完全新訳版レンズマン・シリーズ1
E・E・スミス『銀河パトロール隊』
訳者あとがき[部分]小隅 黎

E・E・スミス『銀河パトロール隊』
小隅 黎訳/創元SF文庫
銀河パトロール隊 最初におことわりしておくが、本書をはじめとするこの《レンズマン》シリーズ全7冊は、30年以上前に小西宏氏の麗訳が出ている正編6冊と20数年前に拙訳で出た傍系の1冊とを併せた改訳版である。東京創元社の小浜徹也氏からこの仕事へのお誘いを受けたのは、いまから2年あまり前、1999年の暮れのことで、以前から熱烈なレンズマン・ファン(ということがかならずしもスペース・オペラ全般のファンであることを意味しないのは申しわけないが)だったわたしに否やがあるわけもなく、ふたつ返事でお引き受けした。ちなみにわたしは右の傍系『渦動破壊者』のほかも、10年近く前にデイヴィッド・カイル氏によるシェアド・ワールド作品を2冊まで積極的に推薦し、訳出している。そんなわけで、年があらたまるとすぐ斎戒沐浴、精進潔斎――はちょっとオーバーだが――して心をひきしめ、あらためて原書の通読にとりかかった。いわば《シャーロック・ホームズ》シリーズに対する「シャーロキアン」の心境、とでも言えば、当たらずといえども遠からずだろう。

 思えば若いときから「生涯一SFファン」をもって自認していながら、ファン活動の資金捻出という名目で翻訳に手をそめ、やがて長編にも手を出し、五十路を過ぎるころには筆一本の道にはいり、いまではもう本業と趣味の別なく気に入った作品とのかかわりを心から楽しんでいるわたしにとって、このシリーズほど翻訳人生の掉尾を飾るのにふさわしいものはなかっただろう。これまでわたしの代表訳とされてきたのは、奇しくも翻訳専業となって最初に訳したラリイ・ニーヴン氏の長編『リングワールド』と、そのご縁でひきつづき手がけた〈既知空域(ノウンスペース)〉シリーズのおよそ三分の二に当たる7冊だった。しかしそこには年季の不足に起因するミスが訂正の機会もないままいくつか残っているし、加えてある事情から、シリーズ中盤の重要な転回点である『プロテクター』が拙訳のリストからは洩れてしまった。その1冊がわたしとしては画竜点睛というか、九仞の功を一簣に虧いたように感じられ、いまだに気分が晴れない。さらに、やがて出る予定の『リングワールド』第四部は、2001年夏ニーヴン氏に会ったとき聞いたところまだ半分しかできていないとのことだったので、もうそこまで手を伸ばすほどわたしの気力が保つかどうか……こうしてみるとやはりこの《レンズマン》シリーズが、わたしのいちばんまとまった仕事として残ることになりそうである。

 ……のっけから私事にかまけてしまって申しわけない。ともあれそんなしだいで、できることならこのさい決定版と言える訳文をご披露しなければと張りきったものの、さすがスペース・オペラの集大成と謳われるだけあって、この作者のスタイルにふさわしい――とわたし自身が納得できる――文体を定着させるのはかなりむずかしい仕事だった。前述のデイヴィッド・カイル氏にしても、その著書『ドラゴン・レンズマン』の中で「ドク・スミスの語り口を遵守した」とわざわざことわっている。作家と翻訳家の立場こそ違え、その気持ちはわからないでもない。本編の身上は言うまでもなく壮大きわまりないそのスケールにあるわけだが、翻訳に当たって何より圧倒されるのはまさに超快速としか言いようのないストーリー展開と、それを支える無数の奇想天外なアイデア――いまとなってはいささか大時代的な感もあるが――の速射である。しかし訳する側としてはその魅力に飲みこまれ押し流されてしまうわけにはいかないのだ。そうした設定の妙や、それらにからむ大道具・小道具類の細部についてもしつこいほど書きこむ作者のこだわりがまた、読みこめば読みこむほど楽しい。いわばそういった要素のすべてが、ほかに比類のないこの作品の持ち味なのである。ひしひしと伝わってくるその“ドク・スミスらしさ”をわたしの文章力でどれだけ再現できたか心もとない気もするが、それでも自分なりに誠心誠意、滅私奉公の覚悟で粉骨砕身しているつもりである。……実は翻訳作業のほうは開始から約2年かけて5冊目に突入したところで、いまはただ根気のつづくうちに――そしてなるべくなら今年中にも――7冊ぜんぶを訳了したい……つまり現在のところわたし自身、このシリーズに身も心も入れあげているまっ最中なのである(さきほどから古めかしい四文字熟語が頻出しているようで気がひけるが、あるいはこれもわたしが故・スミス氏の世界に浸りこんでいるせいかもしれないのでご容赦ください)。

(2002年1月10日)
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