《司政官》シリーズの短編が一冊にまとめられることになって、ありがたいと思う。
後に《司政官》シリーズと呼ばれることになるその第一作「炎と花びら」を書きはじめたとき、私には、シリーズにしようなどという気はなかった。当時私は、深夜放送のパーソナリティなどということもやっており、大分疲れていた。疲れながらも書きつづけ、しかし本当に書きたいこととは少しずれているのではないか――との感じもあったのだ。で……自由に書けそうな司政官という設定で、うまくいけば〈SFマガジン〉に載せてくれるのではないかと思いながら想を練り、取り掛かったのである。
今となれば、「炎と花びら」について、私としてはどうも情念先行の気味があったように思える。そうしたい心境だったのであろう。この傾向はその後も少しずつ減衰しながらつづくが、やがて結局は「連邦と植民者と先住者の中での司政官」の立場を直視することの比重が勝っていったようだ。
これは、司政官自身の気持ちもさることながら、状況把握と対処を欠いた司政官は司政官として存在し得ない、という特質から、司政官の意識を書くとなれば、そうしなければならなかった――ということであるまいか。
そして、架空世界や異世界をちゃんと描こうとすれば、当然避けて通れない全体像説明が、司政官ものの場合、いやでも重くのしかかってくる。それがわかっているから初めのうちは無意識に最小限にとどめようとしたが……それではやはり表現不充分になりがちなのだ。
その大分前から私は、自分が書くものを整理し刈り込もうとする結果、読む人に真意が伝わらずときには誤解される、という経験をしてきた(それがどんな事柄についてなのかとか、具体的にどの作品なのかとかいうことは言うまい)。これは十代から二十代の初めにかけて俳句に熱中し、その後も断続的に作句している(にもかかわらず一向にうまくならないのだが)せいではないかと指摘してくれる人もいた。だからもう小説においてはそんな整理・刈り込みは放棄して、ずるずるずるずるとぬたくってもいいではないか、少なくとも長編ではそれが自分のためではないか――と考えたりしていた。
それが、しだいに長編においての自分のスタイルになってきて、「司政官を押し包もうとしているもの」を、もはや遠慮せず次から次へと書くようになったに違いない。「限界のヤヌス」あたりからは、そのことがはっきりしている感じだし、この本には収録されていないが、『消滅の光輪』以後は、ずるずるに入ってしまっていると思う。
ただ、このことによって、二つの現象が出てきた。一つは、いくら書いても書いても全部は書ききれないという気分のせいか、原住者の設定が、奇妙な宇宙生物よりは描いてもわかってもらいやすい人間型へと変わっていったこと。もう一つは、どうせあれもこれも描くのであれば、こっちのほうも描かなければ主人公がかすんでしまう、と、司政官自身の心理や計算も、これでもかこれでもかと書くことになった。これもこの本には収録されていないけれども、『引き潮のとき』では好きなようにやった感じがある。このやり方が「ひとり突っ込み」と呼ばれているとは、少し後になるまで私は知らなかった。
だがまあ、こうした行き方が、限りない膨張につながるのは事実である。『引き潮のとき』連載中に私は、「長けりゃいいってもんじゃないよ」との苦言を、複数の人から頂いた。しかし白状すると私は、『引き潮のとき』については、もっと長く書きたかったのだ。
ところで、これは話が少しそれるが、司政官制度崩壊ののちは、いったいどういうことになるのだ、と、問われることがある。ま、星区とかブロックとかで、多くの勢力が分立し、相争うようになったら、というわけであろうが、それをいちいち書いていては、それこそ手に負えないであろう。そしてそうなれば科学技術や文明・文化がどうなってゆくか、どうにでも考えられる。そもそもが司政官制度そのものが架空の設定なのだし……。私の『不定期エスパー』という作品が、そうした地球連邦解体のずっと後の設定、と見る人がいても、それもそうかも、と、答えるしかないのである。
さらに私事になるのをお許し頂きたい。
妻が亡くなって、五年余になる。発病・入院から勘定すると、十年余だ。
今の私が、これまで書いてきたような司政官ものが書けるかと言われたら、少なくとも同じ形のものは無理と返事をしなければなるまい。
妻の病気の間、一日に一本短い話を書きながら、私は世間と隔絶された感覚の中にあった。世の流れに関心がなく毎日を生きていたと言っていい。妻が亡くなって気がついたのは、自分が過去からやって来て現代にいる――いわば未来滞在者になっていた、ということである。要するに、老人になったのだ。そして今の私には、新しく、書きたいものが生まれてきた。
もしも私が司政官を書くとしたら……きっと、違う角度からのそれであろう。それは仕方のないことなのだ。ひょっとすると、老人小説として書くのだろうか? いや、そんなことは不可能だ。それとも……。
二〇〇七年十二月
眉村 卓
(2008年1月)