東京創元社60周年

 

わたしと東京創元社  梓崎 優(作家)

 

さよなら妖精

 今でもそうですが、特に学生時代、俗に単行本と呼ばれる大きなサイズの本を買う、というのはとても贅沢(ぜいたく)なことでした。

 

 発表間もない小説が読めて、本棚に飾れば美しい。だけど一冊分の値段で、文庫本が二冊か三冊は買える。だから書店で目にしても、これは私の手には届かない、違う世界の書物なのだと諦めて、いつも素通りをしていました。

 

 そんな私が初めて買った単行本が、『さよなら妖精』だったと記憶しています。

 

 きれいな表紙とタイトル、そして「哲学的意味がありますか?」という不思議な問いかけに、どうしようもなく惹かれたのです。書棚の前を行ったり来たり、散々迷った挙句に買った本は、買うのはこの一冊だけだから、という言い訳をあっさり反故(ほご)にしたくなる、素敵なものでした。

 

 ところで、『さよなら妖精』の帯には、「ミステリ・フロンティア第三回配本」と記されていました。翌日また書店に行くと、確かに『さよなら妖精』の隣には、青い背表紙の本が二冊並んでいました。書棚の前で腕組みをしながら、私は自分に言い聞かせました。単行本は贅沢で、贅沢は学生の敵だ。だから、本当に面白いと期待できる本を買わなければいけない。その点、このレーベルはうってつけではないかしら。それにほら、まだ三冊しか出版されていないから、そんなに場所も取らないし――

 

 その後十年で八十冊が出版され、私の本棚はパンクしました。

 

 ともあれ、縁があって、私は東京創元社からデビューすることができました。今、自宅の本棚を占拠している青い背表紙の本を見るたびに、学生時代の自分が顔を出して、ささやきます。単行本は贅沢だ。だから、それに見合う贅沢な時間を幾度となく与えてくれたレーベルに、応えなければいけません。
 日々精進です。

 


■梓崎 優(しざき・ゆう)
1983年東京生まれ。慶応義塾大学卒。2008年「砂漠を走る船の道」で第5回ミステリーズ!新人賞を受賞。受賞作を収録した連作集『叫びと祈り』が2011年本屋大賞にノミネートされるなど、一躍注目を浴びる。14年、第一長編となる『リバーサイド・チルドレン』が第16回大藪春彦賞を受賞。