初めて本になったときにあとがきを書いたものの、その後文庫に収録されたり別の出版社から刊行されたりで、20年も30年も経って、またもやあとがきを書くのは、どこか妙なものである。先に刊行された創元SF文庫の『司政官 全短編』では、そのことを意識して真面目にやろうとしたけれども、時日が経過しているせいで、やはり回顧調が出てくるのは、やむを得ない仕儀であった。それにつづく本書でも、似たようなことになるだろう。いや、むしろそれを承知で好きなようにしるしていくのがいいかもしれない。大体が、あとがきなんてあんなもの、著者の弁解みたいなものじゃないか――と笑う人が少なくないのであり、私自身を考えても、笑われて仕方のない面があるのも事実で……どうせそういうことなら、恰好などつけずに、書きつらねてゆけばよろしいのだ。
『消滅の光輪』は、〈SFマガジン〉1976年2月号から、1978年10月号までの、連載である。
この稿を書くにあたって、当時のダイアリーを引っ張り出して調べると、
第1回分脱稿が1975年12月10日(62.5枚)
最終回第33回分脱稿が1978年8月16日(73枚)
となっている。
ダイアリーを読み返しながらまざまざと思い出したのだが、この頃の私は、東京での打ち合わせや原稿書き、神戸でのラジオ・テレビ出演、それにむろん大阪でのもろもろで、ばたばたしていた。今ではとても考えられないほど、よく酒も飲んでいたのだ。そのときには自覚しなかったけれども、エネルギーに満ちていたのに違いない。何しろ第1回を書き上げたのは、13年間住んだ団地を出て現在の家に引っ越す作業と並行していたのであり、それでへたばりもしなかったのである。どこか駆り立てられている気分もあった。そして、そうなる理由も存在していたと思う。
しばしば指摘され、自分でもわかっていることだが、『消滅の光輪』は当初、もっと少ない枚数で仕上がるだろうと考えていた。筋書きもメッセージもこれでいいはずで、これでいこう、連載2回か3回でまとまるのではないか、と見込んでいたのだ。
しかし一方では、話を何とか強引にでも書き上げるという、それまで一般的にやってきた方法で、はたしてわかってもらえるだろうか――との不安もおぼえていた。となれば、〈SFマガジン〉のほうで少々長くなっても構わないと言ってくれたのを幸い、自分でも納得できるまで書き込んでゆくべきではなかろうか、となる。
思えばSFを書きだしてから長い間、私は、書きたいことを好きなだけ書くような枚数をなかなか与えられず、いかに刈り込んでまとめるか、をつづけてきた。これは私だけのことではなく、多くのSF書きが経験してきたのではないかと思う。SFとか、あるいはショートショートとはこういうもののはずだ――との先入観のもとに出てくる注文、また、SFなどというものにそんな紙数を与える余裕はない――との感覚を相手に、50枚、60枚と書けば実に面白いであろう話を、数枚の原稿用紙に押し込んでしまったSF書きは、少なくないはずである。けれども年月のうちに、それぞれの書き手はそれぞれの実力と方法で、読者を獲得し、本来必要な枚数のための場を確保するようになっていった。生き残るためには、それができなければならなかったのである。
そうした中で私は、まあこういうものを書く奴だろう、との先方の想定に従って、少しずつ自分を出しながらではあるにしても、自主刈り込みをつづけていた。俳句をやっていたから無駄は落とせるのだ、とか、小説としての形をつけるにはこうでなければならないのだ――とおのれを説得しながら、である。ために、物語は直進し、本筋以外のものが出てくるにしても、物語全体のために必要なところだけでいい、余計なものは効果のある部分だけ残せばいい、書きたくても割愛するしかない、と、何となく、教本みたいな作品になってゆきがちであった。もっとも、ジュニアものに関してはそんなに自己制限はしなかったので楽だったし、それが許されるときには『ぬばたまの…』のような“自分バナシ”によって自己解放を行ない、そちらに道をみつけた感はあったのだ。しかしどうも変な言い方だが、れっきとしたSFとなると、なかなか呪縛から脱却できなかったのである。《司政官》ものでもその傾向があった。ともすれば直進型になってしまうのだ。
だから『消滅の光輪』の出だしには、正直、迷いがある。が、書き進んでゆくにつれて、このエピソードだってわかってもらえるように書くべきではないか、ゆっくり、もっとゆっくりと自分に言い聞かせ……そのうち腹がすわってきた。
書くだけ書いたらどうだ?
