34年目のデジャー・ソリス
武部本一郎が飾る《合本版・火星シリーズ》

小浜徹也(東京創元社編集部)
火星のプリンセス

 1999年2月初旬、千葉県市原市。JRの駅から車で十数分、故・武部本一郎画伯の夫人、鈴江さんの御自宅に伺った。今回の合本版用に武部氏のイラストをお借りするためだ。初めてお会いする鈴江さんは矍鑠として、気さくに迎えてくださった。あらかじめイラストを作品ごとに分類した封筒を用意して待ってくださっていた。つい最近まで御自宅でお茶の教室を開いていらっしゃったとのことで、薄茶をたてながら氏の生前のエピソードを話してくださった。

 武部氏は、日本SFアートの開闢期を飾る大家の一人である。具象画では第一人者といっていい。大正3年(1914年)、大阪・船場生まれ。終戦後、京都で暮らしていた30代前半、各種美術展に何度となく入賞するが、新しいカンバスが高くて買えず、入賞した絵をつぶして別の絵を描き、翌年また応募した。カンバス代分の値で絵を売りもした。昭和20年代の後半からは絵物語や劇画の世界の第一線で活躍し、宇多野武の名義で描いた『月影四郎』は、当時『赤胴鈴之助』と人気を二分した。その後、東京に住まいを移し、絵本や児童書、文芸書のイラストまで縦横に活躍を始める。

 非常に筆の速いかただったという。カラー原稿も一晩で軽々と仕上げられた。1960年代、三鷹市にお住まいの頃には、鈴江さんは一日中、絵のできあがりを待つ何人もの編集者の応対に追われたという。

 そして昭和40年、武部氏のイラストが飾るエドガー・ライス・バローズの文庫『火星のプリンセス』が刊行されるや、読者は絶賛をもって迎えた。『プリンセス』は大人むけのものとしては初の口絵・イラスト入り文庫として、SF界のみならず出版界のエポックとなった。氏のイラストが飾ったシリーズは、スペースオペラ研究家にして翻訳家、バローズ・マニアの野田昌宏氏の手で各国のバローズ・ファンのもとに送られ、世界中が「最高のバローズ絵師」と熱狂した。

 昭和55年(1980年)7月、66歳で逝去。今年で19年が過ぎる。

 ぼくは武部画伯にお会いしたことはない。次々と文庫の表紙を飾る豊かな色彩のイラストを、読者として知るのみだった。当時《SFマガジン》を毎月飾っていた加藤直之氏のカバーイラストが、その10月号だけ、武部調デジャー・ソリスに変わり、ぼくは書店店頭で不意の逝去を知った。

 1986年になって、ぼくは東京創元社に入社した。ちょうど600部限定の『武部本一郎画集』の準備中で、ずっしり重いこの定価25000円という高額画集が、部分的にだが初めて編集に携わった書籍となった。当時ツルモトルームから発行されていたビジュアルSF専門誌《スターログ》の富谷洋編集長が、紹介記事を載せてくれることになった。当初は見開き程度という打合せだったのが、ポジフィルムを目の前にするうち興が乗り、最終的になんと16頁だての綴込みブックレットにまで膨れあがった。読者の反響は絶大だった。

 ファンのかたにはわざわざ記すまでもないだろうが、《火星シリーズ》11作は翻訳SF史上でも屈指の人気シリーズである。当時のフロントページの内容紹介も、剣豪小説を思わせる名調子だ。今回の《合本版》でもほぼそのまま使用している。

新装版武部本一郎画集

「元南軍騎兵隊の大尉ジョン・カーターは、ある夜、アリゾナの洞窟から忽然として火星に飛来した。時まさに火星は乱世戦国、地球とは桁外れに発達した科学力を背景に、四本腕の獰猛な緑色人、地球人そっくりの美しい赤色人などが、それぞれ皇帝をいただいて戦闘に明け暮れていた。快男児カーターは縦横無尽の大活躍のはて、絶世の美女、デジャー・ソリスと結ばれるが、そのとき火星は絶滅の危機に瀕していた」

