江神さんでも火村助教授でもない第三のシリーズ名探偵、山伏地蔵坊が本書の主人公です。
さて、山伏とは? 辞書には(1)山野に起き伏しして仏道修行に励む僧 (2)修験者 とありますが、時代劇や映画などで一度は山伏の装束をご覧になっていることと思います。
「地蔵坊」は院号、つまり名前です。彼の外見については本書のカバーをご参照いただくとして(ヴァン・ダインみたいだって?)その実体は……「無精髭を生やした顔は一見気難しげで、険しい表情を覗かせることもある。が、だいたいが変なおじさんと呼べば足りる。胡散臭い落語的いんちき山伏の伝統を今に伝える人間文化財」だと僕は思っているのです。
申し遅れましたが、僕は青野良児といいます。銀幕への夢やぶれたあとも青雲の志忘れがたく、レンタルビデオ屋をやって糊口を凌いでいる次第。
小説の舞台はスナック『えいぷりる』における定例会です。ダンディなマスターが切り回す居心地のいいこの店に地蔵坊先生がふらりと現れ、やけに面白い話をしてくれたお返しに居合わせた皆が彼の勘定を肩代わりした、それが土曜の夜の定例となって一年ほど経過――それが第一話「ローカル線とシンデレラ」の頃ですから、結構続いていますね。
いつもおしゃれに決めている紳士服店の若旦那、猫井。町一番の藪と評判の歯医者、三島の見事な禿頭。自称風景写真家の写真館主、床川。可愛いほどに無邪気な床川夫人のふっくら顔。以上、僕を含めた五名が地蔵坊先生独演会の常連です。
先生は仕事上(?)諸国を旅していて、当然見聞も広いのでしょうが、殺人事件に巻き込まれるのが特技(ひょっとして趣味?)としか思えないくらいです。披露してくれる話という話が、ことごとく殺人事件なんですから。毎週毎週ネタは尽きることもなく……。その見聞から七話を採った『山伏地蔵坊の放浪』の収録作品は次の通り。

1 ローカル線の犯人消失「ローカル線とシンデレラ」
2 成金鎧武者と甥の二重殺人「仮装パーティーの館」
3 崖の神殿に住む新興宗教家の爆死「崖の教祖」
4 素封家に隠し子氏登場、波瀾含みの「毒の晩餐会」
5 落ちぶれた元やくざの末路「死ぬ時はひとり」
6 トリュフに端を発する真夏日の事件「割れたガラス窓」
7 雪と共に降って湧いた博士邸の怪「天馬博士の昇天」
これらの事件で地蔵坊先生は、巻き込まれ型サスペンスの主人公役に甘んじているわけではありません。彼こそは名探偵なのです。まさしくデュパンのごとき叡智、ホームズのごとき明察……というと恰好よすぎるか……ともかく名探偵であることは確かです。先生の話を額面通りに受け止めれば、ですが。
いやいや、面白い話を聞かせてもらえるなら、法螺話であろうがなかろうがどっちだって構わないんでした。だからこそ僕は、地蔵坊先生お気に入りのカクテル『ボヘミアン・ドリーム』の二杯目が空く頃に声をかけるのですから。「面白そうですね。ぜひ聞かせてください」と。
土曜の夜は『えいぷりる』へどうぞ。僕の店から駅の方へ歩いて十分、寿司屋の角をひょいと曲がったところです。地蔵坊先生の物語を実際にあった話として拝聴するというのがここでのルールですから、くれぐれもお忘れなきように。
カバー&本文イラスト=北見隆
(2002年7月15日/2004年5月10日)
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