ウォルター・サタスウェイト『仮面舞踏会』
解説[抄録]植草昌実

ウォルター・サタスウェイト『仮面舞踏会』
大友香奈子訳/創元推理文庫

『名探偵登場』のフィル・ボーモントが帰ってきました。
 もちろん、メープルホワイト荘事件の解決後、ピンカートン探偵社にスカウトされた、ジェーン・ターナーも一緒です。
 舞台は前作から2年後、1923年のパリ。アメリカ人出版者リチャード・フォーサイス変死事件の真相を求めて、2人の調査が始まります。のどかなイギリスの片田舎から華やかなフランスの都市へと、背景は変わり、役者のほうも、貴族に替わって芸術家が揃いましたが、危機また危機の大冒険は変わりません。
 ジェーンは調査のため、リチャードの叔父夫婦の家に、子供たちの家庭教師として潜入。一方フィルは、ピンカートン社に協力するいわばフリーの調査員、アンリ・ルドックを相棒に、正面から事件にぶつかっていきます。
 謎あり活劇ありロマンスあり。古き良き探偵小説の盛りだくさんの楽しさに、じっくり浸ってください。

 ウォルター・サタスウェイトの時代ミステリは、遊びの精神に満ちています。
 なかでも楽しいのは、実在の人物や、先人の作品の登場人物の登場でしょう。
『リジーが斧をふりおろす』(松下祥子訳 ハヤカワ・ミステリ)では、童謡にも歌われた殺人容疑者リジー・ボーデンを探偵役に仕立てる、という趣向に驚かされます。が、そればかりか、彼女の回想ではオランダ人の画家ヴィンセントや、サイレント映画時代のスター女優、ナンス・オニールが登場。さらに、ピンカートン探偵社の調査員ハリー・ボイルは、がっしりした体格で、軽口の合間にファティマをふかすあたり、どこかで会ったような気がします。細身に口ひげの、ダシェル・ハメットに似た(実は違う)調査員も、ちょい役で出てくるのはご愛敬。
『名探偵登場』(拙訳 創元推理文庫)は、コナン・ドイルと、稀代の奇術師ハリー・フーディニの共演。どちらも有名なので、史実に基づくネタを拾えばきりがありません。トリヴィアとして面白いのは、霊媒師のマダム・ソソストリス。この名の出典がT・S・エリオットの『荒地』とくれば、怪しげな訛りの彼女が本当に怪しい人に見えてくるでしょう。
 実はこの2作で語られる事件は、同じ1921年に起きています。ボイルがフィルの先輩かと思うと、楽しくなってきますね。
 さらに、本書では、舞台が舞台だけに、さらににぎやかになります。
 フィルとルドックが出会うのは、失踪中のはずの英国女流ミステリ作家。デビュー作がフランス人探偵が活躍する『パイルズ荘の怪事件』とくれば、もう何も言う必要はありませんね。そして、陰から協力してくれるのは、眠そうな眼とパイプがトレードマークの敏腕警視……。一方、ジェーンが遭遇するのは、《狂騒の1920年代》の主役たち。アーネスト・ヘミングウェイ、パブロ・ピカソ、ガートルード・スタイン、その秘書アリス・トクラス、そしてエリック・サティが、事件のあちこちに顔を出してきます。

 もうひとつの楽しみは、独自のユーモア。
 全編が本格ミステリを戯画化している『名探偵登場』は、展開やキャラクターはもちろん、謎解きさえもユーモラスなものでしたが、その楽しさは本書にも活きています。お洒落で食通、絵に描いたようなパリジャンのルドックと、「生粋のアメリカ人」とハリー・フーディーニに呼ばれたフィルの掛け合いの愉快さといい、ヘミングウェイの行動といい、うっかり電車の中では読めません。

 本書の最後に掲載されたジェーンの手紙によると、彼女は次なる仕事で、フィルとドイツに渡るということです。パリでも暗躍しはじめていた、あの国家社会党の本拠地に乗り込むことになるわけですが、はたしてどんな冒険が待っているでしょうか。そして、2人が出会うのは誰でしょうか。
 サタスウェイトが新たな物語を書き終えるときが、待ち遠しくてなりません。

(2004年3月5日)