この作品集は、〈便利屋〉を主人公にした連作短編です。
拙著『エンドコール メッセージ』に〈便利屋〉を主人公にした作品があり、その延長線上にある連作短編でもあります。
はじめの構想としては、毎回、とんでもない奇人変人が登場して、話は予想もしない方向に進んでいくというものでした。それでもよかったのでしょうけれど、シノプシスを何本か書き上げてみると、どうにも現実離れしすぎている話ばかりのように思えてきました。今の世相とシンクロしている、少し変わっている人たち――そこに落ち着かせ、構想を新たにしたのがこの作品集です。
少し変わっている人たち=偏屈な老人たち、という図式がわたしの中にあったわけではありませんが、結果的には老人が多く登場することになりました。
もちろん、それだけでは面白くありませんので、その対となるように、子どもたちにも効果的に登場してもらっています。勝手なことを言わせてもらえば、「たぶん、将来到来するであろう老人社会を見据えて、今回はたまたま作者のピントがそこに合ってしまったんだな。よしよし」とポジティブに受け取ってもらえれば嬉しいです……(笑)。
ちなみに、作品に出てくる〈田伏〉という町は、これらの作品を書き始めたころに、アメリカのプロバスケット界に日本人選手として果敢に挑んでいた田臥選手の名前から拝借しました。日本人選手としても小柄なのに、あのチャレンジ精神に感動したものです。東京に詳しいかたなら、〈田伏〉という町は西武沿線にある田無のことではないかと推察されることでしょう。商店街の様相はともかく、位置的には間違っておりません。
ここだけの話をもうひとつします。
〈便利屋 ダブルフォロー〉の名前の由来は、作中には一言も出てきませんが、主人公の皆瀬泉水が便利屋を始めるときに友人と立ち上げたという設定からつけたものです。二人で依頼人をフォローするという意味があります。ただ、その友人はいざ便利屋開業というときになって、ある理由から日本一周の旅に出てしまったというとんでもない野郎でもあります。彼は今どこにいるのでしょうか。わたしも気になっています。いつか、彼を交えた続編が書けたら幸いです。
「吉次のR69」
わたし自身がオートバイに乗るので、1回くらいはオートバイを主題にしたものを書きたいという欲求がありました。――ただし、わたしはこの短編に出てくる吉次じいさんのように、ドイツ製のBMWを粋に乗り回しているわけではありません。どちらかというと、キャンプツーリング派というやつで、国産のバイクに長いこと乗っています。
バイク走行歴は400ccで7万キロ弱、継いで1200ccに乗り換えて、現在6万キロといったところでしょうか。
ちなみに、わたしは毎年のようにバイクで北海道を訪れていて、今年の夏もカミさんをリアシートに乗っけて(今回で連続9年目です)、10日間ほど道内をキャンプしてきました。
もちろん東京在住なので、普段は関東甲信越を中心に走ります。
いつだったか、日光を走ったとき、革ジャンで渋く決めてBMWを運転している年配のかたをお見かけしたことがあり、そのとき、古いオートバイ乗りのかたをメインにした短編が書けないものかと思ったものです。そのとき見かけたオートバイはR75という車種でした。
それからいくらもたたないうちに、この短編に出てくるR69Sをバイク雑誌で見たとき、「これだ!」と思いました。そのときのR69の美しいこと!
どんな境遇の人が外国製の古いオートバイに愛着をもって、何十年も乗り続けているのだろうというわたしの好奇心の行き着いた先がこの短編です。
サブテーマは老人と少年。
オートバイなんぞにまったく興味のない人でも、面白く読んでもらえたら幸いです。
「ハロー@グッバイ」
この短編に関しては、ほんの少し声を大きくして言いたいことがあります。
まあ、声を大にして言ってみたところで、それがどうしたという類のことですが……。以前、自殺系サイトを利用して、殺人が起きたという事件がありました。
――自殺系サイトに関連して、別の事件が起きる。
(ちょっと、ネタバレ的になりますが……)実は、その事件よりもずっと前に、この短編は脱稿していました。読者のかたにしてみれば、「なんだ、そんなことか」と言われるかもしれません。だけど、書いた本人にしてみれば「しまったあ! 現実がおれの短編なんぞ吹っ飛ばしてしまったぞ!」という心境でした。落ちこみました。
自分の作品を盗作されたものの、絶対に抗議できない心境といいますか(ちょっと違うか)。
けれども、この短編の眼目は、自殺系サイトに関連して別の事件が起きるという〈どんでん返し〉でないのは、読んでいただければ一目瞭然だと思います。
あとがきでももうけて、そのことを書いてみますかと(心優しくも)担当編集者K氏に言われましたが、もちろん、そんなことはしませんでした。
これも、面白く読んでもらえたら幸いです。
「八月の熱い雨」