刈り込みなんて考えず、そっちに入ってゆき、いろんなものを出すにしてもお体裁に登場させるとか思わせぶりにちらちら見せたりせず、こっちのノートに従ってちゃんと説明し、場合によってはそこからさらに踏み込んだらどうだ?
そうなのだ。
この話を書きだすにあたって、いつものように設定は一応ちゃんとしてある。いつも以上に丹念に、と言っていいかもしれない。それらを変にカットしたりせずに、みなちゃんと書いてゆくほうが、わかってもらえるだろうし、私自身も楽ではないのか?
行け行け。ずんずんずんずん、あっちを覗きこっちで喋り、で進んでゆけ。ひとつ手綱をゆるめると他もゆるめることになるが、いいではないか、広がれ広がれ、しんどいけれども書くのが面白ければいいではないか。
で。
つまるところ連載は、前編、中編、後編その一、後編その二、後編その三――というていたらくになってしまったのである。
そして有り難いことに、どうやら書き上げることができた。
こういう書き方も成立し得るらしい。
以後、必要とあれば、私はこのやり方をとっている――のは、今更申し上げなくてもいいと思う。
この作品の献辞は“アイザック・アシモフ氏へ”となっている。
アイザック・アシモフ作『宇宙気流』を読んだ人には、このゆえんは明白であろう。惑星フロリナとラクザーンは同じ運命下にある。その状況が惑星上の生物に影響しているということも、共通している。ずっと前に『宇宙気流』を読んだ人間として、謝意を表明するのが礼儀というものであろう。
だからといって、この作品が『宇宙気流』と同じモチーフ、同じテーマなのではない。全く別の物語なのだ。SFの場合(SFに限らないかも)アイデアや設定は同一であっても、そこから無数のことなる物語が生まれてゆく――というのは常識で、これもその一例と解して頂ければいいのである。
これはほとんど余談だが、《司政官》シリーズを書きだして暫く経つうちに、一度は出してみたい気がするが、まあ無理だろうなあという話が、いくつか頭の中をちらちらするようになった。
そのひとつに、“いい加減な司政官”というのがある。
世の中には、それほど本気にはならず適当にその場その場をしのいでいる、それでいて結構有能と見做されている――という人間がしばしばいるようだ。実際にはそんなにいい加減なのではなく真面目にやっている、とか、本当にいい加減で、しかもそれゆえに極めて優秀で社会をリードし歴史を変えてゆく、とか、いろいろあるのかもしれないが……そういう司政官を主人公にしたら、どうなるだろうか、というわけだ。
この話を何かのはずみに口にしたら、何人かから、ぜひ書けと言われた。今でもまだ言う人がいる。
いい加減、あるいは、まことに無責任な司政官――などというものが、存在し得るのだろうか。あり得るとして、あり得る条件もそろえて、主人公として描くのは、しかし、私の力では困難、不可能だとしか思えない。いや、私の書いてきた司政官とは、そういう人間とは対極のところにあるのではないか、とも思う。
しかし一方では私は、全く自由で無責任でいい加減な、他人には理解できない天才が、歴史とか人間の今後を変えてゆく――ということだってあるのではないか、と、空想したりすることがある。
そういう天才と対極のところにあるのが司政官だとしたら、司政官の役割とははたして何なのだろう。
そういう大天才が人間なのか、司政官みたいなのが人間なのか……。
まあどうでもいい、ということにするか。
二〇〇八年六月
(2008年7月)