わたしと東京創元社 第1回 戸川安宣(東京創元社顧問)
現在、皆様から募集中の東京創元社創立60周年記念エッセイ「わたしと東京創元社」。
東京創元社と縁のある方々からも多くのエッセイを寄せていただいており、こちらについても小社刊行の『ミステリーズ!』および当サイトでもご紹介していきたいと思います。
今回ご紹介させていただく、記念すべき第1回のエッセイは東京創元社顧問の戸川安宣氏です。
皆様からのエッセイも引き続き募集しておりますので、こちらからどしどしご応募ください。
締め切りは今月末1月31日です。
あなたのエッセイが、著者や訳者の先生方のエッセイと同じ誌面などに載るかもしれません。
皆様のご応募をぜひお待ちしております。
わたしと東京創元社 第1回 戸川安宣(東京創元社顧問)
創元推理文庫が創刊した昭和三十四年四月というと、ぼくは小学校の最上級生で、生涯唯一の受験勉強をした年であった。そして父親からこの一年は本を読むな、と申し渡され木製の本箱の前で涙を流したのを覚えている。

翌春、私立中学に入学。その学校では春先に中軽井沢にあるキャンプ場で二日だったか、三日だったかの合宿生活を送る習わしだった。そこで信越線の車中で読む本を買おうと、出発前の日曜日、自宅近くで一番大きい三ノ輪橋の集文堂書店へ出掛けた。旅行に持って行くなら文庫がいいだろう、と岩波、新潮、角川などが並ぶ棚を見ていて、小学生の頃、ジュヴナイルに翻案された作品で馴染んでいたディクスン・カーの名を見つけた。その中で手頃な厚さだったのが『幽霊屋敷』で、これが初めて買った創元推理文庫だった。創刊の年の十一月に刊行された一冊である。それがきっかけとなり、まずはカーの作品を一冊また一冊と買っては読み出した。
学校から池袋駅までの間に大地屋(現・文庫ボックス)と今はなき芳林堂書店があり、下校時には必ずこの二店を覗いて帰ったものだ。ある時、芳林堂に立ち寄ると、店員が、ソーゲンシャが潰れた、と話している。びっくりして文庫棚の前に行くと、創元推理文庫は変わらずに並んでいた。中学生のぼくには出版社の倒産というのがどういうものか皆目見当がつかなかったので、とにかくある内に買っておかなくては、と小遣いをはたいて読みたい書目を買い漁った。

当時の推理文庫には巻末に横書きの著者別目録がついていて、既刊分には定価が記入され、未刊のものはそこが空欄になっていた。カーでいうと、『盲目の理髪師』が空欄のママで、ぼくにはそれが読めなくなる、というのが一番心残りのことだった。
それから暫くして、大地屋書店に立ち寄ると、入口近くの細長い棚の一番下に、紫色のカラーカバーがついた『盲目の理髪師』を発見し、驚喜してレジに飛んでいった。奥付を見ると、三十七年の三月とあるから、中学二年の終わり頃のことである。電車の中で開いてみると、発行所のところに「東京創元新社」とあった。再建した新社の刊行物としてはもっとも早く刊行された書目だった。これは、文庫にカラーカバーがつくようになった最初期のものとして、日本の出版史にも記録されるべき一冊だと思う。

その後、イアン・フレミングの007シリーズの大ヒットや、SFマークの新設、就中(なかんずく)バローズの火星シリーズをはじめとするスペースオペラ・ブームなどによって業績は徐々に回復し、ぼくが入社した昭和四十五年の秋には負債を返し終えたとして、新が取れて、東京創元社へと復帰した。
倉庫に仕舞ってあった「東京創元社」の古看板を玄関に掲げた時の、当時の社長、秋山孝男さんの満面の笑みを忘れることができない。
■戸川安宣(とがわ・やすのぶ)
1947年長野県生まれ。立教大学卒。東京創元社入社後一貫して編集者をつとめ、編集部長、社長を経て現在顧問。鮎川哲也賞、創元推理短編賞、評論賞を創設。編集者としてミステリ作家を多数育成する傍ら、文庫解説や書評、コラム等の執筆を行う。現在、成蹊大学図書館のミステリ&SFライブラリに蔵書を寄贈、データ整理の日々を送る。
