ここにお届けするのは、わが国で独自に編んだエドモンド・ハミルトンのSF傑作集である。わざわざ「SF」と断ったのは、姉妹篇として「幻想怪奇」傑作集が予定されているから。2冊あわせてお楽しみいただきたい。
まず本書の編集方針を説明しておこう。
ハミルトンといえば、もっぱら痛快無比な宇宙活劇(スペース・オペラ)の書き手として知られており、その代表作が本文庫から邦訳の出ている《キャプテン・フューチャー》シリーズや《スター・キング》シリーズであることはまちがいない。
だが、そのいっぽうでハミルトンには、途方もない奇想を情感たっぷりに語る短篇の名手という側面もあり、わが国では早くからこの側面が強調されてきた。げんに本国アメリカより早い時点でハミルトンの傑作集が編まれている。それが1972年に出た『フェッセンデンの宇宙』(早川書房)だ。同書はハミルトンの主要な奇想SFをまとめたものだが、これに対し「情感面が強く出たもの」を中心にした作品集が、1982年に刊行された『星々の轟き』(青心社)である。
こうしてたがいに補完しあう2冊の短篇集が出たわけだが、残念なことに、どちらも長らく入手困難な状態がつづいており、短篇作家としてのハミルトンを称揚する声は絶えない反面、実物に触れる機会は失われたままだった。こうした状況を是正したくて、編者が2004年に上梓したのが『フェッセンデンの宇宙』(河出書房新社)である。
同書を編むさいに心がけたのは、「短篇作家ハミルトンの幅広い活動を網羅する」という点だった。ハミルトンの中短篇を100以上読んだ経験から、わが国の読者にはあまり知られていない側面にもスポットをあてたいと考えたのだ。その結果、同書にはSFだけではなく、純粋な怪奇小説やファンタシーや秘境ロマンも収録した。とはいえ、「浅く広く」をモットーにしたため、編者にとってふたつの点が心残りとなった。ひとつは、同傾向の作品は1篇しか選べないことになり、数多くの秀作をとりこぼす結果になったこと。もうひとつは紙幅の都合で、作者の表看板ともいえるスペース・オペラを収録できなかったことである。
そういうわけで、ハミルトンの短篇をもっと紹介したいと思っていたところ、望外のチャンスがめぐってきた。東京創元社のご厚意でハミルトンの傑作集を新たに編めることになったのだ。それもSF篇と幻想怪奇篇の2冊を! いうまでもなく本書はその第1弾であり、ハミルトンの数多いSFのなかから秀作を選りすぐったものである。
ちなみに収録作10篇のうち3篇が本邦初訳。3篇が単行本初収録。残りの4篇が定番的な作品であり、早川書房版『フェッセンデンの宇宙』との重複は1篇、『星々の轟き』との重複は3篇というラインナップになっている。作品の配列は発表年代順であり、作風の変遷が如実に見てとれるはずだ。なお、旧訳がある作品もすべて本書のために新訳を起こしている。
さて、前口上はこれぐらいにして、作者の紹介に移ろう。
エドモンド・ムーア・ハミルトンは、1904年10月21日、オハイオ州ヤングスタウンに生まれた。父方からアイルランドとウェールズとネイティヴ・アメリカンの血を受け継いでおり、そのことはハミルトンの風貌からもはっきりとうかがえる。
電気も水道もない貧困生活を送った末、6歳のとき、母の故郷であるペンシルヴェニア州ニュー・キャッスルに移住。10歳のときにはハイスクールに入学し、14歳のときにはカレッジに進んで物理学を専攻するという神童ぶりを発揮した。だが、周囲の学生との年齢差に悩み、しだいに内向的になっていく。このときハミルトンは、パルプ雑誌に載っていた初期のSFやファンタシーに慰めを見いだした。具体的に名前をあげれば、エイブラム・メリット、エドガー・ライス・バローズ、ホーマー・イオン・フリントらの諸作である。
