セイヤーズの本を読む

 ミステリの女王として知られるドロシー・L・セイヤーズですが、決して多いとはいえない作品数のわりに、一作ごとに趣向を凝らし、語り口を変え、長編などはどれひとつとして同じものはない、といいたくなるほどの奔放ぶりを示しています。そこで、創元推理文庫に収録されたピーター卿物の各長編の持ち味を素描して、読者の皆さんそれぞれのお気にいりの一冊を探すさいの一助となればと考えたのが、本稿です。もう全作読んだよ、とおっしゃる余裕のかたも、ご笑覧いただけますと幸い。それでは始めるとしましょう。



誰の死体? 『誰の死体?』(1923)

 長編第一作にして、貴族探偵ピーター・ウィムジイ卿の初登場作。実直な建築家のフラットの浴室に、ある朝忽然と見知らぬ男の死体が出現。場所柄、男は素裸で、つけているものといえば金縁の鼻眼鏡だけ。折しも姿形の酷似した金融界の名士が謎の失踪を遂げていることが判明するのですが、これがどうも同一人物ではないらしい。謎の転がり方に曰くいいがたい味があります。ウイットの陰にグロテスクな何ものかが見え隠れし……形容しがたい不気味さをたたえた真相が明かされます。さきごろ邦訳なったロバート・ルイス・スティーヴンスンの『箱ちがい』(国書刊行会)と、イーデン・フィルポッツの『赤毛のレドメイン家』とが一瞬交錯したようなラストの告白が戦慄的です。

雲なす証言 『雲なす証言』(1926)

 本作は、ピーター卿の兄ジェラルドが、あろうことか妹メアリの婚約者を殺害した容疑で逮捕されたところから幕が開きます。第三者であるべき名探偵そのひとの実家で事件が起こったら、という趣向ですが、そのわりにピーター卿は元気で、探偵しながらめいっぱい冒険を愉しんでいるような印象があります。あげくに現われる真相は、へたをすれば反則負けになりかねないところを、ある種の時代精神を反映させることで却って効果をあげていて、セイヤーズのミステリ巧者ぶりがうかがえます。

不自然な死 『不自然な死』(1927)

 死因不明の死者をめぐる、第一の物語。犯行方法が実行不可能であることをご存じのかたは多いでしょう。いわゆるハウダニット(いかにして殺したか?)としては古びてしまっています。では、本書はもはや読むに堪えないのか。むしろ初期の代表的な長編だろう、というのが筆者の見方です。読みどころその一は、アラビアンナイト風の語り口にのって浮かび上がってくる二の矢、三の矢の謎の趣向が実にいい点。その二は、ここでは書けませんが、犯人をめぐるあるアイディアがさりげなく効いている点。センスのよさが細部をひきしめ、大いにポイントを高めています。

ベローナ・クラブの不愉快な事件 『ベローナ・クラブの不愉快な事件』(1928)

 A氏とB氏、どちらが先に死んだか、それが遺産相続問題の行方を左右するという問題を扱った、たぶん最初期の例だと思います。しかし、本書の最大の勘所は全編にわたって盛られたブラックなユーモア。かなり不思議な長編で、その意味では読者を選ぶでしょう。これが面白かった人は、英国ミステリ界の曲者リチャード・ハルによる『他言は無用』をぜひご一読ください。あちらは1935年の発表。絶対意識してますよねえ。

毒を食らわば 『毒を食らわば』(1930)

 謎の構成はきわめてシンプル――いかにして被害者は毒殺されたか。セイヤーズはそこに、ピーター卿や名脇役のクリンプスン嬢(性格のいいミス・マープル?)らによる生きいきとした探偵活動のエピソードをたっぷり注ぎ込むことで、なんとも愉快な物語に仕上げてくれました。紛れもない謎解き小説が、こんなに闊達な顔を見せることは滅多にありません。それから、もうひとつ。本書には探偵作家ハリエット・ヴェインが初登場します。役どころは法廷で裁かれる被告人。恋に落ちたピーター卿と、ハリエット。ふたりの最初の物語がこれです。

