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2009年2月

 お母さん
 さよなら

 バスは
 どこへも
 行かない

 ワタシに
 向かう

――『夜、海へ還るバス』

2月某日

 缶詰も後半戦だ。マスコットのシャンを広島の感化院で失った製鉄天使は、山口の制圧に向かった。弔い合戦だぜ!
 夫は仕事でここ数日、朝が早いので、わたしを起こすまいと明け方に起きだし、ものすごくそーっと動いている。
 そーっと。
 そーっと、だ……。
 ここ三週間ほど、お仕事関係の電話はほとんど出ず、メールだけでやりとりしていたので、人からのお勧め本のストックが減ってきた。と、集英社の担当さんがなにかの連絡ついでに、森下裕美の異色作『夜、海へ還るバス』(双葉社)を薦めてくれたので、仕事が終わってから紀伊國屋書店まで妖怪のように這いだし、買ってきた。……おぉっ? 森下裕美といえば『少年アシベ』(集英社)のゴマちゃんのイメージが強かったけれど、ぜんぜんちがうぞ……。この人にしか描けないし、きっといまこのタイミングでしか胸から出せなかったろうストーリーで、怯えて読んだ。
 舞台は大阪。結婚を控えたヒロインは、夜毎、過去へ向かうバスに乗る夢ばかり見ている。バスが向かう過去には、昔の恋愛があるわけでも、幸福な記憶があるわけでもなくて、顔がわからない一人の女――母で、恋人で、殺人者――が待ち構えている。白いワンピースを着て、出刃包丁を両手で構えて、仁王立ちしてヒロインを待っている……。
 怖いので、ホラー漫画を読むときみたいにずっと薄目で読んだ。小説を書くとき、漠然とだけど、これまで言葉にされたことがないけども、されてみたらみんなが「……あぁ!」とうなずく、そういうことを発見しては、物語にして名をつけていきたい、と思っていて、『ファミリーポートレイト』を書いたときには、“女性の同性愛的なものって、男性嫌悪とかコンプレックスの方向から語られることが多いけど、ほんとはそうじゃなくて……「女のマザコン」という面がないかなぁ”とずっと考えてた。それでそれをがんばって書いた。
 森下さんも、まだ言葉にされてない、同じものに、自分なりに名前をつけようとしてこの物語にしたのかな。
 そんなことを考えてこたつでぐるぐるに丸まっていた。
 つぎはなにを読もうかな……。
 こないだ北村薫先生との対談のときに、クリスティの話になって『ホロー荘の殺人』(クリスティー文庫)の話題が出てたので、忘れちゃった、読み返そう、と思って買ってきていた。それを探しだして、開く。
 天井が見える。
 それにしても……。
 なんだかやけに、ブルーでぐにゃぐにゃした気分の夜だ。どうしたのかなー。さっき読んだ漫画のせいなのかな?
 本を閉じて、目も閉じた。床でけだるくゴロゴロしていると、すぐ横を急ぎ足で通り過ぎていく夫の気配がした。
 ゆっくりと目を開けて、

わたし「……ねぇ、おもしろい話、してみて」

 夫が足を止め、ユラユラと首を振りながら振りかえった。静かな声で、流れ落ちるように、

夫「だいぶ前だけど、渋谷を歩いてて、コンビニに入ったんだ。自動ドアに“ペットを連れてのご入店はお断りします”って張り紙がしてあったなぁ。その店の前には、ちょっとだけちいさな花壇があってね。紋白蝶が三羽ほど、ヒラヒラと舞っていた。ぼくがコンビニに入ったら、自動ドアが開くのと同時に、白い蝶も一羽ついてきた。するとレジにいた女の店員が、こっちを見て、こう言ったんだ。『お客様、ペットを連れてのご入店はお断りします』」
わたし「おぉー」
夫「マニュアルどうりの対応、だった!」
わたし「……ありがとうね」

 ニヤリとし、目を閉じた。
 夫がまた、忙しげに遠ざかっていく足音が聞こえた。

(2009年3月)

桜庭一樹(さくらば・かずき)
1999年「夜空に、満天の星」(『AD2015隔離都市 ロンリネス・ガーディアン』と改題して刊行)で第1回ファミ通えんため大賞に佳作入選。以降、ゲームなどのノベライズと並行してオリジナル小説を発表。2003年開始の〈GOSICK〉シリーズで多くの読者を獲得し、さらに04年に発表した『推定少女』『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』が高く評価される。05年に刊行した『少女には向かない職業』は、初の一般向け作品として注目を集めた。“初期の代表作”とされる『赤朽葉家の伝説』で、07年、第60回日本推理作家協会賞を受賞。08年、『私の男』で第138回直木賞を受賞。著作は他に『青年のための読書クラブ』『荒野』、エッセイ集『桜庭一樹読書日記』『書店はタイムマシーン 桜庭一樹読書日記』など多数。最新刊は『ファミリーポートレイト』。
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