珠玉の少年小説
テリー・トルーマン『ぼくは生きている』

ぼくは生きている  まずは本書の一節をかかげます。
 ぼくは思い浮かべる、ひんやりした十一月の朝、日の光が窓越しにさしこみ、ぼくの両手を包むありさまを。ぼくは毎晩の入浴について考える。母さんが大きなやわらかいスポンジで背中を流してくれ、髪を、もつれがなくなるまで、ヘアブラシで丹念にとかしてくれるのを。こうしたことすべてが喜びに変わる。ぼくにとってさえ、人生はすばらしいものとなりうる。このぼくにとってさえ。

 静かな感動をつたえてくれる文章ですが、この“ぼく”は十四歳。おまけに脳性麻痺を患い、自分の筋肉がコントロールできません。知能検査の結果は生後三、四か月なみ。しかし、耳にしたことをそっくり憶えていられる才能のおかげで、生まれ育ったシアトルの街もグランジ・ロックも大好きな、普通の少年に成長しました。意思疎通がはかれなくてじれったくなる(なにしろ瞬きひとつ思うにまかせないのですから)ことはあるにしても、それでもぼくは生きている、というわけです。
 物語は“ぼく”が、自分の来しかたと現在の生活を語るところから幕をあけます。聡明で生意気ざかりの少年が人生にむける、活きいきとした眼差しは大変に愉快です。ところが、彼は疑いはじめてしまったと言いだします。父さんは、愛しているがゆえに、ぼくを殺そうとしているんじゃないだろうか?
 結末を書くわけにはいきません。笑わせ、はらはらさせ、心に残る……この珠玉の少年小説を愉しんで、胸に湧く想いをかみしめていただければ、これに勝る喜びはありません。

(2003年7月15日)
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