屋敷に独りで住む老婆。
このキーワードで、なにか物語が作れないかものかと思ったのがとっかかりでした。しかし、そんな漠然としたキーワードだけでストーリーを構築しようとしたせいか、この5作品中、脱稿まで一番長く時間がかかってしまいました。最初にあーでもないこーでもない、とテーマが絞りきれなかったせいもあります。
屋敷に引っ込んでいる老婆。肉親との関係。外を自由に歩き回っている少年たち。
三題噺のように、この3つのキーワードをいじっているうちに、ある日、ぱちんとはめこむことができました。まあ、本当にはめこめているのかどうかの判断は、実際に本を手に取られたみなさまにお任せします。結果、この作品は時間がかかったせいばかりではありませんが、かなり愛着のあるものとなりました。
作品に出てくる一見、孤高を装っている老婆――わたしは、こういうおばあさんが大好きなんですね。こういう老婆を描けたことも、愛着をもてた理由のひとつかもしれません。
「片付けられない女」
片付けられない女性――片付けられない人でもあります。
ひょっとして、片付けられない人とは作者自身のことではないか、とツッコミを入れられそうですが、幸いなことに、わたしは作中の女性ほどひどくはありません。まあ、絶対にそうではないとは言い切れないですが……。泉水が作中で紹介する独身男のすさまじき部屋の様子(ベッドの下にキノコが生えたり、積んでいた本や雑誌が土のように崩れている話)は、実話と思っていただいてけっこうです。もちろん、これもわたしが経験したわけではありません。
部屋を片付けられない人。ゴミを家に溜めこむ人。わざわざゴミを拾ってくる人。
信じがたいことですが、中にはすさまじいゴミの量に家が倒壊してしまい、そこに潜りこむように生活していた人もいたようです(テレビ番組で見ました)。
世の中には、いろいろな人がいるものだなあと、ほとほと感心するしだいです。もちろん、どこかで一歩間違っていたなら、わたし自身も「片付けられない人」になっていた可能性はおおいにあります。いや、これからもないとは言い切れません。実際、そうなっても、おかしくはないかもしれないです。
恥をさらすようですが、数年前に他界した実父を見てそう感じました。妻に先立たれ独り暮らしを余儀なくされ、自分では整理整頓をしているつもりだったのでしょう(妻――つまりわたしの母親は、その5年前に他界しております)。帰省したわたしたちが掃除を始めると、一日がかりの作業になるのは毎度のことでした。冷蔵庫や食器棚には、腐りかけの食品やカビだらけの食品が、ゴミ同然にこれでもかと詰めこまれていたものです。老父に苦言を呈することなどできませんでした。ただ、どこか喪失感にも似た感情が湧いてきて、いろいろな意味合いを含めて、なにかが変わってしまったんだなと寂しい気持ちになったものです。
この作品は、片付けられない人がいるなら、作中のような理由で片付けられない(片付けない)人もいていいじゃないか、とわたしの願望をこめた短編でもあります。
「約束されたハガキの秘密」
この作品でキーワードになっている郵便将棋。
このごろはインターネットが発達して、メール将棋、ネット将棋が手軽に楽しめるようになりましたが、現在もハガキで一手一手やりとりをする郵便将棋は健在です。棋友を募って棋戦を開催している〈郵便将棋連盟〉なるものも存在します。
実は、わたしも数年前まで将棋に凝っていたことがあり、この作品にあるように将棋雑誌の「棋友求む」で知り合った人と郵便将棋を楽しんだ時期もあります。1局、指し終えるのに1年近くかかるのはザラでした。そのときの経験が、この作品に反映しているのは間違いありません。かなり、ご高齢のかたとも指しました。
ちなみに、当時買い込んだ棋書は100冊はくだらなかったと思いますが、わたしの棋力は今もって泉水と同じ〈ペーパー初段〉といったところでしょう。
どの世界でもそうでしょうが、知れば知るほど奥が深いと感じるのは当たり前のことと思います。
将棋もそうでした。
将棋を指す技術の奥深さはともかく、将棋盤、将棋駒のことも調べれば調べるほど奥深いものがありました。そのときの経験を生かせないものかと思ったのが、この作品を書くきっかけでした。じょじょに廃れていく(であろう)郵便将棋、現役を引退した高校教師、それを取り巻く人間関係――それらのキーワードが、もやもやと頭の中で膨らんできて、形になったのがこの作品です。
こんなふうに書くと、この作品は将棋を知らないものは楽しめないのか! と思われるかたもいらっしゃるかもしれませんが、断じてそんなことはありません。
楽しめます(きっぱり)。
読んでもらえれば、おわかりになるかと思います。将棋をまったく知らない人にも、楽しめるように書いたつもりです。どうぞ、楽しんで下さい(笑)。
以上5編、それぞれの作品を、それなりに面白く読んでもらえたら幸いです。
(2006年9月)