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酔読三昧
【第11回】
お正月。なに、ただちょっと長めの連休ではないか。
ひねもすのたり酒が呑めればそれでよし。
そしてへヴィメタ三昧。
萩原 香

 これを読んでくださっている皆さま。新年明けましておめでとうございます。本年も駄文によろしくお付き合いのほどをお願い申しあげますまだまだ続くのかね。

 しかし師走は怒濤のような忘年会シーズンであった。肝脳アルコールまみれ。とはいえトイレに駆けこむようなことはしない。せっかく胃の腑におさめたものをお返しするなぞ勿体ないではないか。そのかわり居眠りしてテープルに頭を打ちつけたりはする。カーン! いい音がして目が覚めてまた呑みなおし。右を見ても左を見ても酔っ払いばかり。世界がもしアル中100人の村だったら。

 で、お正月。うって変わって静かなものだ。仕事がなくてヒマだな誰からもお呼びがかからない「いま、会いにゆきます」来んでよろし世界の中心で愛も叫ぶなよな。凧揚げもしない羽根つきもやらん歌留多ってなんだ初詣もめんどくさいし餅もおせちもいらん。お年玉はほしい。自分で自分にやろうかな。5000円。だんなもうひと声。せめて消費税込み5250円。

 なんと寂しい人生であろうことか。涙そうそう。なに、ただちょっと長めの連休ではないか。ひねもすのたり酒が呑めればそれでよし。そしてへヴィメタ三昧。ADAGIOの『SANCTUS IGNIS』はネオクラの絶品だ。なおかつ読書三昧。桜庭一樹『赤朽葉家の伝説』は作者の天分がフルスロットルで弾ける。

 これは戦後日本の通史を背景に、「祖母、母、わたし」と三代にわたる女性それぞれの断代史を描いた渾身の大作である。ライトノベルではないしミステリでもない。「赤朽葉万葉が空を飛ぶ男を見たのは、十歳になったある夏のことだった」――この冒頭の1行で、ガルシア・マルケスの『百年の孤独』が頭に浮かんだ。

 懐かしいなあラテン・アメリカ文学にははまったなあ。アレホ・カルペンティエル『失われた足跡』は、アマゾン奥地への旅と時間を遡る旅とがシンクロした濃厚な作品だった。ホセ・ドノソ『夜のみだらな鳥』は、アイデンティティの変容を描いて極彩色の世界が息づまるようだった。フリオ・コルタサル『石蹴り遊び』は、小説をパーツごとにばらばらにして別な順番でも読めるという前衛だった。 ところでスペイン語圏ラテン・アメリカ文学の濫觴は、ミゲル・デ・セルバンテスの『ドン・キホーテ』である。発表は400年も前なのにメタフィクション。前編は狂気乱舞奇行の騎士道物語のパロディ。後編では「前編」がベストセラーになっていることを知ったドン・キホーテが正気に戻ってゆく。現世は夢、夜の夢こそ真。夢から醒める悲劇。読み通すのに1週間かかった。

 忙しいかたにはダイジェスト版『丸かじりドン・キホーテ』がお薦め。数時間で読めてめっぽう面白い。著者は中丸明。みゃーみゃー(すいません)名古屋弁を駆使した『ハプスブルク一千年』『絵画で読む聖書』は抱腹絶倒だ。ちなみに『好色 義経記』は判官贔屓に逆ねじを喰らわせていやらしいぞ。

 そういえば『ドン・キホーテ』を読みつつジグソーパズルをやったっけ。読書に疲れたら気分転換、と思ったがあにはからんや。こちらも完成まで1週間かかった。なにしろピースがみんな同じ形、あのM・C・エッシャーのヤモリだかイモリだかの絵柄なのだ。よくやったよ。しみじみ苦吟した。なにが気分転換なもんかもうやらん。

 話を『赤朽葉家の伝説』に戻す。

 舞台は中国山脈の麓、鳥取のとある村落。赤朽葉家は製鉄を生業とする一族であり、古代よりこの地に隠然たる支配を及ぼしてきた。語り手の「わたし」は、ひとりの幼女が村に置き去りにされたくだりから物語を説き起こす。漂白の部族“山の民”であり、文字を読むことも書くことも叶わぬその娘は予知能力を持ち、長じて赤朽葉家に輿入れをする。それが「わたし」の祖母、万葉である(第1部1953〜1975)。

 万葉の娘は毛毬(けまり)、剛の女だ。なぜか醜い男ばかりを愛し、その男勝りの腕っ節の強さで暴走族を率いて中国地方を制覇。“卒業”するや売れっ子少女漫画家に転身して命のすべてを燃やし尽くす(第2部1979〜1998)。

 万葉から毛毬へ、土俗(神話)の時代から人工(幻影)の時代へ。赤朽葉一族とそれを取り巻く異形の人々の、わけても2人を要に織りなされる女性たちの「宿業」の絵巻は「わたし」の時代に至るや転調を迎える(第3部2000〜未来)。

 毛毬の娘、「わたし」は瞳子(とうこ)という。一族の歴史の終結点か血の呪縛から解き放たれたか、憑きものが落ちたかのように平凡な娘だ。ここで小説はややミステリ色を帯びる。「わしはむかし、人を一人、殺したんよ」

 万葉いまわの際の言葉に彼女は衝き動かされ、被害者探しを始め、それはそのまま祖母と母の人生を辿りなおす旅ともなり、やがて冒頭の「空を飛んだ男」にまつわる真実に逢着。かくして赤朽葉一族の歴史の円環は閉じられ、瞳子が生きるのは終わりなき日常の「現代」となる……

 満貫全席のような作品だ(食べたことないのに)。満腹である。腹ごなしに映画でも観ようかな。お、ジョン・カーペンターの名作『ザ・フォッグ』(1979)のリメイク版(2005)がレンタルされておるではないか。しかしハリウッドもリメイクやら続編続々篇ばかりだ沈滞気味だ邦画に興行成績抜かれるわけだと言いつつも観てしまった。ついでに『着信アリFinal』(2006)も借りてしまった。

 リメイク『ザ・フォッグ』は観んでよろしいただのC級。じわじわ真綿で締めあげるようなBGM、ひたひた潮が満ちるような「静」のサスペンスが醍醐味のカーペンターとは雲泥の差であった。『着信アリFinal』のほうがまだマシ。こりゃ携帯を使ったバトル・ロワイヤルだな。主役はあの堀北真希。『野ブタ。をプロデュース』の暗さはよかった。『鉄板少女アカネ!!』の明るさは似合わなかった。

 ううむ。ホラーはやっぱり韓流だなあ。『箪笥』(2003)は切なく怖いなあ。いわゆる幽霊屋敷ものと見せかけた大どんでん返しに唸るが、ハリウッド・ホラーにもジャパニーズ・ホラーにもない女性の「宿業」が濃密に漂うあたり、どこか『赤朽葉家の伝説』に通ずるものがある。

 桜庭一樹の描く女性は強くて切ない。そして男は消耗品。だったら私は廃品かい。まあよいわARCH ENEMYの『DOOMSDAY MACHINE』でも聴くかな。いいねえメロデスドコドコドコドコ〜♪お〜い酒がないぞ〜!!はい自分で買ってきます。

(2007年1月)

萩原 香(はぎわら・かおり)
イラストレーター、エッセイスト。文庫の巻末解説もときどき執筆。酔っぱらったような筆はこびで、昔から根強いファンを獲得している。ただし少数。その他、今年も特記すべきことなし。
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