この作品の着想を得たのは1977年初夏のことです。構想を巡らしているうち、宇宙SFとして、設定の大きさだけならちょっとした記録が狙えそうな気がしてきました。いずれは長編にと思いながら、一方で、基本的なアイデアだけは記録に残しておきたい気持ちも強くなりました。誰かに先行されるのではないか、特に未訳の海外作品が気になりました。
そこでシリーズものの1篇として書いたのが〈SFマガジン〉1977年10月号掲載の短篇「バビロニア・ウェーブ」です。
この短篇は作品集に収めることのないまま、構想を改め、〈SFアドベンチャー〉81年11月号から83年5月号まで連載しました。それが長篇版『バビロニア・ウェーブ』です。
作者としてはそれなりに完結させたつもりでしたが、連載終了後、色々な疑問が発生し、数年間放置するかたちになってしまいました。この過程は、作者として詳述することではありませんが、色々な設定上の無理が解決できぬまま膨らんでいくような気分です。
福江純さんを訪ねたのは88年5月のことです。少し前に出た福江さんの『降着円盤への招待』(講談社ブルーバックス)に大きな刺激を受け、また福江さんは石原藤夫氏主宰の〈ハードSF研究所〉の有力メンバーでもあったからです。当時、大阪教育大・天王寺学舎にあった福江研究室を何度か訪ね、こちらの疑問に答えていただいた上、きわめて重要なヒントもいくつかいただきました。それらを生かしきれなかったのは作者の力不足です。
こんな経過のあと、夏から秋にかけて加筆修正を行ない、なんとか完成したのが88年11月発行の本書『バビロニア・ウェーブ』です。
なお、短篇「バビロニア・ウェーブ」は、その後『地球環』(ハルキ文庫/2000年)に収録されています。
今回の文庫化にあたっては、表記上の訂正と細部の修正にとどめ、大幅な改稿は行っておりません。それを始めると、再び数々の「未解決問題」が浮上し、収拾がつかなくなるからです。まだ若かったから無理を通せた面も否定できません。
こうした難題も含めて、今回も福江純さんに「解説」で助けていただき、さらに加藤直之さんにイラストで補強していただくかたちになりました。お礼申し上げます。
(2007年2月)