五匹の赤い鰊 『五匹の赤い鰊』(1931)

 一転して、巧妙精緻な謎解き小説の登場。怪しげな六人の容疑者、錯綜する行動。五転六転する真相は、クロフツだってここまではやらない、という手のこみようで、結末にいたれば、エラリー・クイーンさながらの単純かつ鮮やかな推理をピーター卿が披露し、颯爽と事件に終止符を打ちます。謎解きファンには格好の贈物といっていいでしょう。物語好きには少々厳しいかもしれませんが、セイヤーズはやはりセイヤーズ。あちらこちらでぬけぬけとした諧謔に富む挿話を紡ぎだし、けっしてユーモアを忘れていません。さあ、作者からの挑戦状に応じましょう!

死体をどうぞ 『死体をどうぞ』(1932)

 これまた細部まで考え抜かれた、ハイセンスな謎解き小説の雄編。『五匹の赤い鰊』同様、真相は三転四転しますが、こちらはそれが物語の流れにのっとって提示されるので、ぐっと読みやすく、なにより再登場した探偵作家ハリエット・ヴェインとピーター卿の推理合戦がウイット満点に語られ、溌剌とした気分を醸しだしています。同時代のエラリー・クイーンあたりと共通する遊び心がまた、黄金時代の良質のミステリを読む愉しさを満喫させてくれます。謎解きファンにも物語の面白さを味わいたい人にもお薦めできる、バランスのとれた傑作といっていいでしょう。

殺人は広告する 『殺人は広告する』(1933)

 広告代理店でコピーライターをしていたことのあるセイヤーズが、知悉した世界を舞台に書き上げた小説です。活写される業界物語はとても愉快(ピーター卿がクリケットの試合で大活躍するおまけもあります)ですが、騙されてはいけません。これは大変にモダンな探偵小説でもあるのです。たとえばアガサ・クリスティにいくつか作例がありますが、一見何も起こっていないように見えて、実は……。しかも、その伏線はきちんと張り巡らされているのです。〈サンデー・タイムズ〉のミステリ・ベスト99に選出されたことでも有名。広告というものの持つ化け物じみた本質まで描きだされた、一筋縄ではいかない魅力的な小説――それが本書です。

ナイン・テイラーズ 『ナイン・テイラーズ』(1934)

 死因不明の死者をめぐる、第二の物語。身元不明の死者をめぐる、第二の物語でもあります。セイヤーズの最大傑作として夙に名高い長編で、鳴鐘術のペダントリーが難解であることでも知られていますが、実際に読めばわかるとおり、鐘の鳴らし方が理解できなくて往生する、という性格の物語ではありません。ミステリとしては、上の二つの謎の解明にいたる道程がきわめて巧妙に書けていて、挑戦状型でない謎解き小説の手本と称したくなります。1996年に英国推理作家協会が“1930年代に書かれた探偵小説/スリラーの最優秀作”を選出した際には、フランシス・アイルズの『殺意』やエリック・アンブラーの『ディミトリオスの棺』(ハヤカワ・ミステリ文庫)などをおさえて、堂々一席に輝きました。まさに、英国黄金時代屈指の名作のひとつです。

学寮祭の夜 『学寮祭の夜』(1935)

 探偵作家ハリエット・ヴェイン三度目の登場。詳しくは別項に。
 このあと『忙しい蜜月旅行』(ハヤカワ・ミステリ刊。2007年創元推理文庫刊行予定)が1937年に出版されて、ピーター卿シリーズの長編は終了します。ただし、セイヤーズの遺稿をジル・ペイトン・ウォルシュが完成させた、THRONES,DOMINATIONSという長編が1998年に刊行されていまして、創元推理文庫に収録の予定です。こちらのほうも、どうぞ楽しみにお待ちください。

(2001年7月15日)
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