東京創元社60周年

 

わたしと東京創元社  円城 塔(作家)

 

ラヴクラフト全集

 頭の中の東京創元社の本棚は主に淡い印象で、滲(にじ)んだような色彩が入り乱れている。水彩で描いた野原の隣に、団地のような灰色の一角が広がっている。

 

 下方に黒い帯が二本あり、一方は『ラヴクラフト全集』である。いや『ラヴクラフト全集』の背表紙は灰色だったかも知れないと、軽く宇宙的恐怖に襲われる。もう一方の黒い帯には濃淡があり、中央に一体、人形がある。その人形がこちらを見つめているようなのでまたもや宇宙的恐怖に襲われかけるが、こちらは『日本探偵小説全集』である。

 

 そうして眺め続けるうちに、だんだん長閑(のどか)な野原の方もヒエロニムス・ボスの描く野原のように見えてきて、団地の隙間から覗(のぞ)く色彩がじわりとこちらへ染み出してくる。

 

 そういうわけで東京創元社は主に自分の中で、宇宙的恐怖に分類されているのだと語った作家は、東京創元社に打ち合わせに行くと言ったきり、その後、姿を見せていない。

 


■円城 塔(えんじょう・とう)
1972年北海道生まれ。東京大学大学院博士課程修了。2007年「オブ・ザ・ベースボール」で第104回文學界新人賞を受賞してデビュー。同年『Self-Reference ENGINE』を刊行、同書の英訳版はフィリップ・K・ディック賞特別賞を受賞した。12年「道化師の蝶」で第146回芥川龍之介賞を、『屍者の帝国』(伊藤計劃と共著)で第31回日本SF大賞特別賞および第44回星雲賞を受賞。他の著作に『これはペンです』『バナナ剥きには最適の日々』などがある。