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【Webミステリーズ!国内ミステリ出張室】
孤児文学としての愉しみ
孤独な少女と青年の心の葛藤を
雪の結晶の如き繊細な筆致で描く
佐々木丸美の代表作

08年12月刊
佐々木丸美『雪の断章』
解説[全文]
三村美衣

 本書『雪の断章』は、1975年に発表された佐々木丸美のデビュー作であり、孤児の少女を主人公に愛と謎と雪の三要素を揃えた著者の原点である。

 私が『雪の断章』を読んだのは中学生の時だったろうか。父の書棚を眺めていたら、水色の背表紙に黒い羊(長年そう思いこんでいたがひょっとすると牛だったかもしれない)が一頭、ぽつんと佇む本があった。タイトルがきれいだし、本がかわいかったので手に取ったのだが、一読、その劇的でロマンチックな佐々木丸美の孤児文学に魅了されてしまった。
 子どもの頃に読んだ文学全集の主人公は、たいてい数奇な運命に弄ばれる孤児だった。『赤毛のアン』『小公女』『孤児マリー』『あしながおじさん』『レ・ミゼラブル』『家なき娘』『虐げられし人々』。少女だけではなく『オリバー・ツイスト』だって『トム・ソーヤー』だって孤児だ。おかげですっかり「孤児=ロマン」という刷り込みを受けた私は、「物語のような出来事」も「運命の出会い」も孤児の身にしか起きないものなのだと思い、罰当たりにも、二親揃う我が身の不幸を嘆いた。
 孤児ものの主人公はまず間違いなく不幸だ。養家で虐められ、学校や地域でも孤児というだけでいわれのない差別を受けて育つ。そして長い距離と時間を旅した末に、ようやく努力が実り、夢を掴み、愛する人のもとにたどり着く。不幸の度合いが増せば増すほど、結末で得られるカタルシスも大きい。おまけに出自がわからないというのは悪いことばかりではない。実の両親が目の前にいたのでは、自分は白鳥の子だなんてとうてい思えないが、もし出自不明な孤児ならば、逆に自分に流れる血に無限の可能性を夢見ることもできるのだ。養家の家族が、孤児を虐めるときに、ことさら子どもを捨てた母を見下してみせるのは、孤児が夢見る理想の母(父)親像への、苛立ちもあるのだろう。
 本書のヒロイン、倉折飛鳥は両親への思慕の情はほとんど見せない。その代わり彼女は偶然の神秘を信じている。迷子になった5歳の秋、おつかい途中の7歳の秋、そしてお嬢様の不条理な虐めに怒りを爆発させ、引き取られた家を飛びだした7歳の冬。自分と祐也の出会いは偶然の神秘であり、そこには大きな意志が介在している。そしてそれは、孤児という境遇と引きかえに与えられた運命なのだと語る。まさに、この出会いこそが孤児に与えられた至上の特権なのだ。
 本書が刊行された1975年は水木杏子・いがらしゆみこの『キャンディ・キャンディ』「なかよし」で、三原順『はみだしっ子』(孤児という意味ではちょっと微妙な部分もあるが)が「花とゆめ」ではじまった年でもある。同級生たちがアルバート派、アンソニー派、テリィ派に分れ、恋の行方はこうあるべしと盛り上がるなか、お日様のようなキャンディの前向きさに感情移入することができない私は、キャラとしては深みにかけるし、悪計の底が浅すぎると思いつつも、イライザ派を名乗るしかなかった。
 それに比べ佐々木丸美のヒロインには、キャンディにも、海外の作品のヒロインにもなかった、影や負の感情がある。引き取られた家で差別され、虐められ、いわれのない憎しみの対象にされてしまったヒロインは、天真爛漫な夢見る少女ではいられない。飛鳥にしても強情っぱりという言葉では表しきれないくらい、プライドが高く、気が強くて頑固だ。思いこみも強いが、他人を信用していないので悩みを相談することもできず、自分の思いこみに填り込んでしまう。この頑なさは彼女の凜とした魂を守る殻となるが、同時に人間関係を阻害し、人を見る目を曇らせる。物証を頼りに殺人事件を解くことはできても、祐也の心を理解できず、もつれてしまった関係をなかなか修復できない所以だ。
 ヒロインだけではない。奈津子お嬢様の激烈さ、スーパー家政婦トキさんの陰湿さの波状攻撃は、セーラを虐めるミンチン先生のはるか上を行く嫌らしさ。やっぱり『細腕繁盛記』『おしん』を生んだ日本のスーパーヒールはこうじゃなきゃいけない。