だが、厳格な長老派教会の管轄するカレッジで、読書にのめりこむあまり学業や礼拝がおろそかになると、学校側の不興を買い3年次なかばで放校となる。以後は鉄道関係の職を転々としたが、そのうち暇をもてあまして小説を書きはじめた。
デビュー作は、伝説の怪奇パルプ誌〈ウィアード・テールズ〉1926年8月号に掲載された「マムルスの邪神」というメリットばりの秘境小説。これを皮切りにハミルトンの大活躍がはじまる。ほぼ毎号のように〈ウィアード・テールズ〉に作品を寄せるいっぽう、1928年にはアメリカ初のSF専門誌〈アメージング・ストーリーズ〉にも進出。以後はさまざまな雑誌に作品を書きまくった。
このころの作品は、なにより斬新なアイデアを特徴としている。ハミルトンが考案したアイデアをあげれば、「人工宇宙」「極小宇宙(ミクロコスモス)と極大宇宙(マクロコスモス)の戦い」「透過不能の完全暗黒光線」「歴史の他の時代から有能な戦士を集める」「金属の体に脳だけを移植した宇宙人種族」「人類家畜テーマ」「物質転送機による惑星間輸送」「空中都市」「鋼鉄でおおわれた惑星」……と枚挙に暇がない。だが、そのアイデアを埋めこむためのストーリーは、どれも似たりよったりだった。南山宏氏の言葉を借りれば、「何らかの脅威的存在が、地球または宇宙を破滅の危機にさらす。そこへ颯爽と一人のヒーローが登場して、知力と腕力によってその破滅をくいとめ、脅威を撃退する」というパターンの繰り返しなのだ。そのため口の悪い読者から「世界破壊者(ワールド・レッカー)」あるいは「世界救済者(ワールド・セイヴァー)」という皮肉な異名を奉られることになった。
やがてハミルトン自身もこうしたやりかたが自分の首を絞めることに気づき、1930年代にはいると、意識的に作風を変えはじめる。ひとことでいえば、ペシミスティックな暗い情感を盛りこむようになったのだ。その根底にあるのは、少年時代に味わった疎外感だろうが、科学者(科学そのものではない)や文明社会に対する嫌悪感、あるいはあきらめにも似た虚無感が、その作品に色濃くあらわれるようになる。その好例が「進化した男」(31)、「呪われた銀河」(35)、「反対進化」(36)、「翼を持つ男」(38)といった代表的な短篇であり、この年代に集中的に書かれている。もちろん、その頂点に君臨するのが、名作「フェッセンデンの宇宙」(37)である。さらにいえば、スペース・オペラに対する反論のような作品「向こうはどんなところだい?」(52)の原型も1932年には書かれていたという。いずれにしろ、ハミルトンのSFが、時代に大きく先行していたことはまちがいない(とはいえ、SFだけで食べていくことはむずかしかったらしく、この時代のハミルトンはホラーやミステリにも手を染めている。このあたりの事情については、幻想怪奇篇の編者あとがきにゆずりたい)。
ところが、1940年代にはいると、ハミルトンには「通俗スペース・オペラの大家」というレッテルが貼られてしまう。その原因となったのが、《キャプテン・フューチャー》シリーズの成功だった。ご存じのとおり、知力と体力に恵まれた正義のヒーローが、生きている脳、変身の達人である合成人間(アンドロイド)、怪力無双の金属巨人(ロボット)といったひと癖もふた癖もある部下をしたがえ、宇宙狭しと活躍する波瀾万丈の冒険物語である。しかし、皮肉なもので、《キャプテン・フューチャー》の人気が高まれば高まるほど、ハミルトンに対するSFファンの評価は落ちていった。もちろん、このシリーズが「ジャリ向け」の荒唐無稽なスペース・オペラとして軽んじられたからだが、その背景には、当時のアメリカSF界に起きていた大きな変化がある。
