それ以外は、なにしろ篭って長編をガシガシ書いてるから、自分の髪がなぜか妖怪みたいにすごい勢いで伸びてることぐらいで、とくに事件はなかった(K島氏も忙しいらしくて気配がないし……)。
それで読書のほうはどうしていたかというと、連休前に読んでしまった『贖罪』(イアン・マキューアン/新潮社)に打ちのめされたまま、こうやってカフェでぼーっとしているいまもぜんぜん心が離れないでいる。
この本、すごい。
濃密。知的。でも変。
この本、すごい……。
第二次世界大戦の数年前、13歳の少女ブライオニーが、自分の作家的資質を自覚した記念すべきその日、同時に、とある悲劇が起こる。彼女の誤解と嫉妬と想像から、姉とその恋人を残酷な方法で引き離してしまったのだ。大人になり、作家となったブライオニーは、晩年になるまでずっとあの日の罪を悔い続けている。想像の力によって作家となり、しかしその同じ力で姉たちの人生を破壊した彼女は、不可思議な方法で贖罪を達成せんとするのだが……。作家的資質の“ギフト”と醜悪さについて書かれた、凄まじい臭気を放つ物語……。
構成も、それぞれの人間の書き分けもかっこいい。ここまでできる? しかも素晴らしい建築物たる小説を、最後の最後に、上からつかんでギュッとおおきく歪ませるような、驚異のラストシーンがやってくる。
すごい。
こんなことってできる?
古典だったら、「おー、すごい」で終わるところ、この作者は同時代の人で、海の向こうでいまも新作を書いてるので、衝撃波でなんだかよくわからない気持ちになった。連休中はずっと、既刊を『アムステルダム』、『愛の続き』(新潮文庫)、『土曜日』(新潮クレスト・ブックス)と追いかけていたけれど、でも熱がぜんぜん収まらない……。
というわけで、すげぇなぁマキューアン、と思いながら、カフェで薄いアイスラテをすすっていたら、居残りで会社にいるらしき薙刀F嬢から、携帯電話に連絡があった。仕事の用を済ませた後、誰かに伝えずにはおれないので、鼻息も荒く『贖罪』の話をしたら、
F嬢 「ほぅ、マキューアン。10年ほど前、早川から変態作家として売り出されましたが、いまや文豪ですねぇ」
わたし「変態!?」
F嬢 「異常性愛をテーマにした短編集『最初の恋、最後の儀式』とか、長編だと『セメント・ガーデン』とか……」
わたし「おー!」
電話を切って、あわててカフェを出て、近所の本屋に向かって舗道をノシノシ歩きだす。10年前かぁ。まだあるかなー。なにしろ本は、絶版になるのも早いから……。
歩くと、4月よりちょっと影が濃かった。夏が近づいてる。
書きかけの長編はというと、いま三分の一ほどができたところだ。新しい世界が巨人の影みたいに、通りを歩く自分の背後にゆっくりと立ちあがってきてる。
(2008年6月)