ヒトラーとナチスの台頭から滅亡までを描く、傑作ノンフィクション

『第三帝国の興亡』はじめに 公開中↓

[アドルフ・ヒトラーの首相就任]

 一九三三年一月三十日、アドルフヒトラーがドイツ国首相に就任し、第三帝国が誕生しました。この時点で国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)は、議会の過半数を占めておらず、十一の閣僚ポストのうち三つを確保するに留まっていましたが、この日が歴史の重大な分岐となったことは疑いありません。  第三帝国とは、ヒトラーナチ党員が自らの国家を称揚するために使った言葉。栄光に包まれた神聖ローマ帝国、プロセインを中心として諸邦が統一されたドイツ帝国に次ぐものである、という意味が込められています。第三帝国は千年続くとヒトラーはうそぶき、ナチ内部では「千年帝国」という言葉がしばしば使われましたが、現実には十二年と数ヶ月しか続かなかったことは、周知の通りです。


[独裁制の確立とドイツのナチ化]

 首相に就任したヒトラーはただちに議会を解散。議事堂放火事件を利用した多数の共産主義者・社会民主主義者・自由主義者の弾圧や、共産党からの議席の剥奪などの手段によって、憲法の修正が可能となる勢力の確保に成功します。ヒトラーに立法権を全面的に委ねる「全権委任法」の審議がはじまったのは、第三帝国における第一回議会の開会からわずか二日後のことでした。以後ヒトラーナチ党は、ドイツ国内のナチ化を進める一方で、たくみな外交戦略によってオーストリア、チェコ・スロヴァキアなどを次々と無血征服(英仏とヒトラーの息詰まる外交戦は、本書の読みどころのひとつです)。戦争への道を突き進んでいくことになります。


[ヒトラー暗殺計画から、ホロコーストまで]

 本書『第三帝国の興亡』は、ヒトラーの出生からナチスの崩壊まで、ナチス第三帝国のすべてを描いた歴史ノンフィクションです。作者のウィリアム・L・シャイラーは、ナチス政権下のベルリン滞在体験を描いた『ベルリン日記』(筑摩書房)で知られるジャーナリスト。
 自身が豊富な取材経験を持つシャイラーに本書執筆を決意させたのは、「ドイツ政府全機関の極秘文書のあらかたが押収されたこと」(第1巻「はじめに」より)でした。本書が資料を基にした確固たる歴史書であると同時に、同時代性の息づいた無類のおもしろさを誇るノンフィクションになりえたのは、そのような事情によります。


[第二次世界大戦、フランスの降伏]

 本書には、実際その場に立ち会った者のみが描き得るシーンがいくつもありますが、その白眉は本書第四巻、コンピエーニュにおけるドイツとフランスの休戦文書調印のシーンではないでしょうか。第一次世界大戦でドイツがフランスに降伏したその小さな広場で、ドイツが復讐を果たそうとしているとの情報を得て現地へ赴いたシャイラーは、そのときのヒトラーの様子を目撃し、以下のように表現しています。
「わたしは彼の顔を観察した。それは真剣で謹厳な顔つきだったが、復讐心に燃える顔でもあった。その弾むような歩き方にも、勝ち誇った征服者の、世界に挑みかかる物の気概があらわれていた……」(第4巻第21章「西部の勝利」より)


ヒトラーナチスに関する基本書として]

 本書が発表されたのは、ナチス崩壊から十五年後の一九五九年。その二年後の一九六一年、井上勇氏による旧版が刊行され、ナチスヒトラーに関する本格的なノンフィクションのさきがけとして大きな話題を呼びました。今回新訳でお届けするに際しては、引用・参考文献のうち邦訳のあるものには書誌情報を補ったほか、最終巻には人名索引を付しています。
 ウィーンで悲惨な青春時代を過ごし、第一次世界大戦では一介の伍長。ビアホール・プッチで惨めな失敗を喫した男は、いかにして一国に君臨し、未曾有の災禍をもたらしながらかつてない高みへとドイツを導き、そして壮絶な最期に至ったのか。本書『第三帝国の興亡』はそのすべてを描きます。ヒトラーナチスに関する入門書・概説書として、お手に取っていただければと思います。



