ところが
「その ガイ の 方 は」
と お宿 の おかみ は 尋ねる
「その 外部 の 方 は トーストは
めしあがれますか」 (差別用語を避けてるみたいな様子。さすが京都)
納豆 と 言おうとして まちがえたの鴨
それとも時代が変わったの
――『傘の死体とわたしの妻』
一仕事終わった、土曜日である。金曜の夜中に原稿をメールで送り、ばったり倒れて、「フフンフーン……」と鼻歌だけ小声で歌い、寝て、翌昼過ぎにむっくりと起きあがった。復活。米を炊き、肉を焼き、野菜を茹で、タレをかけてどんぶりで食らう。映画でも見るかとようやく夕方、家を出た。
紀伊国屋書店新宿本店に行くと、あれ、一階に多和田葉子コーナーができていた。須賀敦子や塩野七生と並んでいるので、これは好きそうだー、と思って足を止めた。なにか買おうと物色し始めたものの、どれもおもしろそうで、しばし悩む。現代詩『傘の死体とわたしの妻』(思潮社)、小説『アメリカ 非道の大陸』(青土社)を「ヨシ、これだーっ!」と選んでから、ふっと弱気になった。こういうのは最初の出会いが肝心で、はずれから読んでしまったら、もうだめなのだ。ついつい、ひよって(?)芥川賞受賞作の『犬婿入り』(講談社文庫)も買った。
知り合いの書店員さんをみつけたので立ち話していたら、通りがかりの男性が「あれ、桜庭さんですか。ぼく海猫沢めろんです」と言ったのですごい驚いた。清涼院流水さんの新作でホストの役(……て、どういうことだ?)をするのでメイクして撮影した帰り、と言っていた、ような、気が(どういうことだったろう……?)。本好きの人らしく、「佐々木丸美の復刊、万歳」という話題になる。あと、わたしが読みかけのまま部屋の隅に放置している『神は銃弾』(ボストン・テラン/文春文庫)は最後まで読むとおもしろいらしい。そうだったのか、反省。神林長平氏の『麦撃機の飛ぶ空』(ヒヨコ舎)(「麦撃」のラストシーンが大好きだ!)から、ヒヨコ舎の話題になり、『ファッキン ブルー フィルム』(藤森直子/ヒヨコ舎)を勧められ、「ではお元気で」と挨拶して別れる。書店員さんに「いまの人も作家だった。この本ありますか」と、奥から探してきてもらって、買った。
映画のことはすっかり忘れて、大荷物で帰宅した。大好物の風呂に入って『ファッキン ブルー フィルム』を読み始めたら、一ページ目に人間椅子になりたい男が出てきたので、とつぜん『家畜人ヤプー』(沼正三/幻冬舎アウトロー文庫)のことを思い出す。風呂から上がってうろうろと探すものの、探すとなるとみつからない。なにしろ狭いワンルームにいるので、本棚に入らないのは、冷蔵庫の上、下駄箱の中、クローゼットの服と床のあいだ、食器棚、出窓などにランダムにおいてあるので、なにもかも常にみつからない。ときたま、自分の本さえみつからない。ヤプーのことはあきらめて、とりあえず多和田葉子に移る。現代詩は法則とか読み方とか知らなくて、大人になって久々の、わからないものをまんま受け取る、という言葉の原始的体験なので、なんだか快感で、さいきん、ちょっと、ビビりつつ、心ひかれたりする。蜂飼耳(好き)の『食うものは食われる夜』(思潮社)以来かも……。ビビりつつおもしろかった。小説のほうも、長くないので一気に読んだ。自分で選んだ本のほうが好きだった! ひよったりせずに自分を信じればよかった、俺が俺を信じず誰が俺を信じるんだ、と、部屋の隅でお面もかぶらず一人反省会をしてから、眠いのでもう寝た。
(2007年4月)