あたしはあの時、ひとりの詩人だった。
あたしは文字を書き記すひとになっていたんだよ。
――『ゾリ』
11月某日
『ファミリーポートレイト』発売日。
電池切れー。まとめてインタビューを受けたり、お仕事で出歩くことが多かったので、この日、起きたらおばあさんみたいになっていた。ほんとうに久々に「一日なんにもしない日」にして、コーヒーを入れて床に直接置き、自分も床に転がって、真昼間から本を読むことにする。なんというか、“昼のお風呂”とか“昼からビール”に似たけだる〜い、だめ〜な開放感……。
二、三日前、届いた宅急便の送り状に、どう見ても「ゾリ在中」と書いてあって「……?」と首をかしげた。ゾリってなんだっけ。と、わからないまま開けてみたら、あっ、なんだ、本のタイトルだった。『ゾリ』(コラム・マッキャン/みすず書房)。先日、アイルランドについて教えていただいた栩木さんの翻訳した新刊らしい。表紙は幌馬車に乗ったジプシーの女の子の写真で、左にはぐにゃぐにゃっとした姿勢のおっちゃん、右に映ってる犬は瞬きしたのか目を瞑っちゃってて、そのせいで女の子の目力の異常な強さが浮きだって見える。この、視線の強い女の子がヒロインのゾリだ。
1930年代のスロヴァキア。ナチスの台頭。祖父のジージと出かけていた幼いゾリが帰ると、家族は、ファシストたちに追われて馬車で湖の上を走らされ、薄氷が割れて全員湖底に沈んだ後だった。実際には見ず、恐怖に凍りつきながら想像したこのシーンがゾリの人生の原風景となる。ジージは馬車で、孫娘とともに旅に出る。ジージは「いい本にはどうしたって聴き手が必要なんだ」と、夜毎、孫娘に愛読書を読み聞かせた。ジプシーは文字が読めず、口承で歌を変化させながら伝えていく文化で、変わらない物語を信じない。ジージの愛読書は『資本論』で、仲間の中ではちょっと変わり者だった。ジージはゾリに文字を教えた。ゾリは途中で通いだした学校で、先生から本をもらい、大事に読んでは森に穴を掘って隠した。ある日、雨が降って本がびしょびしょになり、ゾリは泣いた……。
最初の数ページだけ、古典の出だしみたいに風景描写が続くから入るのに力が要るけど、後は一気に流れだした。フンフン……と夢中で読む。ジプシーの女の子は結婚が早くて、ゾリは14歳になると、ジージが選んだえらく年上で気立てのよいおっさんのところに嫁に行く。選んだ理由は、この男なら孫娘から文字を取り上げたりしないだろう、というものだった。戦火の中、やがて、朝方、被弾した馬車の中でジージは死んでしまう。仲間から離れて静かに読書しようと馬車で本を広げていて、弾が当ったのだ。ゾリはひとりで馬車に入って、死体の傍らで、読みかけのまま開かれていた本を最後まで読んでやる。ジージは埋葬され、永遠の別れがくる。ゾリの貧しく幸福な少女時代の終わり……。
と、携帯電話が鳴った。母からだ。出ると「ポスター届いたわよー、あっはっはっは、でっかいわねー」とご機嫌だ。新刊用に撮ったポートレイトの、ほぼ実寸大かという大きさのポスターを、担当のI本女史が実家と祖母宅に送ってくれたのだ。「届いた?」「うんー。いまね、おばあちゃんち。おばあちゃんが床の間に貼ってるところよー」と実況中継である。おぉ……、と言い、電話を切る。
こそこそと本にもどる。
ゾリは大人になって、社会主義政権下で、プロレタリア詩人として祭り上げられる。ジプシーの歌に、自分なりに現実の問題を入れて歌い替え、文字に記すうちに、うっかり文壇に片足を突っこんでしまったのだ。政治的な問題に巻きこまれ、ジプシーの仲間から追放されるゾリ。物語は現在から……。
と、ちょっと気になり始めたので、メールだけチェックすることにする。さすがに平日の午後であれこれ連絡がきてそうだしなぁ。さめたコーヒーを片手にパソコンの前に行くと、I本女史から『ファミリーポートレイト』の公式HPのことで連絡がきていた。サイン本販売とかサイン会の情報の後で、ポスター撮影のメイキングページをつくるとのことで、スタジオでI本女史がデジカメで撮っていた写真が届いている。で、「例の、ホストクラブ『愛』でナンバー3だったというカメラマンのアシスタント氏なんですけど、こんなに(30枚ぐらい)撮ったのに写ってません。よーく見ると一枚だけ、これかなというのがありますが、動いた瞬間でぶわっとにじんでほとんど半透明なんですよ〜」とあるので、なになにと写真をチェックしてみると、ほ、ほんとに……ムンクの絵みたいにぶわっと滲んだ白っぽい人が、一枚だけ、すみっこにうっかり写っている。透明改め、半透明人間ナンバー3の、徹底して自分のフェロモンとオーラを隠すという第二の人生(たぶん)にちょっとだけ思いを馳せ、忘れる。
ゆっくり本を読んでたので、窓の外でもう日が陰ってきた。ゾリの人生は徐々に、闘いから人生のパロディに変わり始めたところだ。ここからが、ほんとの、放浪。コーヒーをやめて紅茶を入れなおして、のんびりと読み続ける。
著者はアイルランド人で、アイルランドもまた口承文化の国でもあって、それが混ざってるのかなと思う。懐かしいようで、でもまるで知らない世界。薄氷を割ってこの世から消えていく古い馬車と、壜の中でかすんでいく青トンボと、いまはもういないジージが馬に向かって叫ぶ、いつもの掛け声「ほら赤でっかくてホカホカのやつをくれてやれ!」――かなしい風景がそこかしこに勝手に現れて狭い部屋の中でぐるぐる回りだす。
(ゾリは“過去の幸福から立ち直る”ことができるか?)
小説が実体をともなって、すぐそこにのっそりと立っている。文字の重たさで彼女の足元の床がちょっと沈んでるようだ。
窓の外では日がずっしりと暮れてきた。
でも物語はまだまだ続いている。
(2008年12月)