■収録内容
[第1巻]
はじめに(立ち読み)
第1部 アドルフヒトラーの台頭
第1章 第三帝国の誕生
アドルフヒトラーの登場/アドルフヒトラーの初期の生活/「生涯もっとも悲惨な時期」/アドルフヒトラーの理念の芽ばえ
第2章 ナチ党の誕生
誕生当時のナチ党/“総統”の出現
第3章 ヴェルサイユ、ヴァイマル、ビヤホール・プッチ
ヴェルサイユの影/分裂した家/バイエルンの叛乱/ビヤホール・プッチ/叛逆罪裁判
第4章 ヒトラーの精神と第三帝国の根源
第三帝国の歴史的根源/第三帝国の知的根源/H・S・チェンバレンの風変わりな生涯と著作
第2部 勝利と地固め
第5章 権力への道 1925-31
パウル・ヨーゼフ・ゲッベルスの登場/アドルフヒトラーの幕間 休息とロマンス/不況という好機
第6章 共和制最後の日々 1931-33
ヒトラー対ヒンデンブルク/フランツ・フォン・パーペンの失敗/共和国最後の首相シュライヒャー
第7章 ドイツのナチ化 1933-34
議事堂炎上/GLEICHSCHALTUNG=ドイツの“統制”/「第二革命は無用だ」/ナチ外交政策のはじまり/一九三四年六月三十日の血の粛清/ヒンデンブルクの死

[第2巻]
第2部 勝利と地固め(承前)
第8章 第三帝国の生活 1933-37
キリスト教教会の迫害/文化のナチ化/新聞、放送、映画の統制/第三帝国の教育/第三帝国の農民/第三帝国の経済/労働の奴隷制/第三帝国の司法/第三帝国の政府
第3部 戦争への道
第9章 第一段階 1934-37
ヴェルサイユ侵犯/土曜日の不意打ち/ラインラント進駐/一九三七年 「不意打ちはおしまい」/一九三七年十一月五日の運命の決断
第10章 奇妙で、運命的な間奏曲――ブロンベルク、フリッチュ、ノイラート、シャハトの失脚
ブロンベルク元帥の失脚/男爵ヴェルナー・フォン・フリッチュ将軍の失脚
第11章 独墺合邦――オーストリア陵辱
ベルヒステスガーデンの会合 一九三八年二月十二日/苦悩の四週間 一九三八年二月十二日-三月十一日/シュシュニクの挫折
第12章 ミュンヘンへの道
最初の危機 一九三八年五月/将軍たちの動揺/反ヒトラー陰謀の芽ばえ/ベルヒステスガーデンにおけるチェンバレン 一九三八年九月十五日/ゴーデスベルクにおけるチェンバレン 九月二十二日-二十三日/最後の土壇場で/「暗い水曜日」とハルダーの反ヒトラー陰謀/ミュンヘンの降伏 一九三八年九月二九日-三十日/“ミュンヘン”のもたらしたもの
第13章 チェコスロヴァキアの消滅
砕かれたガラスの週/チェコスロヴァキア《独立》を《勝ち取る》/ハーハ博士の試練

[第3巻]
第3部 戦争への道(承前)
第14章 ポーランドの番
ついでにちょっと侵略/ポーランドをめぐる熱気/<作戦・白>/ヒトラーのローズヴェルトへの回答/ソ連の介入(一)/鋼鉄条約/ヒトラー、背水の陣を布く 一九三九年五月二十三日/ソ連の介入(二)/総力戦の計画/ソ連の介入(三)/ドイツ同盟諸国の逡巡/ザルツブルクおよびオーバーザルツベルクにおけるチアーノ 八月十一、十二、十三日
第15章 ナチ−ソヴィエト条約
オーバーザルツベルクにおける軍事会議 八月十四日/ナチ‐ソヴィエト会談 一九三九年八月十五日―二十一日/一九三九年八月二十二日の軍事会議/モスクワにおける連合諸国の手詰まり/モスクワにおけるリッベントロップ 一九三九年八月二十三日
第16章 平和の最後の日々
ムッソリーニの逃げ腰/「陰謀者たち」の歓喜と混乱/平和の最後の六日間/土壇場のドイツとイギリス/平和の最後の日
第17章 第二次世界大戦はじまる
ムッソリーニ、最後の瞬間の介入/ポーランド戦争、第二次世界大戦となる
第4部 戦争――初期の勝利と転機
第18章 ポーランドの滅亡
ソ連のポーランド侵入
第19章 西部の坐り込み戦
〈アシーニア〉の沈没/ヒトラーの平和提案/ヒトラー打倒の「ツォッセン陰謀」/ナチの誘拐とビヤホールの爆弾/ヒトラー、将軍たちを励ます/ポーランドにおけるナチのテロ――第一段階/全体主義国家間の軋轢
第20章 デンマーク、ノルウェーの征服
ヴィドクン・クヴィスリングの登場/ヒトラー、サムナー・ウェルズとムッソリーニに会う/陰謀組、またもや挫折/デンマーク、ノルウェー奪取/ノルウェーの抵抗/ノルウェーをめぐる戦い

