江戸川乱歩『人間豹』
われらがヒロイン 文代さん危うし!

人間豹  久方ぶりの乱歩作品、『人間豹』の登場であります。まずは〈講談倶楽部〉連載第一回(昭和九年一月)の誌面から、「江戸川乱歩先生愈々出馬」と題された口上書きをお目にかけましょう。

 本誌に曾て『蜘蛛男』『魔術師』『恐怖王』と、稀代の大探偵小説を相次いで発表して読書界を熱狂乱舞させた探偵小説壇の大巨星が、二年の沈黙を破ってここに又素晴しい大傑作を執筆されることになりました。題して『人間豹』、題名からしてすでに奇々怪々を極めているではありませんか。『この「人間豹」の物語は、自分の小説の中で一番面白く書け一番気に入っている材料だ』と、作者も云っておられるだけあって、第一回の抑々から実に無気味で実に面白く、さすがに世界的大作家の大手腕と驚嘆する許りであります。

 いやあ、あおりますね。さてその人間豹、出生の謎を秘めたる怪しの物は、カフェの女給弘子に横恋慕したことを契機に無軌道に走り始めます。「可愛さ余って憎さ百倍」というわけか、紆余曲折を経て弘子を手に掛けてしまうのです。
 恋人の弘子を喪って一年余、神谷芳雄青年は傷心の思い出を忘れさせてくれる女性に巡り逢います。そのひとは、今を時めくレビュー界の女王、江川蘭子。実は弘子と瓜二つ。だからかどうか、人間豹は蘭子を手に入れようと権謀術数の限りを尽くすのでした。一再ならずあわやの境に陥る蘭子。神谷が一計を案じて麻布竜土町の明智探偵事務所に助勢を請うた折も折、時すでに遅く……。
 なおも人間豹は行くのであります。執念く附けつ廻しつ神算鬼謀を巡らすも道理、あろうことか明智の愛妻文代は弘子、蘭子にソックリなのです!
 さしもの名探偵明智小五郎も一敗地に塗れ、せん術なく「ああ、しかし、だめかもしれない……この長い長い貨物列車が、僕の悪運を象徴しているのかもしれない」と頽れる、そんな場面もあり、人間豹の変幻自在ぶりは魔術的なばかりです。
 少年助手小林、名犬シャーロックも見せ場を作っていますが、刮目すべきは危うき文代の身の上。喰うか喰われるか、救出に向かう明智小五郎に運命の女神の微笑は如何?

 既刊と同じく初出誌の挿絵全点を復刻、ビジュアルもお楽しみください。当時の息吹を感じていただけることでしょう。そして、今回出色は浜田雄介氏による解説です。文章が面白く読める上、乱歩的雑学や秀抜な論の展開も楽しい読み物に仕上がっています。ぜひ手に取ってご覧ください。“文代さん、危うし!”の帯が目印です。

 ところで、連載完結号(昭和十年五月)には「本誌次号より又々乱歩先生の大傑作連載!! 闇の声」とあり、「『人間豹』は天下大熱讃の裡に愈々完結致しました。我が乱歩先生は引続き次号より題名の如き大長篇を執筆下さ」るのだそうです。「人間の想像力の一切を絶する大怪奇小説です。愛読者諸賢! 満腔の御期待を以って、秘密の扉の開かれる日をお待ち下さい」とのこと。ううむ、一体どんな小説なのでしょう。

(2002年8月15日)
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