Webミステリーズ!
メールマガジン登録はこちら
携帯サイトコード
携帯へURLを送る
2008年9月

世界堂で買った原稿用紙inJAL
【桜庭一樹写真日記◎世界堂で買った原稿用紙inJAL】 帰国する飛行機の中で仕上げて、成田空港から新宿行きのリムジンバスの中で担当さんに渡した……。新鮮で、楽しくてちょっと癖になって、帰国後、別のエッセイも手書きで書いてFaxしたらびっくりされた。(桜庭撮影)

「電話をしよう。電話をして“もう会えない”と言おう」と思った。そう思って、そのまま煙草を吸った。何本も何本もベッドの中で煙草を吸った。
「このままでは“好き”に呑み込まれてしまう。呑み込まれて“誰もいない場所”に行くしかなくなってしまう」と、勝哉は思った。

目の前にいる男の驚愕の顔が、「自分はゲイかもしれない」と思ってしまった男が見せる恐怖の色だとは、思わなかった。まさか、そんな男がいるとも思わなかった。なにしろ勝哉は、「自分は“ゲイ”と言われるような存在なんだな」ということを、ずっと以前から受け入れていたのだから。
 それは「恐怖」ではない。勝哉が感じていたのは、「孤独」というものだった。孤独が自分を吸い尽くしてしまう――そのことの方が、勝哉にとっては、ずっとずっと恐ろしかった。

――「暁闇」

 9月某日

 本日は、お昼の12時が長編『ファミリーポートレイト』の改稿の締め切りだった。なんとか仕上げて、メールで送った。それから、2時間後の午後2時にテレビクルーがくるので、黄土色の顔面をなんとかしようと、とりあえずパックをした。こないだ女性誌〈CREA〉のお仕事で女優の桃井かおりさん(スキヤキ・ウエスタン・ジャンゴー!)と対談したときに景気よく一箱いただいて、担当S藤女史とうはうは山分けしたSK-IIのパックだ。よしよし。化粧もするぞ。まぁ化粧はてきとうに塗っておく。
 玄関の本棚と、仕事机の前で撮影して、2時間半ぐらいで無事、終わる。なにかNHKのBSで始まる新番組らしい。わたしの前に角田(光代)さんちの本棚を撮ってて、この後は海堂(尊)さんちに行くらしい。うちがいちばん狭いだろうなぁ……(そりゃそうだ……)。
 付き添いできてくれた文春のI井氏が「今日はやけにご機嫌ですね〜。わきが全開で」「……わき?」ふと自分を客観視すると、両手が上にまっすぐのびていた。ようやく、5月からやってた長編を入稿した直後なんですよ、と、上にのばした腕を左右に振り回しながら説明する。『乳房』(伊集院静/文春文庫)をI井氏がみつけて拾ったので、短編の話になる。あっ、そうだ、〈オール読物〉の短編(I井氏はいま〈オール読物〉の担当氏だった)。書くぞー。
 クルーが帰り、これから田舎に帰って週末に法事に出る、というI井氏も帰る。化粧を落として、わたしも近所の本屋に出かける。わき全開で(?)本を物色してると、知り合いの書店員さんとばったり。「あれっ、へらへらしてる」と言われる。や、やっぱり今日はそうなのか……。今度ごはんを食べる約束をする。
 長編『ファミリーポートレイト』は、850枚と思ってたんだけど数え間違えててじつは1000枚をちょっと越えてた(どうりで書いても書いても終わらないと思った……)。これの途中で、ショートショートも一本書いたんだけど、それを読んだ担当の女史が電話をくれて「恋がしたくなった!」と言った。長編も初稿を上げたあと、担当さんたちが口々に「読んだら恋をしたくなった」と言った。一人の女性の、5歳から34歳までの30年間を追った話で、ぜんぜん恋愛小説じゃないのに……。でも、ようやく『私の男』が抜けて、ちがう世界観にうつってきたのかも、と、オデコに人差し指を当てながらしかめ面をして考える。
 夜の回に間に合うので、テアトル新宿に寄って、今日までだった北野武の映画『アキレスと亀』の最終上映を見てから帰宅。おぉ、もう夜遅い。ご飯作って、食べて、床に転がって読みかけのまま放置していた橋本治の真っ黒な短編集『夜』(集英社)を読んだ。
 これは、一つ前の短編集『蝶のゆくえ』(集英社)が気に入っていたので、「あ、また橋本さんの短編が書きたまったんだ」と、新刊のときに買ったままになってた本だ。どうして途中で止まってたかというと、最初の2編を読んで「うーん……」と思って、そのままになってしまっていたのだ。
 人間を書くって、人間について説明するってことじゃないから、説明されて、たゆたえない、みたいな感じがしたのだけれど、本を読むって自分の体調とか気分もあるから、この夜、改めて3編目から読み始めたら、あれっ、そんなことない、やっぱりすごい面白いや、とぜんぜんちがう感想になった。こないだはこっちの調子が悪かったのかなぁ。決めつけたらいけないな……ごめん。
 短編集って、あわないと思って途中で挫折しちゃうことがたまにあるんだけど、最後まで読まないと重大な損失に見舞われることがある。この本、最後に入ってる「暁闇」がものすごいよくって、あぁ、あのまま放置してこの一編を読まないままになってたら、と思ったら急にぞっとした。
 これぞ恋愛小説。いろんな怪奇小説が束になってかかってもかなわないかもしれないぐらい怖い、闇を巡る物語。己について説明してもしても、達観できず、のた打ち回り、十年以上も前の、古いはずの傷がまだ地獄の入口みたいに生々しく赤い口を開けている。こないだ川上弘美さんと対談したとき、恋愛小説について、確か「恋が怖くなって、恋愛したくなくなるのがほんとの恋愛小説」(だったと思う……。緊張しててうろ覚え……)というようなお話になったんだけど、なるほど、これがそれか……と思った。
 一方で、ぜんぜん恋愛小説じゃないのに、なぜか恋をしたくなる、っていうのも小説の謎の効能のひとつかもしれない。小説が面白いんじゃなくて、読む人たちの心が結局のところ、面白いんだよなぁ、と思いながら、今日、入稿した新しい本のまだ見ぬ読者を夢見つつ、いまごろなれないテレビの疲れが出てきて急に動けなくなり、丸まってがくっと寝た。

(2008年10月)

桜庭一樹(さくらば・かずき)
1999年「夜空に、満天の星」(『AD2015隔離都市 ロンリネス・ガーディアン』と改題して刊行)で第1回ファミ通えんため大賞に佳作入選。以降、ゲームなどのノベライズと並行してオリジナル小説を発表。2003年開始の〈GOSICK〉シリーズで多くの読者を獲得し、さらに04年に発表した『推定少女』『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』が高く評価される。05年に刊行した『少女には向かない職業』は、初の一般向け作品として注目を集めた。“初期の代表作”とされる『赤朽葉家の伝説』で、07年、第60回日本推理作家協会賞を受賞。08年、『私の男』で第138回直木賞を受賞。著作は他に『少女七竈(ななかまど)と七人の可愛そうな大人』『青年のための読書クラブ』『荒野』、エッセイ集『桜庭一樹読書日記』など多数。最新刊はweb読書日記第2弾『書店はタイムマシーン 桜庭一樹読書日記』
↑このページのトップへ
ひとつ前のページへもどる《Webミステリーズ!》のトップページへもどる