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3月は(ちょっとだけ)
パンク・ロックの月である。

アザラシ
【桜庭一樹写真日記◎アザラシ】取材先の某所にて、シャーベット状の水から顔を出したアザラシ。無表情。(桜庭撮影)

「ビフテキや玉葱と較べたら、愛情なんてなんであろう?」

あなたってものは存在しない。あなたはただあなたが演じる無数の役割の中だけに存在するんです。いったいあなたって人間がいるのか、それともあなたは自分が扮する他人を容れるための器でしかないのか、と僕はよく不思議に思ったんです。空っぽの部屋へ入ってゆくあなたを見ると、僕はときどき、いきなりドアを開けてみたいと思いました。でも、もしやそこに誰もいないんじゃないかと思うと、ぞっとしたもんです

――『劇場』

 急用があって、東京創元社に電話する。SF班K浜氏が出たので「桜庭です。いま電話があって、こっちでAが、あっちでBが上がっていて、どちらか片方しかだめだそうです。それで、自分で選んでくれって言われてですね」「えー、そうだなぁ。でもどちらかといえばAじゃないの、長いし」「ええ、わたしもそう思って、Aって答えました」「なんだよ、自分で決めたって報告かい。相談かと思って真剣に考えたのに。そういうことは先に言いなさい」「す、すみません、つい、時系列に沿ってだらだらしゃべっちゃいました。結論を見せてから回想シーンに入ればよかった。……えっ、なに?」「薙刀二段が、出島に用があるって。いま替わる」「もしもし、Fです。シャーリイ・ジャクスンお好きですか?」「好きだー!」
 長くなるので、台詞のみで書いてしまったが、だいたいこういう会話になった。シャーリイ・ジャクスンは『たたり』(創元推理文庫)と『くじ』(早川書房)が好きで、『くじ』なんか絶版だったから図書館で延々コピーまでしたのに、さいきん復刊されて、嬉し悔しいのだ、といったことを熱く(るしく?)話す。すると、絶版だった(まさに探してた!)『ずっとお城で暮らしてる』が創元から新訳されるので、ゲラを送るとのこと。
 その後、薙刀F嬢と、パンク・ロック風のスピンオフ作品『ずっとお城で暮らしてろ!』のプロットを考える。それから「こんど、マルミストみんなで『佐々木丸美音読会』開きませんか。黙って読んでいるのと、音読するのでだいぶインパクトが違うんじゃないかって、さっきドMと話してたんです」というので「いいですねー、まさにM的発想! でも、ちょっと恥ずかしいから、仮面舞踏会風にしませんか。ふふふ、わたしが誰だかわかるまい、という状態で」「仮面!」「まぁ、お面でもいいけど……」というわけで、仮面舞踏会ならぬ、マルミストお面音読会(プロレスのマスク、鼻眼鏡も可)の開催が決まった。……とりあえず、浮き浮きとシャーリイ・ジャクスンのゲラを待つ。
 夜、『劇場』(モーム/新潮文庫)を読んだ。サマセット・モームは中学からずっと好きな作家だったけれど、さいきんちょっとだけ彼のことを忘れていた。『雨』『月と六ペンス』がとくに好きだ。久々に平積みになってるなーと思ったら、これもまた映画化されるのだった……。年増になった天才女優ジュリアの周囲には、美男の夫、崇拝者、優秀な息子、若い燕がひしめいて崇めているが、モームが筆を下ろし彼女のことを書き始めた途端、あっというまに解体してジュリアは老け燕は若い女の元に走り夫は心が離れ息子にはなじられ崇拝者は煙のように消える。後には、女優であるという天性、表現者の孤独な幸福(と、好物のステーキと玉葱)だけが残る。
 モームは、男じゃなくオッサンでもなく、少年の意地悪さをもってるから好きだ。おじいさんになってから書いた本(これ!)もそうなのだ。神をも恐れぬ、意地悪で皮肉屋の、老いたる、サマセット坊や。大好きだッ。



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