 佐々木丸美の作品には多くの孤児が登場するが、その中でも本書とその後に書かれた『忘れな草』(1978年)『花嫁人形』(1979年、創元推理文庫近刊)、それから『風花の里』(1981年、創元推理文庫近刊)は、《孤児》4部作と呼ばれている。最初の3作のヒロイン、飛鳥、葵、昭菜は同じ年齢で、全員が札幌で暮らしている。本書では、ほかの少女の存在には触れられていないが、シリーズを読み進んで行くと、3人が孤児となった背景に、祐也や史郎、それに本岡剛造が勤める、東邦産業、北一商事、北斗興産という企業が深く関わっていることがわかってくる。そして飛鳥の行動から始まる連鎖が、まるでバタフライ効果のように、順送りに他の少女に影響を与えていくことがつぶさに見えてくる。最後の『風花の里』に登場する第4のヒロイン星玲子(れいこ)は3人よりほんの少し年上。彼女もまた陰謀に巻きこまれて両親を亡くし、孤児となり札幌にやってくるのだ。
 札幌は、1970年代には人口100万人の大都市だが、街の規模自体はそれほど大きいわけではない。買い物に行くなら大通りのデパート、受験参考書を買うならあの書店、お茶を飲むならユーハイム。同じ年頃の少女の立ち寄り先は自ずと似通い、それとは気づかぬうちにすれ違う。その出会いは偶然なのか、それとも陰謀なのか……。
 4部作と書いたが、実は佐々木丸美の世界は、ほぼすべての作品が、登場人物の血縁、転生、事件の連鎖などによってつながりを持つ。それぞれの作品は別個の物語として鑑賞できるが、実は作品にはさらなる謎が仕掛けられており、それが大きな物語宇宙を形成しているのだ。既に当文庫より刊行されている『夢館』などは、《孤児》と《館》が絡みあった複雑な物語となっている。
 トキさんはこの後『忘れな草』に、奈津子は『花嫁人形』に再登場し、重要な役割を果たす。ヒロインとなるべく生まれてきたような美少女奈津子が、なぜヒールとなったのか、その憎しみや怒りの源を解き明かす鍵が『花嫁人形』にはつまっているのでお楽しみに。

 さて、本書は1983年に刊行された講談社文庫版を底本としている。
 著者の経歴や人となり、ミステリ史における位置付けなどは、講談社文庫版から再録された山村正夫氏の解説をお読みいただくとして、83年以降のことだけ簡単に補足しておこう。
 佐々木丸美は、1984年に17作目の『榛(はしばみ)家の伝説』を上梓した後、文庫収録時に改稿は手がけたものの、新作を発表することはなかった。
 そして2005年12月25日、愛してやまない雪の季節に、心不全でこの世を去った。
 また1985年には、本書が『セーラー服と機関銃』の相米慎二監督によって映画化された。映画のタイトルは『雪の断章〜情熱〜』。名前は変えられているが、ヒロイン夏樹伊織(飛鳥)をデビューしたての斉藤由貴が、広瀬雄一(祐也)を前年に朝ドラ主演で話題となった榎木孝明、津島大介(史郎)を世良公則が演じている。配役は悪くないし、印象的なカットも多い。しかし尺の問題もあって、7歳からの10年間が描かれていなかったり、ファンタジーにおける神話のような役割を果たすことで大時代的な設定を神秘性にまで高めた『森は生きている』のエピソードが割愛されていたり、全てを浄化する雪の描写が少ないために、原作ファンにはちょっと物足りない結果となった。もしもう一度映像化するなら、韓国ドラマが似合うのではないだろうか。飛鳥の家出が2年間に延び、記憶喪失まで伴いそうで怖いが、本書の情緒と虚構性は、今の日本を舞台にしたのでは表現できない気がするのだ。いかがだろう。

(2009年1月)

三村美衣(みむら・みい)
1962年生まれ。書評家。現在、〈SFマガジン〉の書評頁でファンタジー欄を担当。また、ポプラ社のPR誌〈asta*(アスタ)〉の偶数月号でブックガイド「ライトノベル☆いいとこどり」を連載中。著書に『ライトノベル☆めった斬り!』(大森望との共著)がある。
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