単に経歴を紹介いたしますと、1910年、ベルギーのルーヴァンの生まれ。大学で精神病患者の犯罪についての研究で博士号を収得したのち、弁護士として企業の法律顧問を務めています。小説を発表し始めたのは戦時中のこと。初期の作品は推理小説で(ちなみにトーマス・オーウェンとは、作中の探偵に由来するペンネームです)、1947年に幻想小説作家へと転身、以後次々とこのジャンルの短編小説を発表し、幻想小説作家としての揺るぎない地位を築きました。その活躍の場はフランスまでにも広がり、1976年にはベルギー・フランス語フランス文学アカデミーの会員に選ばれています。

 本書は、そんなトーマス・オーウェンの代表的な作品30編を収録した「不気味な物語 黒い本」(Le Livre noir des Merveilles, 1980)から14編を訳出したものです。

 この14の怖い話、いやな話、不気味な話に共通するのは、現実への強い執着。
 淡々と、しかし執拗に描かれるありふれた日常の風景に、かすかに生じる亀裂。そこからあふれ出す恐怖・悪意・愛憎で、読む者を一気に暗く深い闇へと引っ張り込みます。

 本書収録の“14の不気味な物語”は、総じて短めで、5ページの掌編ともいえる作品から、長くても20ページ。その意味で、夜寝る前に少しずつ読むのに適した短編集とはいえましょうが、強くおすすめはいたしません。毎夜いやーな気分で眠ることになってしまいますから。

■収録作品
雨の中の娘 
公園
亡霊への憐れみ
父と娘
売り別荘
鉄格子の門
バビロン博士の来訪
黒い玉
蝋人形
旅の男
謎の情報提供者
染み
変容
鼠のカヴァール

(2006年5月8日)