お母さん
さよなら
バスは
どこへも
行かない
ワタシに
向かう
――『夜、海へ還るバス』
2月某日
缶詰も後半戦だ。マスコットのシャンを広島の感化院で失った製鉄天使は、山口の制圧に向かった。弔い合戦だぜ!
夫は仕事でここ数日、朝が早いので、わたしを起こすまいと明け方に起きだし、ものすごくそーっと動いている。
そーっと。
そーっと、だ……。
ここ三週間ほど、お仕事関係の電話はほとんど出ず、メールだけでやりとりしていたので、人からのお勧め本のストックが減ってきた。と、集英社の担当さんがなにかの連絡ついでに、森下裕美の異色作『夜、海へ還るバス』(双葉社)を薦めてくれたので、仕事が終わってから紀伊國屋書店まで妖怪のように這いだし、買ってきた。……おぉっ? 森下裕美といえば『少年アシベ』(集英社)のゴマちゃんのイメージが強かったけれど、ぜんぜんちがうぞ……。この人にしか描けないし、きっといまこのタイミングでしか胸から出せなかったろうストーリーで、怯えて読んだ。
舞台は大阪。結婚を控えたヒロインは、夜毎、過去へ向かうバスに乗る夢ばかり見ている。バスが向かう過去には、昔の恋愛があるわけでも、幸福な記憶があるわけでもなくて、顔がわからない一人の女――母で、恋人で、殺人者――が待ち構えている。白いワンピースを着て、出刃包丁を両手で構えて、仁王立ちしてヒロインを待っている……。
怖いので、ホラー漫画を読むときみたいにずっと薄目で読んだ。小説を書くとき、漠然とだけど、これまで言葉にされたことがないけども、されてみたらみんなが「……あぁ!」とうなずく、そういうことを発見しては、物語にして名をつけていきたい、と思っていて、『ファミリーポートレイト』を書いたときには、“女性の同性愛的なものって、男性嫌悪とかコンプレックスの方向から語られることが多いけど、ほんとはそうじゃなくて……「女のマザコン」という面がないかなぁ”とずっと考えてた。それでそれをがんばって書いた。
森下さんも、まだ言葉にされてない、同じものに、自分なりに名前をつけようとしてこの物語にしたのかな。
そんなことを考えてこたつでぐるぐるに丸まっていた。
つぎはなにを読もうかな……。
こないだ北村薫先生との対談のときに、クリスティの話になって『ホロー荘の殺人』(クリスティー文庫)の話題が出てたので、忘れちゃった、読み返そう、と思って買ってきていた。それを探しだして、開く。
天井が見える。
それにしても……。
なんだかやけに、ブルーでぐにゃぐにゃした気分の夜だ。どうしたのかなー。さっき読んだ漫画のせいなのかな?
本を閉じて、目も閉じた。床でけだるくゴロゴロしていると、すぐ横を急ぎ足で通り過ぎていく夫の気配がした。
ゆっくりと目を開けて、
わたし「……ねぇ、おもしろい話、してみて」
夫が足を止め、ユラユラと首を振りながら振りかえった。静かな声で、流れ落ちるように、
夫「だいぶ前だけど、渋谷を歩いてて、コンビニに入ったんだ。自動ドアに“ペットを連れてのご入店はお断りします”って張り紙がしてあったなぁ。その店の前には、ちょっとだけちいさな花壇があってね。紋白蝶が三羽ほど、ヒラヒラと舞っていた。ぼくがコンビニに入ったら、自動ドアが開くのと同時に、白い蝶も一羽ついてきた。するとレジにいた女の店員が、こっちを見て、こう言ったんだ。『お客様、ペットを連れてのご入店はお断りします』」
わたし「おぉー」
夫「マニュアルどうりの対応、だった!」
わたし「……ありがとうね」
ニヤリとし、目を閉じた。
夫がまた、忙しげに遠ざかっていく足音が聞こえた。
(2009年3月)