巨匠アシモフの傑作ロボットSFが映画に
名優ロビン・ウィリアムズ主演
『アンドリューNDR114』


 SFの巨星アイザック・アシモフ。

 この20世紀最高の科学者作家を代表する、傑作ロボットSF短編「バイセンテニアル・マン」(ヒューゴー賞・ネビュラ賞受賞作)が劇場映画になり、日本では2000年5月13日に全国公開されます。また2000年4月には、これを長編化した作品が創元SF文庫から刊行されました。タイトルは『アンドリューNDR114』

 SF映画というと、ついつい派手なSFXやサスペンスを期待してしまいますが、この映画はそうではありません。SFが純粋な人間ドラマを描けることの好例といっていいでしょう――人間ドラマというか、ロボット・ドラマなんですが。

 タイトルの『アンドリューNDR114』が、主人公のロボットの名前。『いまを生きる』『ミセス・ダウト』『奇蹟の輝き』の名優ロビン・ウィリアムズが、16キロの金色のボディスーツに自ら身を包み、このロボット・アンドリュー役に挑みます。

 このロボット、お世辞にも格好いいとはいえません。どちらかというと『オズの魔法使』のブリキのきこり。おまけにサイバー性ゼロで、本を読むのも案外ゆっくりだし、得意なはずの木彫り細工も人間なみのスピード。性格づけはまるでテレビドラマ『スター・トレック/ネクスト・ジェネレーション』のアンドロイド、データ中佐。とはいえ、それもコメディと泣かせの得意なロビン・ウィリアムズにぴったりの演出です。このロボットが話の後半ではボディを有機体製品に取り替えられ、そこで人間そっくりの顔とボディを得て、生身のロビン・ウィリアムズになるわけです。

 つまり作品のテーマは、ずばり「ロボットは人間になれるか」。新しいピノキオ物語というと、ありがちに聞こえるかもしれませんが、そこは「ロボット3原則」を考案し、後世のSFに、のみならず現実のロボット工学にまで影響を及ぼした理論派アシモフ。「人間」を求めていく過程のディスカッションもツボを押さえています。

 ストーリーは……。

 マーティン家に配送されてきた家政用ロボット・アンドリューには、どういうわけか製造上のミスから、芸術的才能とアイデンティティが備わっていました。ロボット製造メーカーは調査・回収を主張しますが、このとき一家の主人“サー”は断固として譲らず、やがて彼を「一個の家電」ではなく「一人の友人」として遇するようになります。アンドリューは人とロボットの違いについて考察しはじめ、その彼が最初に求めたものは“自由”でした。そして……。家族が年老いて死に、また新たな家族が生まれるうちにも、200年が過ぎ、彼が最後にたどり着いた結論とは?

 脚本はほぼ原作に沿ったのものですが、後半部はだいぶ変更されていて、最後のマーティン一族の人間は、ポーシャという女性になっています。ポーシャに恋をした彼は、なんと……まあそこから先は観てのお楽しみ。

 こっそりつけくわえておくと、東京創元社では5人が試写を観て、5人とも泣いてしまいました。さあみなさんもっと泣いてください。

 なお原作中編「バイセンテニアル・マン」(二百周年を迎えた男)は1976年のアメリカ建国二百周年に合わせて発表された作品で、創元SF文庫『聖者の行進』に収録されています。また、アシモフのロボットSFの代表的な初期短編は『わたしはロボット』にまとめられています。

 あとここだけの話ですが、このロボットの製造番号は、原作短編では「NDR113」なのです。変更されたのは何故でしょう。「13」がまずかったのかな。

(2000年4月)
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