ダイアナ・ウィン・ジョーンズ『グリフィンの年』
解説[部分]荻原規子

ダイアナ・ウィン・ジョーンズ『グリフィンの年』
浅羽莢子訳/創元推理文庫
グリフィンの年 〈ダークホルム二部作〉の後編『グリフィンの年』YEAR OF THE GRIFFIN (2000) は、『ダークホルムの闇の君』の後日譚であり、前作の登場人物たちのその後が楽しめる。けれども主題を一新して、今回は学園小説と言ってもよい、大学キャンパスに終始する物語になっている。……魔法世界の魔術師大学ではあり、起こる事件のパワフルさにかけては、学園小説の枠組を凌駕するものがあるけれど、とりあえずは。

 舞台は前作の八年後になる。
 チェズニー氏の観光巡礼団に苦しめられることもなくなった魔法世界で、赤字運営に頭をかかえる魔術師大学の教授連が、保護者の寄付金をあてこむ場面から始まる。それは最初、なかなか見込みがありそうに思えた。コーコランの個人教授名簿につらなる新入生は、北の王国の皇太子、帝国皇帝の妹、学生初のドワーフ、高名なダーク魔術師の娘……といった顔ぶれなのだから。
 ところが、新入生と顔をあわせてみると、コーコランが見かけからあたりをつけた学生はことごとくはずれてしまう。さらには、彼らのほとんどが反対を押し切っての大学入学であり、親元に手紙でも届こうものなら一悶着がおきることが判明する。
 このエキセントリックな自己紹介シーンだけでも、キャンパスライフが平穏無事であるはずないと確信できる、わくわくものの物語だ。しかもその後の展開たるや、読者の予想を上回るすったもんだがラストまで続く。
 自己紹介の白眉は、本作品の主人公、ダークの娘エルダだろう。そう、『ダークホルムの闇の君』ではまだ十歳だった、愛くるしい末っ子エルダ。『グリフィンの年』は、成長したエルダのキャンパス青春ストーリーなのである。そして、教授が泡をくうのも無理ないことに、彼女はグリフィンだ。グリフィン……胴は獅子で頭は鷲、翼と鉤爪のある前肢をもつ……ドラゴンやユニコーンとともに紋章などに見られる幻獣。エルダにはちょっぴり猫も混じっていて、金色でかわいらしく小柄なほうだが、それでも特大の農耕馬くらいの体格はもっている。
ダークホルムの闇の君 人間の娘がグリフィン?と、教授でなくとも驚くが、ダークの一家はそうなのである。新種の生物を生み出すことにたぐいまれな情熱と才能をもつダークは、妻マーラとの間に、人間の娘と息子をもうけるのと平行して、二人の細胞を取り入れた知性あるグリフィンを雄二頭雌三頭、卵から孵すことに成功したのだった。
 ダークもマーラも二人の子どももグリフィンたちも、彼らがごくふつうに平等なきょうだいであることを、疑問の余地なく確信している。この確信の深さが、物語にえもいわれぬ心温まる風味をかもしだしている。平均的な家庭ならまちがいなくそうなるように、幼いうちは愛らしい子どもたちも……人間もグリフィンも……十代半ばになれば、親に反抗して自己主張をはじめるのだ。困りながら心配をやめられない親の心情に、ユーモアとペーソスがある。
『ダークホルムの闇の君』は、この扱いにくい十代の子どもたちを抱え、奥さんのマーラとも離婚の危機かもしれず、家庭を憂えるダーク魔術師の物語だった。彼が観光巡礼団にとってのラスボス“闇の君”に抜擢されたことで、破天荒なスケールに発展するにせよ、基調となる物語の推進力は、作者描くところのグリフィンと人間きょうだいの、瞠目に値する平等さである。
『グリフィンの年』も、その基調を継承している。エルダがまた、かわいがられて素直に育った、気だてのいい娘の魅力をたっぷりたたえている。平凡な女子学生と同じように憧れを抱いたり、勝手に幻滅したりもする。登場人物はだれもが個性的だが、まずは柔らかく女の子らしい感情をもつエルダの、個性としてのグリフィンぶりに注目したい。(中略)大きすぎて音楽室にしか寝泊まりできないグリフィンが、大学キャンパスでなんの不思議もなく学友と勉学にはげんでいる……学友も当然のようにエルダを一学生と見なしている……その風景に、前作の家族愛同様、声高に語らない作者の主張が提示されているような気がしてならない。

(2003年7月15日)
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