というのも、影響力のあった雑誌〈アスタウンディング・ストーリーズ〉の編集長に就任した若きSF作家ジョン・W・キャンベル・ジュニアが、SFの質的向上をめざして改革をはじめていたからだ。キャンベルは正しい科学と論理的整合性をなにより重視し、ハインラインやアシモフらを育てて現代SFの基礎を築いたが、その反面、自分の好みにあわないものをすべて締めだしてしまった。40年代のハミルトンは、その割りを食った形だった。《キャプテン・フューチャー》や『スター・キング』(雑誌掲載47)といったスペース・オペラはもちろんのこと、異様なムードのなかで奇想に近いアイデアを展開する「世界の外のはたごや」(45)や「異境の大地」(49)のような作品、あるいはメタSF的な方向に進んだ「ベムがいっぱい」(42)や「追放者」(43)といった作品の魅力は、キャンベル流のSFを信奉する頭の固い読者には理解の外だったのである。
とはいえ、私生活では実り多い時代だった。当時のハミルトンはロサンゼルスに居をかまえていたが、同地のSFファン・グループとつきあいができ、まだ10代だったレイ・ブラッドベリらとの交友がはじまった。そうして知りあった新進作家リイ・ブラケットと愛しあうようになり、6年ごしの恋を実らせて、1946年に華燭の典をあげたのだ。その後まもなく、夫妻はオハイオ州キンズマンの古い農場を買いとって移住し、同地で執筆にはげむようになる。
おりしも第二次世界大戦後の大規模な社会変革のまっただなか。パルプ雑誌はバタバタとつぶれるかわりに、新興のメディアがSFをとりあげはじめ、アメリカSFは変質を迫られていた。要するに読者層が変わったのである。ハミルトンはこの時代の変化に即応し、1950年代にはいると現代的に洗練された作品を発表しはじめた。その代表格が『時果つるところ』(51)と『虚空の遺産』(60)であり、英米ではこの2作がハミルトンの最高傑作として認められている。しかし、これらの秀作もハミルトンの評価を変えるまでにはいたらなかった。
1960年代にはいると、作風はぐっと内省的なものとなり、東洋的な無常とも共通する静謐な哀感をただよわせるようになる。ところが、またしても皮肉なことに、60年代なかばにはスペース・オペラが復権し、ハミルトンの旧作にSFファンの目が向けられるようになった。こうした動きに呼応して、ハミルトンは現代的なスペース・オペラをめざした《スター・ウルフ》シリーズを67年から発表しはじめたが、3冊で中断。以後は健康を害したこともあって、筆を折ったも同然であり、1977年2月1日に帰らぬ人となった。享年72。遺した小説は、長短とりまぜて277篇におよんだ。
思いのほか略歴が長くなってしまった。以下、収録作品について記す。
●「アンタレスの星のもとに」"Kaldar, World of Antares" 初出〈ザ・マジック・カーペット・マガジン〉1933年4月号。
典型的なE・R・バローズ流のスペース・オペラ。当時としては「物質転送機による惑星間輸送」というアイデアが新機軸だった。掲載誌は短命に終わった〈ウィアード・テールズ〉の姉妹誌である。関口幸男訳が〈SFマガジン〉1970年11月増刊号に掲載。なお続編が2作あり、長らくパルプ雑誌の山に埋もれたままだったが、60年以上たった1998年に熱心なファンの尽力で Kaldar, World of Antares として1冊にまとめられた。
●「呪われた銀河」"The Accursed Galaxy" 初出〈アスタンディング・ストーリーズ〉1935年7月号。
当時の最新科学トピックだった「膨張宇宙説」を材にとった作品。もっとも、すべての銀河がわれわれの銀河系から遠ざかっているからといって、われわれの銀河系が宇宙の中心に位置しているわけではない。たとえば、ふくらむ風船を思い浮かべれば、その上のどこにいても、ほかのすべての点が自分から遠ざかっていくように見えることが理解できるだろう。本篇の科学的誤謬は致命的だが、それでも科学的な知見をバネに宇宙の成り立ちを解明しようとしたSF的/神話的想像力には敬服するほかない。『星々の轟き』にも酒匂真理子訳が収録されていた。