 ありえざる異郷の荒野に展開する英雄譚。原色に満ちた世界の、八本脚の馬、十本足の愛犬といったモンスターたち。さらには死の川の奥に潜む吸血の植物人、邪教崇拝種族、火星最古の種族である謎の略奪者、黒い海賊。
 希代の冒険作家の、贅肉を削ぎ落とした周到な筆運びは、今なお斬新である。正直なところ、発表当時よりいっそう際だって映るのではないか。

 もうひとつ面白いのは、主人公の地球人ジョン・カーターは、最初から不老不死の人物として登場することだ。SF作家リチャード・ルポフが、バローズの研究書『バルスーム』で触れている。彼は幼少時の記憶もない不思議な男性で、さらに火星との行き来には常に一種の死と覚醒の手つづきをともなう。こうした外枠も、物語に深みを与えている要因ではないかと思う。

 彼が30年にもわたって書き継いだシリーズの、各話タイトルは以下のとおり。

1 火星のプリンセス
2 火星の女神イサス
3 火星の大元帥カーター
 (以上を『合本版・第1集 火星のプリンセス』に収録)

4 火星の幻兵団
5 火星のチェス人間
6 火星の交換頭脳
 (以上を『合本版・第2集 火星の幻兵団』に収録)

7 火星の秘密兵器
8 火星の透明人間
9 火星の合成人間
 (以上を『合本版・第3集 火星の秘密兵器』に収録)

10 火星の古代帝国
11 火星の巨人ジョーグ(中編2編を収録)
 (以上を『合本版・第4集 火星の古代帝国』に収録)

 だが、どれほど優れた歴史的な作品も、シリーズ全点を20年、30年にわたって常時在庫を持ち続けるのは難しい。愛蔵版ハードカバーでの再刊も考えないではなかったが、文庫として愛された作品は文庫のままで残していきたいと思った。荒俣宏の『帝都物語』や半村良の『妖星伝』のように、合本版で冊数を減らせば管理もしやすい。

 1999年、東京創元社は《文庫創刊40周年》を迎える。入手困難を嘆いていたかたがたには恰好の贈り物になるだろう。異例の高価格になるが、あらためて息の長い刊行物にしたいと思う。皆さんのご支援をお願いいたします。

 《合本版》の詳細は以下のとおり。

 翻訳は、日本版刊行の企画編集者にしてバローズ翻訳の第一人者、厚木淳氏。解説も厚木氏が執筆。武部氏の本文イラストは全点再録し、表紙絵・口絵を巻頭のカラー8頁に収める。『第1集』には、シリーズ中最大の傑作と呼び名も高い最初の三部作を収録、800頁を優に超える大冊の文庫本となる。SF文庫では一冊本として最大の頁数である。だがこれも、すぐに『第3集 火星の秘密兵器』が塗り替えることになりそうだ。

 1965年8月に描かれたイラストが、34年たって再び新刊書籍を飾る。
 同じシリーズの再刊なのだから当然と思われるかもしれない。だが、小説とともに時代 を乗り越えてゆくカバーアートは数少ない。
 武部本一郎画伯の描くデジャー・ソリスは、34年前と変わらず火星でたたずみ、世代 が二めぐりしようとも三めぐりしようとも、なお甦り、つねに現代的でありつづける。

 もうすぐ、皆様のお目にかけられる。

(1999年3月31日)

【2004年6月10日・追記】

 《合本版・火星シリーズ》は2002年9月、全4巻の刊行が無事終了した。最終第4巻には訳者の厚木淳さんの強い推挽で、巻末ボーナスとして単独長編SF『モンスター13号』を併録した。
 その厚木さんが、2003年5月19日、胆管癌で逝去された。享年73歳だった。
 厚木さんは1930年3月9日、東京日本橋に生まれ、京都大学経済学部を卒業。1952年、東京創元社入社。取締役編集部長を経て、SFとミステリの翻訳家として活躍した。2003年7月7日、飯田橋・出版クラブ会館にて「厚木さんとお別れをする会」が開催された。
 なお『武部本一郎画集』は、注文生産による限定復刻として2003年7月、650部の『新装版』が刊行された。巻末には厚木さんの解説が収録されており、同年3月上旬に、再刊が決定した旨のお電話をご自宅に差し上げたのが、最後の会話となった。(小浜徹也)


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