感情型ロボットをフィー、専門型をピイ、と名付けたのは、かなり昔のことです。もう四半世紀も前でしょうか。
人間と同じ〈気持ち〉を持つ器用なロボットは当時の科学力からはなかなかイメージできず、感情を持つならそれで手一杯、作業をするならそれに全力を傾けている、ということであればまあまあなんとか私にも扱えるかなあ、という感じでした。
二十数年経って、機械のお蔭で生活は便利になりましたし、ロボットの研究も進みました。ワボット(早稲田大学のロボット)が歩いた! などとびっくりしていたかつての自分と、ホンダやソニーのロボットたちのダンスを見ている自分が、同じ自分であるとは信じられないくらいです。
身体構造を持っていないとAI研究においての経験や学習はうまく蓄えられないことからして、優れた〈肉体〉を持ったロボットたちが試行錯誤を繰り返しながら今後ますます賢くなるであろうことも予測できます。
でもやっぱり私は、いまだにフィーとピイの区分けを必要としています。
それは、うじうじとしたみっともない自分を顧みるだに、神様みたいな万能の存在はどんどん私から遠い存在になってしまうような気がするからです。
卑下と憧れと、夢と現実と。そんなものを、少し甘辛い味付けで描いてみました。
願わくば、ピイたちのプリズムの瞳に映し出される自分が、物語の語り手として幸せでありますように。
(2007年11月)