●「ウリオスの復讐」"The Avenger of Atlantis" (改題 "The Vengeance of Ulios") 初出〈ウィアード・テールズ〉1935年7月号。
不死人テーマの作品だが、脳移植というアイデアをからめたところがいかにもハミルトンらしい。ちなみに「体から切り離されても脳は生きつづける」というアイデアは、ハミルトンのオブセッションであり、さまざまに変奏されている。〈SFマガジン〉1971年10月増刊号に関口幸男訳が掲載。
●「反対進化」"Devolution" 初出〈アメージング・ストーリーズ〉1936年12月号。
最良のSFには、常識的なものの見方を一変させる衝撃力があるが、その好例ともいえる作品。わが国へは1962年に紹介され、のちのSF界に多大な影響をおよぼした。これほど非科学的なSFも珍しいが、これほど気宇壮大なSFも珍しい。早川書房版『フェッセンデンの宇宙』にも小尾芙佐訳が収録されていた。
●「失われた火星の秘宝」"Lost Treasure of Mars" 初出〈アメージング・ストーリーズ〉1940年8月号。
《キャプテン・フューチャー》シリーズの第1作とほぼ同時期に書かれた作品。太陽系世界の設定が同シリーズと共通しており、サブ・ストーリーとしても楽しめる。だが、それ以上に留意したいのは、古代文明の遺物やその守護者といった道具立てである。これらから浮かびあがってくるのは、作者が敬愛するA・メリットの秘境冒険譚。つまり、ハミルトンのスペース・オペラには、メリット流秘境ロマンの宇宙版という側面もあるのだ。あまり指摘されない点なので、あえて強調しておきたい。本邦初訳である。
●「審判の日」"Day of Judgement" 初出〈ウィアード・テールズ〉1946年9月号。
本邦初訳。核戦争、放射能による突然変異といった道具立てが、いまとなっては懐かしい。本篇を読んでいると、編者の頭のなかには手塚治虫や石森章太郎の絵で場面が浮かんでくる。じつは編者が鍾愛する一篇。
●「超ウラン元素」"Transuranic" 初出〈スリリング・ワンダー・ストーリーズ〉1948年2月号。
科学実験の暴走を描いた典型的なホラーSFだが、恐怖よりも哀感がただようところが作者ならでは。月面基地のコスモポリタンな雰囲気に時代を感じる。本邦初訳である。
●「異境の大地」"Alien Earth" 初出〈スリリング・ワンダー・ストーリーズ〉1949年4月号。
一種の植物怪談であり、メリット流秘境冒険譚の結構を借りてSF的思弁を展開した作品といえる。ハミルトン夫人のリイ・ブラケットが「埋もれた名作」と評しているが、その言葉に心から同意したい。『星々の轟き』にも宮脇孝雄訳が収録されていた。
●「審判のあとで」"After a Judgement Day" 初出〈ファンタスティック〉1963年12月号。
晩年のハミルトンの作風を端的に伝える佳品。虚無感が、ここでは一歩突きぬけて澄明なものに変わっている。作中に出てくる詩は、G・K・チェスタトンの The Ballad of the White Horse (1911) の一節だが、some sesond birth が a second birth に変更されている。「審判の後に」の題名で〈SFマガジン〉1977年8月号に風見潤訳が掲載。
●「プロ」"The Pro" 初出〈ザ・マガジン・オブ・ファンタシー&サイエンス・フィクション〉1964年10月号。
ハミルトンは早くからSF作家の内面をSFの手法で描いてきたが、その必然的な帰結といえるのが本篇だ。多くの批評家が「向こうはどんなところだい?」と並べて作者のベスト短篇に推す傑作。『星々の轟き』にも伊藤典夫訳が収録されていた。
本書の翻訳にあたって、既訳があるものは大いに参照させていただいた。末筆になるが、すでにお名前をあげた訳者の方々に深く感謝を捧げたい。
(2005年3月10日)
|