舞台はロンドン。時は、ヨーロッパ12ヶ国の加盟によりEUが発足し、映画監督フェデリコ・フェリーニが世を去り、俳優リバー・フェニックスが23歳の若さで急逝した、1993年11月1日、月曜日。物語は、その日の午前6時24分に始まり、午後5時12分に終わる。おもな登場人物は、男女ふたり。彼女の名はヘイゼル、彼の名はスペンサー。
それだけ。長篇小説だというのに。
たったそれだけ、半日たらずという時間の経過の中に、著者はこのふたりの、誕生から現在に至るまでの、人生の様々な出来事を織り込んでいる。同じ日の、同じ時間に、異なる時間軸にいるスペンサーとヘイゼルが存在し、出会い、それぞれの人生の物語を演じる。あるときは新生児として、あるときは小学生として、そしてローティーン、高校生……。
SF用語で言えば多元宇宙か。一種のファンタジイか。いや、著者が語るまま、物語に乗って運ばれていくのが良いだろう。
この小説には、奇妙なほどに固有名詞がたくさん出てくる。映画や演劇やテレビドラマ、小説やパズルブックのタイトル、サッカーやラグビーのチーム名や政党名、作家やスポーツ選手や映画俳優の名前……。
これらもまた、すべて1993年11月1日に、存在したものである。
小説が終わったあとに著者が加えた一文を、いぶかしく思われた方も、多いのではないだろうか。
そう、登場人物名などを除く、これらの名詞すべては、同日のザ・タイムズ(ロンドン版)に掲載されているのである。
たとえば、ナイオ・マーシュの名や、クロフツの『マギル卿最後の旅』などが出てくるのは、H・R・F・キーティングがイギリス推理作家協会についての短い記事を寄稿しているから。ドラマの『野望の階段』や『心理探偵フィッツ』は、TV番組欄に載っている。『イル・バルコン』という演劇は、日本ではまったく馴染みがないが、そのはず、上演案内に見立てたお酒の広告のコピーだ。
そればかりではない。スペンサーが公衆電話から小銭を盗む手口や、ヘンリー・ミツイが独白するイギリスの野鳥のことなども、記事として掲載されているものばかりだ。なぜか突然出てくる「毒針を打ち出す傘」は、元KGB工作員の告白が記事に取り上げられていて、その工作員が暗殺に使ったものだという。
詳しく知りたい方は、図書館で縮刷版などを御覧いただくのが最も早いことだろう。また、同紙のホームページTIMES ONLINEでは、過去の記事を検索、閲覧できる。ただし、こちらは有料だ。
なお、一見誤植と思われるような名詞や、奇妙に思われるところも見受けられるが、著者の意図によるものと解し、そのままになっている。
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著者リチャード・ビアードについては、幸い、本人がホームページ を運営しているので、御参照いただければ幸いである。
ただし、このホームページは英語のみなので、以下に簡単に紹介させていただく。
リチャード・ビアードは、1964年生まれの英国人作家。ケンブリッジ大学卒業後、まずは香港で、次いでオックスフォードで教職につく。とある貴族の秘書を務めたのち、フランスに留学するが、その間はパリの国立図書館に勤務していたという。その後スイスにも留学。帰国後は、イースト・アングリア大学でマルコム・ブラッドベリに創作法を学ぶ。
1996年、X20: A NOVEL OF NOT SMOKING で小説家としてデビュー。これは、禁煙を決意した青年グレゴリーを主人公にした、煙草をめぐる小説。喫煙者の会〈自殺クラブ〉で知り合った、100歳を超える老人のすすめで、彼はただ煙草を忘れるためだけに、手記を綴る。禁煙の進行状況と、喫煙者になるまでの過程、禁煙を決心するまでが、並行して語られていく。本書にも見られる独特のユーモアは、すでにこの作品にもうかがえる。
98年、本書『永遠の一日』を発表。
2000年、 THE CARTOONIST を発表。フランスのテーマパークを舞台に、そこで働く青年フランクと、漫画家志望の青年ダニエルの二人を語り手にした小説だが、フランクの心の葛藤を「ネズミとアヒルの闘い」になぞらえたり、ダニエルが12歳も年下の従妹に恋して振り回されたりで、前2作よりもシニカルな色彩が強い。
03年に来日、東京大学で教鞭を取る。同年、ラグビーに取材したノンフィクション MUDDIED OAFS: THE LAST DAYS OF RUGGERを発表。
04年、DRY BONES を発表。タイトルと、章題が「ユングの膝蓋骨」「チャップリンの肩胛骨」などとなっているところから察せられるように、遺骨の話である。若い教会執事メイスンが、もとより薄かった信仰心を失いかけて迷っているところに、有名人たちの遺骨を手に入れたことから騒動が……という、スラプスティックな物語だ。
なお、ホームページには、大学の講義のために書いたという「漫画」や「ヘミングウェイの英訳」などというタイトルの短篇小説も掲載されている。タイトルどおり、長篇同様の奇妙なユーモアをたたえているようだ。
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この1月、翻訳権エージェントの方々のお計らいで、訳者とともに、ビアード氏にお会いする機会があった。神田神保町で中華料理の昼食をしながら、氏は小説のことや日本の印象、彼が愛するラグビーのことなどを、楽しげに語ってくれた。
そんな中、急に
「日本には、文字が文章の中からどんどん消えていって、結末では文字がひとつもなくなってしまう、という小説があるそうだね」
と尋ねられ、
「あ、それは筒井康隆の『残像に口紅を』だ!」
と、すぐに浮かんだものの、タイトルをどう英訳すればいいのか、50音をどう説明すればいいのか、悩んでいるうちに答えがしどろもどろになってしまった。返す返すも残念だが、ビアード氏のことである。日本滞在中に、きっと原書で読んでしまうにちがいない。
(2004年10月10日)
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