[第4巻]
第4部 戦争――初期の勝利と転機(承前)
第21章 西部の勝利
対立するさまざまの作戦計画/六週間戦争 一九四〇年五月十日-六月二十五日/オランダの征服/ベルギー陥落と英仏軍に罠をかける/レオポルド国王の降伏/ダンケルクの奇跡/フランスの崩壊/ドゥーチェ、フランスの背中に短剣を突き刺す/コンピエーニュにおける二度目の休戦/ヒトラー、平和をもてあそぶ
第22章 〈アシカ作戦〉――阻まれたイギリス侵攻
バトル・オブ・ブリテン〉/侵攻が成功していたら/追記 ナチのウィンザー公夫妻誘拐計画
第23章 バルバロッサ ソ連の番
ベルリンのモロトフ/挫折の六カ月/「世界は固唾をのむだろう」/バルカン前奏曲/テロの立案/ルドルフ・ヘスの高飛び/窮地に立ったクレムリン
第24章 風向き変わる
モスクワ大進撃
第25章 アメリカの番
「アメリカと事を構えるのは避けよ」/わが道を行く日本/パール・ハーバー前夜/ヒトラー、宣戦す/十二月十一日――議会におけるヒトラー
第26章 大いなる転機 一九四二年――スターリングラードとエル・アラメイン
息を吹き返した陰謀者たち/ドイツ最後の大攻勢/ソ連におけるドイツの夏季攻勢 一九四二年/最後の一撃――エル・アラメインと英米軍の上陸/スターリングラードの大敗

[第5巻]
第5部 終わりのはじまり
第27章 〈新秩序〉
ナチのヨーロッパ掠奪/〈新秩序〉における奴隷労働/捕虜/占領地におけるナチのテロ/「最終的解決」/絶滅収容所/「ワルシャワ・ゲットー、もはやなし」/医学実験/ハイドリヒの死とリジツェの消滅
第28章 ムッソリーニの失墜
第29章 連合軍の西ヨーロッパ侵攻とヒトラー殺害の企て
〈電光作戦〉/シュタウフェンベルク伯爵の使命/英米軍の侵攻――一九四四年六月六日/土壇場の陰謀/一九四四年七月二十日のクーデター/一九四四年七月二十日/血塗られた復讐
第6部 第三帝国の滅亡
第30章 ドイツの征服
ヒトラー最後の必死の大博打/ドイツ軍の崩壊
第31章 〈神々の黄昏〉――第三帝国最後の日々
ヒトラー最後の大決断/ゲーリングとヒムラー、後継者の座を狙う/地下壕を最後に訪れたふたりの訪問者/ヒトラーの遺言書/ヒトラーと花嫁の死/第三帝国の終焉

短いエピローグ
謝辞
あとがき

人名索引

(2009年2月18日)
ウィリアム・L・シャイラー(William L.Shirer)
1904年シカゴ生まれ。ジャーナリスト、歴史家。コー大学卒業後、渡欧。<シカゴ・トリビューン>紙の特派員などを経て、CBSのヨーロッパ支局長へ。ドイツのオーストリア併合など、数々の歴史的事件の報道に携わる。1941年、戦況の悪化に伴なってアメリカへ帰国し、自身の経験を基にしたベストセラー『ベルリン日記』(筑摩書房)を発表。1960年に発表した本書で全米最優秀出版賞を受賞。『フランス第三共和制の興亡』(東京創元社)、『第三帝国の終り――続ベルリン日記』(筑摩書房)など著書多数。
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松浦伶(まつうら・れい)/訳
1936年島根県生まれ。東京大学文学部卒業後、文藝春秋入社。雑誌・書籍の編集者を経て、翻訳に従事。訳書にジャイルズ・ミルトン『スパイス戦争――大航海時代の冒険者たち』(朝日新聞社)、アル・パチーノ+ローレンス・グローベル『アル・パチーノ』(キネマ旬報社)がある。